第四話 「荷解き」




 ひと騒動あったのちに、幹哉に案内された更衣室で着替えを済ませた葉月。

 更衣室は店と裏方を仕切る暖簾をくぐってすぐの部屋で、着替えや私物は先頭のようにかごの中に入れておけるようになっていた。

 基本的には葉月しか使わないようで、かごは1つだし他に荷物もなかった。

 では、直斗と幹哉はこの店に住んでいるということなのだろうか。


 そこまで考えると、葉月は慌てて頭を振ってくだらないことを考えるのをやめる。

 幹哉に手渡された、あまり気なれない作務衣に戸惑いながらもなんとか身に着ける。

 思ったよりも簡単に着られたことで少し得意になった葉月は、意気揚々と更衣室を出た。


 すると既に、直斗たちが荷解きの続きをしている。

 襷をして邪魔にならないように袖をしまい、納品書と見比べながら届いたものを検品していた。

 そう言えばと、葉月は二人が今日も着物を着ていることに気付く。


 直斗は白練しろねり色の無地の着流しに、紅海老茶べにえびちゃの帯。

 葉月が着替える前までは、紺桔梗色の無地の羽織を着ていた。

 荷解きをするうえで邪魔になると、脱いでどこかに置いているのだろう。


 一方の幹哉は、葡萄色えびいろの着物に象牙色の帯だ。

 直斗と同じように、先程まで黒鳶色くろとびいろの羽織を着ていたが、今は脱いで襷をしている。


 とことん和の雰囲気漂うこの店で、しかし直斗たちはごく普通の振る舞いをする。

 確かに所作は美しいが、行動が何というか。

 子供なのだ。


「ねぇ、みーちゃん、これいくつ注文したのさ。ちょっと多くない?」


「何言ってんだ。お前がいるって言ったんだろ?」


「えー、言ってないよ。だっていっぱいあるはずだもの」


「いや、無かったしこれからの季節いるから大目にって、お前が言ったんだろ?」


「はぁ? 言ってないし!」


「言ったんだよ! ほら、在庫帖見てみろ」


「えー……? ……あ、ほんと。割と少ない」


「そうだろうが」


 と、こんな会話を繰り広げては、何だかんだと手を動かす。

 そんな微笑ましいところに割って入るのは気が引けた葉月だが、このまま黙ってみているだけというのはいただけないと会話に参加する。


「あの、私は何をしましょうか」


「あぁ、着替えたんだね。似合ってるよ」


「ありがとうございます」


「それじゃあ早速、物から覚えてもらおうか」


 直斗はそう言うと葉月に納品書を渡し、レジの裏手に回って引き出しから鉛筆を取ると一緒に納品書を覗き込む。

 そして物は試しとやって見せながら、葉月に手順を伝えていった。


「僕たちが物の名前を言うからね。そしたら君は納品書の中から品名を辿って、個数をおしえてくれるかな。それで僕たちが数を数えるから、問題なければ品名の隣にチェックマークを書いていってね」


「はい、分かりました!」


「品数は多いけど、まぁ言っても文房具だからあんまり知らないものはないんじゃないかな。でも、何か分からないことがあったら言ってね」


「はい!」


「じゃあ、やって行こうか」


 そうして、直斗たちは作業を始める。

 やっていくと目がうろうろして大変だったが、それでも知らない物はほとんどないので困ったことは起きなかった。

 それに直斗と幹哉が途中で軽口をたたくので、葉月は無意識に入っていた肩の力を抜くことができたようだ。


 納品された品々が確認できると、次の作業に移る。

 直斗が説明をする前に、幹哉が早速動き始めた。


「なお、今必要ないもんは倉庫に持って行くぞ」


「うん、そうだね。こっちは僕と水無瀬さんに任せて」


 直斗がそう言うと、幹哉はちらりと葉月を見る。

 そうしてふっと笑うと、幹哉は両手に品物を抱えたまま暖簾の奥に消えていった。


「じゃあ、ここからが大変な作業ね。最初のうちは全然覚えられないと思うから、少しずつ覚えて行こう」


 あの笑みはどういう意味だったのかと葉月が考える前に、直斗が声を掛ける。

 今葉月たちの前の前には、ただ数を確認するためだけに無作為に置かれた商品が並んでいた。

 そう、葉月たちはこれからこの商品たちを所定の位置に仕舞わなければならない。

 大方は店の中に陳列されている商品の近くに仕舞うのだろうが、見える限りでもこの場に並んでいない物がある。

 それらをひとつひとつ、場所を覚えなければならないのだ。


「が、頑張ります……」


 その返事を聞いた直斗は、にっこりと笑って葉月の手から納品書を取り上げる。

 急なことにぽかんとした葉月を放って、直斗は優雅な仕草で座敷の腰かけた。


「じゃあ、最初は……。角2の封筒からいこうか」


「へ……?」


「うん?」


 直斗はにこりと笑ったまま、小首を傾げる。

 そのまま何も言わず、葉月が動くのを待っているようだ。

 しかし葉月はどうしていいのか分からず、おろおろとするばかり。

 それでも直斗は動かなかった。


 少しの間おろおろとした葉月は、そこでようやく直斗が指示役で自分が動くのだと理解した。

 はっとして無作為に置かれた品々の中から、角2の大きさの封筒を探す。

 角2と言われても、具体的にどの大きさなのかは分からない。

 しかし複数枚が束になっている状態で納品されているため、種類別でどの大きさなのかが書かれた紙が挟まれている。

 それを見ながら探し、目的の封筒を見つけると抱えて直斗を振り返った。


「うんうん、それだね。じゃあ、そのまま回れ右をした正面の棚の、レジの外。左から3番目の一番下の引き出しを開けて」


「は、はい……!」


 どうやら直斗は完全に動く気がないようで、にこにこと笑いながら葉月に指示を出す。

 葉月は直斗が言った言葉を忘れないように復唱しながら、言われた場所の引き出しを開ける。

 するとさまざまな大きさの封筒が仕舞われていて、角2の大きさの封筒が残り少なくなっていた。

 葉月はそこに持っていたすべての封筒を入れ、引き出しを閉める。


「はい、よくできました。それじゃあ、続けるよ?」


 そこからは、葉月が思っていたよりも大変だった。

 あわあわしながら品物を探しては、ばたばたと店中を走り回る。

 インク瓶やガラスペンなど、取り扱いに注意しなければならない物もあっていっそう緊張した。

 そうして大方片付くと、盆を持った幹哉が暖簾をくぐって顔を出す。


「そろそろ休憩にしないか」


 幹哉がそう言うと、直斗は納品書を畳の上に置く。

 葉月はこの時点でくたくたになっており、幹哉の助け舟に大いに安堵した。


 直斗が楽しそうにしながらちゃぶ台に向かい、幹哉が静かに座敷に上がる。

 葉月は疲れてのろのろと座敷に辿り着くと、幹哉の後ろを回って壁際の席に座り込む。

 直斗がにやにやとしながら葉月を眺め、幹哉がそっと湯呑を置いた。


「あれあれぇ~? 君、どう見ても僕らより若いのに、もうくたくたなのぉ?」


「望月さんはずっと座ってただけじゃないですか!」


 煽るような物言いの直斗に、葉月はすぐさま噛み付く。

 すると直斗はにやにやと笑って、幹哉の方を向いた。


「ねぇ、みーちゃん。水無瀬さんってさ、小動物みたいで面白いんだよ?」


「そんなことだろうと思った。遊ばれてるな、お前」


「やっぱりそうなんですか?! 道理で一緒に片付けちゃった方がよかったものを、後から後から片付けてるなと思ってたんです!」


「なぁんだ、気付いてたんだ。賢いねぇ」


「思ってないですよね!」


「えー……?」


 ちゃぶ台に頬杖を付き、にこにこと笑っている直斗を睨みつける葉月。

 その様子を見て、幹哉はやれやれと呆れて笑いながらお茶をすする。

 しばらくして休憩が終わると、再び作業が始まった。

 今度は幹哉も一緒に片付けてくれるので、休憩前よりもずいぶんと捗る。

 そうしてようやく片付いた頃には、昼を回っていたのだった。


「はい、お疲れ様。もうすぐみーちゃんがお昼を持ってきてくれるから、それまで休憩ね」


「お疲れ様でしたぁ……」


 幹哉が手伝ってくれていたとはいえ、食事の用意のために途中で抜けてしまった。

 そうするとまた直斗の意地悪が始まり、葉月はあたふたしながら店を駆けまわる。

 ようやく言い渡された休憩に、言い知れない達成感を覚えたのだった。

 座敷に上がって壁に寄り掛かると、葉月は綺麗になった店内を見渡す。

 納品された品々を出してすぐは、とても接客ができるものではなかった。


 そこでふと、葉月は店の入り口を見る。

 古い引き戸の上半分にはガラスが嵌められており、そのガラスには模様が入っている。

 その片方には貼り紙があり、例の文句が書かれているのだ。

 開店していることを知らせる暖簾がわずかに風に揺れる様は風情があるが、そこに来客の姿が見えることはない。

 こんな状態で経営は成り立っているのかと葉月がぼんやりと考えていると、直斗が真剣な顔で声を掛けてきた。


「じゃあ、水無瀬さん。お給料の話をしようか」


「あ、はい……!」


 直斗の言葉に、事態が現実味を帯びた。

 確かに働かせてくださいと言った以上、葉月には給料が発生する。

 そしてまだ、その話をしていなかった。

 葉月は居住まいを正し、真剣な顔をして直斗に向き直る。


「君がどのくらい欲しているのかは、僕には関係ない。でももちろん、無償で働かせる気はないよ。だからこれだけは言える」


 そこで一旦言葉を区切った直斗は、葉月を真っすぐに見つめた。

 葉月も固唾を飲みながら直斗をまっすぐ見つめ、静かに頷く。


「……今日から1ヶ月、僕がたくさんあげたいなぁって思うように頑張ってね!」


「はっ……えぇ?!」


 直斗の言葉に、葉月がぽかんとする。

 正直なところ、普通の会社に就職するほどは貰える訳がないと思っていた。

 ただ、働き口ができただけでも葉月にとっては幸運だというのに、そこまで望むのはおかしいと思っていたのだ。

 だからどんなに安い金額を告げられようとも、甘んじて受け入れるつもりでいたのだが。

 具体的な金額ではなく、むしろ頑張りを期待されたことに目を丸くする。


「大丈夫、心配しないで。困るようにはしないからさ」


 にかーっと笑った直斗に、葉月は困惑しながらも頷く。

 この先がどうなるかは分からないが、自分の頑張り次第なのならやるしかない。

 そう決心して、葉月が改めて働くことに前向きになるのだった。



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