第三話 「新しい場所」





 葉月は、翌日も店を訪れる。

 しかし入り口の前でまごまごと佇んだまま、時間だけが過ぎていった。

 目の前には例の貼り紙。


『文具・数珠、呪いなんかも揃えており〼』


 この貼り紙に、葉月は救われた。

 ずっと鬱々とした日々を過ごしていたが、この店に来てたくさんのものに触れた。

 美しい文房具たちに不思議な体験。

 見透かされたような気分にもなったし、不器用な気遣いも知った。

 そうして過ごしたこの店が、葉月にとっては心のよりどころになったのだ。


「昨日も来ちゃったけど……大丈夫かなぁ」


 入りたいけれど、何だか迷惑なような気がしてならない。

 自分自身はまたあの空間にと焦がれるが、相手はどうだろうか。

 そう考えると、扉に手が伸びないのだ。


 ぎゅっと目を閉じてぐるぐると考えていると、突然店の扉が開く。

 がらがらという音と共に現れたのは、この店の店主である直斗だった。


「いらっしゃいませ、水無瀬さん。ずっとそこにいられると、商売の邪魔かも」


 直斗の顔はにこにこと笑ってはいるが、言葉は鋭い。

 葉月ははっとした顔をして、目を泳がせながら俯いた。


 やはり自分がいると迷惑なんだと自身を責め、萎縮してしまう。

 直斗に謝ろうとは思うのに、どうにも言葉が出てこなかった。


「ほらほら、早く入りな。みーちゃんがまたお茶淹れてくれているからさ」


 そう言ってすっと見戸を開けた直斗は、相変わらずにこにことしたまま葉月を見つめる。

 直斗の言葉に、葉月は顔を上げてきょとんとしてしまった。


「あ、あの……。いいんですか?」


「うん? 僕、いらっしゃいませって言わなかった?」


「確かに言いましたけど、でも……」


「うん。ほら、いらっしゃいませ」


 直斗はじっこちと笑うと、手を広げて招き入れる。

 葉月はぽかんとしながらも、にこにこと笑っている直斗の顔を見て遠慮がちに中に入った。


「あ、えっと……。お邪魔します……」


「はーい。座敷にどうぞ」


 恐る恐る店に入る葉月を見下ろしながら、直斗はがらがらと扉を閉める。

 そして例の小上がりの座敷へと葉月を案内した。

 葉月は緊張した面持ちで店の奥に進むと、言われた通りに座敷に上がる。

 靴を揃えてちょこんと座ると、改めて店を見回す。


 昨日と特に何も変わっていないのだが、葉月には新鮮な気がするのだ。

 あまり目にしないようなものから日常でも見かけるものまで。

 いろんなものが並べられている。

 決して乱雑ではないその配置は、見ているだけで心踊るほどだ。


「ほらほら、君はそこじゃないよ。もっと詰めて」


 首が痛くなるほど店の中を見回していると、直斗が座敷に上がってくる。

 草履を揃えるといつも座っているであろう場所に腰かけ、葉月を手招く。

 一方葉月は決まっている席があったのかと、あわあわしながら招かれた方に移動する。

 そうして座るよう言われた場所は、ゆったりと壁に背が預けられる場所。

 なおかつ店の中を一望できる、直斗の隣。

 少し顔を上げれば、店の中全体をすべて見渡せる場所だ。


 わくわくするような光景に目を輝かせていると、店の奥から暖簾をくぐって幹哉が姿を現した。

 葉月と目が合うと、軽く会釈をする。

 それにつられて葉月も会釈をすると、幹哉は座敷に上がってきた。

 葉月と直斗の前に湯呑を置き、自分の分を置くと特に考える風もなく葉月の隣に座る。


 直斗と幹哉に挟まれる形となった葉月は、できるだけ小さくなろうとした。

 しかし二人は特に気にしていないようで、それぞれがお茶をすすっている。

 昨日と同様に香ばしいほうじ茶の香りがするが、葉月は手を付けられないでいた。


「どうしたの? みーちゃんのお茶、いらない?」


「あ、いえ! そういう訳では……!」


 ふいに直斗に声を掛けられ、葉月は反射的に直斗の方を向く。

 しかし直斗は楽しそうににこにこと笑っており、反対側の幹哉は何も聞こえていないふりをする。

 どうやらからかわれていると分かった葉月は、途端にむっとした顔になった。


「酷いですよ、望月さん! からかいましたね!」


「あははっ。ごめん、ごめん! だって変に緊張してるんだもの」


 明るく笑い飛ばす直斗に、葉月はさらにむすっとする。

 そう、直斗はこういうことをしてくるのだ。

 対して幹哉はずっと黙ったままで、二人のやり取りを見ているだけ。

 しかし湯呑に隠れた口元は少しだけ上がっており、楽しんでいるようだった。


 そのおかげか、葉月の緊張は簡単に解れた。

 他愛もない会話をしながら、束の間のお茶会を楽しむ。


「そう言えば、いつ片付けるんだ。あれ」


 突然そんなことを言い出した幹哉は、腕を組みながら店の片隅に目をやる。

 葉月もつられて同じ方を見ると、そこにはいくつもの段ボールが積み上げられていた。

 恐らくそれらは店で売る商品の在庫のようで、運び込まれてそのままのようだ。

 大きいものから小さいものまでさまざまな大きさの段ボールは、今か今かと片付けられる時を待っているらしい。


「あー、そうだよねぇ。あのままにしておく訳にもいかないし、片付けないといけないんだけどぉ……」


「これだけの量をしまう空間を確保して、数を数え。その後店先に出ている在庫と照らし合わせながら品出しだなんて、時間がいくらあっても足りないぞ」


「分かってるよ、もう。みーちゃんは小言が多いんだから」


「みーちゃん言うな」


 急に始まった店の運営に関わる話に、葉月は知らず知らずのうちに黙り込む。

 確かに店の経営に関して素人の葉月から見ても、あの量は大変だろうということが分かる。

 何か手伝いができたらとは思うのだが、自分はただの客であり勝手なことをいうものではないと口をつぐんだ。


「僕たちだけで終わるかなぁ。お客さんの対応もしなくちゃいけないしさぁ、忙しいなぁ」


「俺も連日は疲れる。お前はさっさと人を雇え」


「えー、そう言われてもさぁ。こんなおんぼろ文房具屋に働きに来てくれる人なんて、どこにいるっていうのさぁー?」


 間延びした喋り方をしながら、直斗が大きなため息をつく。

 そしてちゃぶ台にだらりと身体を寝かすと、じっと葉月の方を見た。

 一瞬の間が空き、葉月ははっとして目を丸くする。

 そして幹哉の方を振り返ると、ちゃぶ台の開いた空間にしなだれかかるようにして肘を付き、葉月を見ている。


 葉月は直斗と幹哉を交互に見ながら、おろおろとし始める。

 やがてぐっと俯くと、意を決したようにこう言った。


「あ、あの……! 私でよければ、お手伝いさせてください!」


 ぎゅっと目を閉じてそう言った葉月だが、直斗たちは黙っている。

 思っていた反応が返ってこなかったので、葉月は恐る恐る目を開けた。

 すると直斗が深くため息をつきながら身体を起こし、しかしすぐにまたにこにこと笑みを貼り付ける。


「いやー! お客さんにそんなことさせる訳にはいかないよ! いくら何も買わずにお茶啜ってるだけだって言っても、お客さんはお客さんだもん!」


「うぐ……」


「おい、直斗。そういう言い方をするな」


「だってさぁ、この子全然会話できないんだもん」


「なお」


 幹哉が咎めるようにきつく言うと、直斗は途端に口を尖らせながらそっぽを向く。

 そのぶすくれた顔は、どこか子供のようだ。


「だってさ、みーちゃん。僕、お手伝いさんが欲しいなんて一言も言ってないよね? 従業員が欲しいって言ったよね?」


「直接入ってないが、そういう意味合いでは言ったな」


「なのにこの子ったら。お手伝いしますーだなんて、謙虚ぶっちゃってさ! なぁんでこんなに自信がないんだろうね!」


「もういい加減にしろ、なお」


「ほら、言ってごらん? 『ここで働かせてください!』ってね!」


 今までそっぽを向いていた直斗が、急に葉月を見る。

 そして口を尖らせながら、駄々をこねたように催促をした。

 葉月はあまりのことについていけず、おろおろとするばかりだ。

 その間も、直斗はじっと葉月を見ている。


「どこの湯屋で働かせる気だ……。本人の意思は尊重しろ」


 呆れながらそう言った幹哉は、いよいよ頭を抱えた。

 葉月は自分の中で、働きたい気持ちと邪魔をしてはいけないという気持ちの板挟みになりながら黙る。

 進学もできず、働き口もない。

 そんな自分が嫌で嫌で仕方がなかった。

 だから今日も笑顔で家を飛び出し、ふらふらとこの店に足を運んでいる。


 ここで働くことができたなら。

 昨日の手紙にも書いたし、今でも本気でそう思っている。

 しかしいざその機会が訪れると、本当に飛びついていいのかと不安になるのだ。

 もし続かなかったらどうしよう、足手まといだったらどうしよう。

 もう来るなと言われたらどうしよう。

 そうなってしまったら、自分の心のよりどころがなくなってしまったら。

 きっと葉月は耐えられないだろう。

 だからこそ、働かせてくれなどという勇気が持てないのだ。


 葉月は段々と拳を握り、ぐっと奥歯を噛み締める。

 言いたい言葉を懸命に飲み込もうとしては、せり上がってくる葛藤をやり過ごそうとした。


「あー……、なんかごめんね? やっぱり僕らだけでやるよ。君はここでのんびりしておいて」


「え……」


 そう言うと、直斗は不意と顔をそむけてしまう。

 葉月に背を向け、座敷から降りる。

 そのまますたすたと段ボールに近付き、届いたものを確認し始めた。

 急に突き放された葉月は、自分の決断力のなさに絶望する。

 せっかくの機会を、自ら棒に振ったことに焦りを覚えた。

 今すぐに直斗を追いかけようにも、身体がいうことを利かない。


 そんな時、隣で動く気配を感じた。

 葉月がぱっと振り向くと、幹哉が湯呑を片付けている。

 何だかんだ言って助け舟を出してくれると甘えていた葉月は、今度こそ絶望した。


「まだ飲むか?」


 幹哉がそう聞くと、葉月は首を振って返事をする。

 そうかと短く返事をした幹哉は、葉月の前にある湯呑も下げた。

 盆を持ったまま座敷を降りた幹哉は、直斗に声を掛けながら近付く。

 直斗は面倒だと文句を言いながらも、荷解きを始めている。

 そんな様子を葉月は眺めることしかできず、心ばかりが焦っていた。


「ねぇ、早く。それ片付けてきてよ。早くしないと日が暮れちゃうよぉ」


「分かった、分かった。水に浸して来るだけだから、荷を解いてろ」


「早くねー?」


「分かったって」


 そんなやり取りをしながら、二人は店の仕事を始める。

 直斗が全ての段ボールを開け、納品書を引っ張り出し終えることには、幹哉が奥から顔を出した。

 それをあぁでもないこうでもないと言いながら仕分けていると、突然大きな声が飛んでくる。


「ここで働かせてください!」


「……え?」


「ここで働きたいんです、ここで働かせてください!」


「……」


 直斗たちが声のした方を振り向くと、そこには葉月が立っていた。

 靴も履かずに足を揃え、手も揃えて深々と頭を下げている。

 しばらくの間、誰も喋らなかった。


 直斗は納品書を片手に葉月に釘付けで、幹哉は段ボールを抱えてぽかんとしている。

 葉月は頭を下げたまま、ぎゅっと手を握っていた。


「……だから、どこの湯屋で働く気だって」


 ふっと、幹哉が噴き出す。

 それにつられるようにして、直斗も腹を抱えて笑い出した。


「ほんとにそのまま言うの? 可愛いね、君! 僕、そう言うの好き!」


 幹哉が静かに腹を抱えながら笑い、直斗が同じく腹を抱えて大笑いをする。

 二人が笑っている様子を、葉月は呆気に取られたように眺めた。

 そしてひとしきり笑った直斗たちは、目尻に浮かんだ涙を指で拭いながら深呼吸をする。


「あー、久しぶりにこんなに笑ったよ。ねぇ、みーちゃん?」


「ほんとにな。お前、案外単純なんだな」


 そう言って再び笑い始めようとする二人に、葉月は途端に恥ずかしくなる。


「もう! 望月さん! 明智さん! いい加減にしてください!」


 途端に直斗たちを睨みつけて、葉月が怒る。

 すると直斗は肩を竦めながらも、笑いをこらえながらこう言った。


「うんうん、ごめんね? じゃあ、みーちゃん。作業着、持ってきて?」


「分かった。……それで、色は?」


「もちろん、黒だね」


 直斗がそう言うと、幹哉はまだ笑っているのを隠すように口元に手を当てながら奥へ引っ込む。

 未だに笑われていることに納得がいかない葉月は、とりあえずその場にいる直斗を睨んだ。


「みーちゃんから着替えを受け取ったら、奥で着替えてね。大丈夫だよ、ちゃんと更衣室あるからね」


 にやけた顔のまま葉月の方を見ずに言う直斗は、納品書で口元を隠している。

 笑われ続けて不機嫌なままの葉月は、ずんずんと直斗に近付いた。

 それに気が付いた直斗は、納品書で顔を隠しながらそっぽを向く。

 葉月は負けじと直斗の顔を覗き込み、直斗がまた逃げる。

 それを繰り返していると、奥から幹哉が戻ってきた。


「……何やってんだ、お前ら」


「……明智さん? ここで働かせてください!」


 ぱっと幹哉を振り返った葉月は、ぐっと眉間にしわを寄せてずいと前に出る。

 幹哉を下から見上げながら、真剣にさっきと同じことを言った。


「っ!……分かった。ほらこれ」


 すると幹哉は口元を緩ませ、吹き出しそうになるのを我慢する。

 そして葉月に押し付けるようにして、奥から持ってきた作業着を渡した。


「ここで! 働かせてください!」


 葉月はそれを受け取ると、幹哉の目をじっと見つめたまま同じことを言う。


「分かったから! 早く着替えてこい。すぐそこの更衣室……」


「ここで! 働かせて! ください!」


 無理矢理にでも話題を変えようとする幹哉を遮って、葉月が同じ言葉を繰り返す。

 葉月からしたら清水から飛び降りる覚悟で言ったことなのに、ここまで大笑いされることが腹立たしいのだ。

 これくらいの仕返しは許されるだろう。


「分かった、って……。いいから早く……なお」


 何度も繰り返され、逃げ道を断たれた幹哉がたまらず直斗に助けを求める。

 すると葉月は幹哉から標的を変え、今度は直斗に迫っていく。


「望月さん? ここで働かせてください!」


「あっははは! もう駄目、無理! うんうん、もちろん! だからもう止めて、水無瀬さん……!」


 先程からずっと我慢していた直斗だが、改めて標的にされるとは思っておらず白旗を掲げる。

 再び目尻の涙を指で拭うと、一息ついてにこりと笑って見せた。


「ようこそ、まほろばの月へ。これからたくさん働いてもらうよ、水無瀬さん!」




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