13/深海のリトルクライ(My Fair Lady.)




 ――今は遠い日を観ている。


 まゆに包まれた幼虫のような自分は、繭に包まれた幼虫のようなので、手足のひとつさえ動かせない。


 刺すような強い光と、穴のように青く深い空。機能し始めてそう経っていない眼球。唯一自由に動かせる口で、あらん限りに泣いて叫んでみたが、誰も助けてはくれなかった。


 たいへん遺憾だが、自分の世界はこれで全てらしかった。


 残酷な程に美しい世界。寂寞なほどに広い空。自分の他に誰もいない海。


 ただ――果たして本当にそんな体験をしていたのか解らないけれど。揺り篭で揺らされているような揺れだけはあった。


 呼吸は浅くなり、涙を流す瞳は既に渇き、かわりに空はとても美しい夜へと移っていた。


 ――誰かの気配がする。誰かは解らない。というか、なんてものが、解らない。


 世界はきらきら輝いていて、その美しさは残酷なまま、死に逝く自分を見下ろしたまま、――


 ――あぁ。だから。奇跡みたいな夜だったんだ。



 嘘みたいな話だけど、知能発生前だからと甘く見ないで頂きたい。


 ばっちりしっかり、その夜のキミの顔を、今でもちゃんと、覚えている。


 煌く星と月の残酷さ。それよりキレイな、それでいて温かみのあるの顔。



 あんまりにも完璧なシチュエーションだったのだ。


 月が綺麗なので、オレは死んでもいい、と。心からそう思えたんだった。



 ――あぁ、これ便か。末期に観るにはかなり上等。頑張ったなオレ!


 でも、結局この時も、最後も、オレは彼女にこんな顔させてばっかだなァ。笑顔で別れたかったもんだぜ。




 /





 夢から目を醒ます。揺らぐ視界。空気が揺らいでいるのではない。幼い頃から当たり前で、ワリと最近はご無沙汰の『海中での目覚め』だった。


 苔の生えた石造りの天井が懐かしい。懐かしい、――ぬ?


「――あれ、オレ生きてる?」


「リチャード……?」


 顔を動かすと、そういや最期にもっかい見たかったなーとぼんやり諦めてた顔があった。


 水中では涙もクソもないけど、きっと彼女は泣いているのだろう。


 右手、は動く。震える彼女の手を取ろうと伸ばして、止めた。


 口ではどんなに強がったって、カラダは正直。


 生理的に、オレらと彼女らは相容あいいれない。


 ので、逆に握られて驚いた。






 まことにしまらない話であるが、オレことリチャード=ジノリは再び、海の民に命を救われたのだった。


「や、でもナシでしょ。流石に二回目はバァ様もマジギレでしょ。っていうか約束破ったしね! ごめん人魚ちゃん!」


 身体を起こす。


 うおスゲー。腹の銃傷なくなってンDEATHけど!


「……ばか。一回も二回も変わらないわよ。お婆様だって言ったもの。私達はニンゲンが嫌いだけど、そんなに冷たくなんてないわ」


 そうして抱きしめられる。


「うん。海のように広い心に感謝するね。……あ! オルカは!? あとブラックダイヤちゃん!!」


「オルカなら外にいるわ。……船は、消えてしまった。貴方が海に落ちてすぐ。――?」


「oh……」


 怖ェ。



 それから左手の薬指を見る。ブラックダイヤモンドで出来たリングは、変わらぬ煌きを放っていて……


「っはぁーーーーーー! 万事OKだァー! あー! なんだ、うん! 死ぬかと思ったね!!!」



 ようやく、彼は自身の生還を実感できた。


「ばかっ!! 本当に無茶ばっかりして……! 貴方が死んだらどうするの!? 私、どうすれば良いの!!」


 顔をうずめて胸を叩くフラメシア。思わず抱きしめようとして、びくん、と手が震えた。


 ――うん。全力でトラウマになっているなぁこれ。


 深呼吸一回。色々覚悟して、人魚を抱きしめる人間の腕。


 半ば想定していた拒絶の代わりに、ぐすんぐすんとしゃくり上げる嗚咽おえつだけが返ってきた。



「ありがと。それからごめんな、どうしても、譲れなかった。海賊ってのは自分勝手なんだ」


 ばか、ともう一度胸を叩かれる。その重みが、心臓に響いた。



 彼の譲れなかったこと。


 自由だとか、私達のこととか、きっとそういう、形のないものばかりなのだろう。



「だから、うん。失くしちゃう怖さに比べれば、キミの名前を呼べないことも、オレに名前が無かったことだって、全然へーきだった」


 彼が私達の一員である為の三つの縛り。


 それは、なんてことなかったんだ、と彼は笑った。


「あぁ……でも」


 私を抱く手と、声が震える。












「最後のだけは、キツかったなァ。……ほんと、にさ。……この都の、みんなの事を、胸張って『これがオレの家族だ』って、言えないのだけは、そういうことがある度に、何度も、オレは」


 、と。


 ――彼に架せられた三つの呪い。どれが一番、彼にとって辛いものだったのか。


 海に同等圧の涙が混じる。――今は、その温度さえ、愛おしく思えた。



「もう。こんなに大きくなったのに。……キミが泣き虫なのは、相変わらずね」


 するりと首に手を回す。




 頬に寄せ、次は唇。



「ねぇ、リチャード」


 このひとを救った一度目以来の超覚悟。深い夜の海の色をした瞳を真っ直ぐ見つめて。







「――私を一緒に連れていって。キミとだったら、私はきっと、どんな世界でも大丈夫」


 瞬きは二回。それから、太陽のような大好きな笑顔で、






「ごめん、それ無理!」


 彼は私の一世一代の告白を、これでもかというくらい完璧に盛大にお断りしやがったのである。



「HAHAHA!」


 HAHAHAじゃないわよ!?



「や、ごめん。でも嫌だよオレ!」


 海風のような清潔さだった。いっそ貝になりたい。



「オレは、キミが大好きなんだ、フラメシア」


 しかも卑怯。振っておいて名前を呼ぶ。地上で女遊びが過ぎたのだ。もっとこう、がんじがらめに海に閉じ込めておけば。















「……。キミが『泡になってしまう結末』も、キミの『声が失われる』未来もさ」


“ニンゲンと関わった人魚の結末なんて――”



「そんなの、ただの御伽噺おとぎばなしじゃない……」


「でも、やだよ」


 そんな不安を抱きながらの航海は、と彼は。泣きそうな顔で笑う。


「すーげー恥ずかしいけど、オレの初恋はキミだ。もういつか覚えてないけど、オレは人魚に恋をした。だから、それでイイと思うんだよ。オレは人間で。キミは、人魚のままで」


 、と言う。


 そう言われたら、もうこっちは引き下がるしかないじゃないか、ばか。



「……ヒドい奴。大方その“奇跡”もそうやって垂らしこんだんでしょう。私を振った罪は、重いんだから」


 


 


 それを、『愛の力』だと言ってやりたいけれど。言い切りたいのは山々なのだけれど。


 ――きっと彼は、私に言っていない、何かを支払ったのだ。


「うぅん」


 頭を振って、くらい考えを払拭ふっしょくする。




「それはそれとして、リチャード。私はニンゲンが嫌いよ。粗暴だし、礼儀はなってないし、気持ち悪い。 リチャードだけは別だけどね」


「うん。それはもう嫌ってほど知ってるよ!? 種族的に流石に凹むぜ!?」



「そんなニンゲンの女がキミをこれから手に入れる未来なんてしゃくだわ」



「……What?」



 貝のベッドに身だけ起こしている彼を再度押し倒す。



 獲物を奪う海賊のように。











「人魚のを教えてあげる。――だから、私の事、忘れないでね」



「……お手柔らかに頼むよ。ってのは、笑い話すぎる」


 屈サズの『黒旗』を掲げる海賊は、そうして両手を挙げて、生涯初の『白旗』を挙げたのであった。






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