26(最終回)

 洞窟から出ると外はもうすっかり昼で、よく晴れていた。


 何もかも夢のようだと思う。けれども夢だとしたら、どこからが夢なのだろう。どこまでさかのぼって嘘にすれば、みんな救われるのだろう。くだらない問いかけだった。目からは壊れた蛇口のように涙が流れているけれど、これが何の涙かはわからない。兄は死んだのだろうか。シャン・プランツに寄生されて。そうなのだろうけれど、わたしには何の実感も沸いてこなかった。

 ぼんやりと、アレクサンダーさんが車の後部座席に兄を積み込むのを見る。篠田さんは兄の隣に居て、一緒に後部座席に乗り込む。わたしはリゼに促され、警備員さんたちの車に乗せてもらった。警備会社が持っているそれは、大勢乗れるように大型になっている。座席に座ると、どっと疲労感が押し寄せてきた。


 車の中、がたがたと揺られながら、わたしは「終わったのね」と呟いた。ええ、と隣に座るリゼは答えてくれたけれど、きっとわたしの言葉の意味はわからないだろう。

 わたしも、なぜそう言ったのかわからない。けれども何かが終わった。その実感は、確かなものだった。



 わたしたちのやったことは、当然だがすぐに上層部にバレた。しかし民間の警備員に簡単にのされてしまった軍が隠蔽してきたこともあり、それほど強い糾弾もなければ、国から処罰が下るなんてこともなかった。上層部の軍の癒着はかなり強力らしい。

 シャンウェイ博士のチーム、もとい世間一般的には、シャン・プランツがあまりにも巨大であり急速に処理する必要があったので研究する前に焼却処分された、ということになった。あまりにも強引だし、「シャンウェイ博士にばれるのは時間の問題よね」とリゼは言っていた。そのときはそのときで、篠田さんが全ての責任を背負うと言ってくたけれど。


 兄の遺体は病院に運ばれたが、それはただ、臨終したという宣言を医者から受けるだけのことだった。そして、兄の体から生えているシャン・プランツを調べた結果、やはりそれはハイドのDNAと全く同じだった。

 DNA検査をするために地下三階へ行ったリゼやアレクサンダーさんはハイドが人間体に戻っていたことに驚いていたけれど、わたしはもう面倒なので何も言わずに黙っていた。疲れ切っていた。なにもかも。



 霊安室に置かれていた兄の遺体は、式が行われる前日に姿を消してしまったらしい。病院の関係者やら警察やらが大騒ぎする中、わたしは一人、駅に向かった。車無しでこの街から去ろうとするなら、古めかしい汽車を利用するしかない。

 夜中からじっと待っていると、始発の一時間前、朝日ばかりが眩しい無人駅のホームに、その人が現れた。ゴロゴロとキャスターが鳴る、馬鹿でかいキャリーバッグに、わたしは思わず笑ってしまう。荷物検査されたら大変じゃないの。

 篠田さんはわたしの目の前、驚いた顔もせず、立ち止まった。わたしは時計を見る。電車が来るまでにわたしが篠田さんに尋ねられることは一つ。ならば。


「篠田さん。あなたは兄のことを……ほんの少しでも、想っていましたか」


 1、2、3、4……。十分を秒刻みにして、数える。鼓動はさして大きくも早くもならなかった。本当はこんなこと、聞かなくてもわかっていた。息を止めてしまった兄の胸を強く押し、慟哭するように声をあげた。あのときの表情全てで。

 だからこれは、わたしのための質問。たった数か月の間に起きた大きな出来事に、区切りをつけるための。篠田さんは真っ直ぐにわたしを見ている。ハイドと良く似た、真っ黒い瞳。朝日に照らされる彼の顔は、本当に綺麗だった。

 兄はこの人のどこに惹かれたのだろうと思う。二度と兄本人に確かめられないのなら、勝手に推測するしかない。バケモノと称されるほどの頭脳を持った天才学者。そんな上辺だけのものに、あそこまでの深い情念を燃やせるはずがない。

 330、331、332……。ならばどこに。性格か。内に秘めた優しさか。学者としての誇りか。言葉で挙げつらうものはどれも陳腐なものばかり。兄の人生の中に、この人はどんな風に輝いていたのか。

 わたしには、兄が羨ましかった。他人のことに異常なまでに執着できる、その愚直な魂が。554、555、556、557、558、559……。


「ああ、……きっと、何よりも」


 さようなら。ホームについた汽車に乗り込み、篠田さんはこの街から去って行った。人間が最も幸福な生き物ではない。そう言っていた篠田さんの言葉を思い出す。

 シャン・プランツがどうして地球上に現れたのかは様々な憶測が飛び交っているけれど、それがどういうものであれ、わたしにとっては何の意味も価値ももたらさない。幸せであってよかった。わたしは心の中で何度も繰り返す。幸せであってよかった。誰よりも幸せになりたかった、あの人が幸せであってよかった。これが一つの愛の終着点なら、それもありだろう。


 海沿いの道を真っ直ぐ歩いていると、潮を含んだ風が、わたしの額を撫でた。わたしはこれからも日々を生きていく。わたしの親友。わたしの息子。わたしを取り囲む、優しい人達。彼等と一緒に。唐突に、わたしはわたしを産んだ母のことを、許したいと願った。





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維管束に流れる カミハテ @kamihate23

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