11
彼は大きく息を吐き、そのまま後ろに倒れる――ところを、寄り添うように突き立った
《理解しかねる》
「……HA。海賊ってのは、メンツが二番目くらいに大切なのさ。どう、カッコ良かったでしょ、オレ」
応える“声”はない。
おそらく、地上の誰もが
潜伏先を突きとめ、単独で海賊のアジトを制圧。脅迫に似た交渉の末、人魚を救い出すことに成功した男は今、
「――、は、あ……ッ!」
こぽり、とそこの抜けた瓶のように、腹に空いた穴から
真夜中の海。黒く美しい光の甲板に、その赤色はあまりにも目立たない。
《役者には向いているかもしれない》
「イイね、ギャラリーを沸かすのは楽しそう、ごほっ、ごほっ」
彼は確かに、単独でのミッションを成功させたが。その制圧に、どうして何の損害もない――と言い切れたろう。
眉ひとつ動かさずに交渉を行ったあの瞬間、相手に向けたピストルに弾なんて入っていなかったというのに。
驚嘆に値するのはその強さではなく――ひとえに、それを誰にも悟らせずに事を成しきった度胸と胆力だろう。
フラメシアが不快感を覚えなかったのも当然だ。抱き上げられた時、彼の身体は既に血を失い過ぎていた。動転した気と、全滅させた人間の血で、ただ惑わされただけ。
それを明かすつもりもない。
彼女が嫌がらずに腕に収まった。その感動の方が、流れ落ちる赤よりも、ずっとずっと力になった。
だから、海上でそれを知るのは彼と、彼の愛船ブラックダイヤ、そして彼のたったひとりのきょうだいだけ。
加えて状況は最悪に近い。
《それで、どうするの?》
海賊船ブラックダイヤに搭載された火砲一式。
大砲。両舷・各八門。船首・三連カノン砲。“鉤燕”の
それだけあれば、大立ち回りが充分に出来る。
ただ。
《火薬と砲弾は≪私≫にはない》
そう。その辺は自前で用意しなければならない。
「HAHAHA。最初にオプションも追加で発注すべきだったぜハニー」
軽口は変わらず。状況も変わらず、ただ。
「――だけど、オレはリチャード=ジノリなんだよ」
その在り方と。
真実を知る、幾つもの『瞳』が海の下に。
「オーダーだ、キミはオレのモノ。そうだろ?」
←
――海底。
人魚の都では、海の民がその瞬間を目撃していた。海中に落ちる滝をスクリーンに、水晶玉の光が海上の光景を映し出している。
煌黒の海賊船。海の奇跡。その輝きに目を奪われ――次いで知る、瀕死のリチャード=ジノリ。
にわかにどよめき、動きが発生する寸前――あまりにも酷な声が、それを留めた。
「莫迦な気を起こすでないよ、皆の者」
コォン、と波紋を生んで床に突かれる杖の先。――人魚の
「あれは、海の上、ニンゲン同士のいざこざさね。アタシらが出す口も手もありゃしないよ」
『だが、長!』『あのままではジノが!』『見捨てるおつもりか!』『ヒトなれど共に育ったのです!』 『フラメシアを助けたじゃないか!』『ジノを助けちゃ駄目っておかしいよ!』『ねえ、長!』
「お黙り」
集中する視線。鋭い一喝。そしてまた沈黙。
「あの子はフラメシアの名前を呼んだ。もう、アタシらの仲間じゃないんだよ」
二番目の約束。
もし、彼が生きながらえたとしても、海の者の名を呼んではならない。
「あの子が自分で呼んだんだ。掟は守らなければならない。アタシら海の民は、あの上での面倒ごとに関わらない。いいね?」
『長――!』
「妙な気を起こすでないよ! これ以上、あの子から何かを奪う気かいアンタたちは」
リチャード=ジノリはフラメシアの名前を、自分から口にした。それは、彼自身が、彼等との決別を選んだことに他ならない。
「……あの子の気持ちも汲んでやりな。でなきゃ、どこの誰が自分の家族を見捨てるような事を言うんだい」
確かに。今、彼のピンチに海の民が加勢すれば状況は一瞬で終了する。
海賊と粋がったところで、所詮は陸に生きる動物だ。船に穴でも空けた途端、彼等はこの海の残酷さを知る羽目になる。
――それは同時に、彼と海の者が繋がっている証左となってしまう。今、この瞬間の彼の動機は。
「お気に入りの人魚を傷つけられた」という、あくまで人間一人の、あくまで他の人間に対する私情の範疇に納まるべきものなのだ。
だから彼は、覚悟して彼女の名前を呼び――
――嫌々ながらも、過ぎる日々の中、彼を孫のように思うようになった老人は、完全にその意図を読みきった。
「いいから見てなさい。あの子は、やる時ゃやる男だよ」
→
「オーダーだ、キミはオレのモノ。そうだろ?」
――その後、幾つもの伝説をうたわれるリチャード=ジノリ。
その一節は、こうだ。
“海の全てを手に入れたって話さ。だが知ってるか?そんなジノリの、あの海賊船に唯一無かった物があるんだ。何だかわかるか?”
「旗を掲げてくれ」
“白旗だよ。何でも持ってたあいつの船には、それだけが無かった!”
――海賊旗。海賊団のシンボルマークにして、自分の意思を何よりも雄弁に語る物。
その布キレ一枚に抱かせた想いは、海の男達にとって軽視できない重みを持つ。
相手に死か降伏かを迫る髑髏。
“奪う者”としての矜持そのもの。
夜風にはためく、彼の海賊としてのシンボルマークには、その髑髏も、交差した骨も、何もかもが無かった。
掲げる矜持はただ一つ。白旗が『降伏』を意味するものならば――
その『黒一色』の旗が叫ぶ、彼の海賊としての在り方、それは。
せり上がる血を飲み下し、いよいよキャプテン・ジノリは興が乗ったと笑って叫ぶ。
「――いざや見よ。そして
自らが“生まれた”日を思い出す。満天の星。輝く三日月の夜。ずっと傍に居てくれた、姿も解らない誰か。
心配そうに自分の顔を覗きこむ、知らない女の顔。
言っちゃないけどさ、人魚ちゃん。キミの顔の方があの星空よりずっと綺麗だったぜ。
誓いはこの胸に。たとえもう、あの場所に戻れないとしても。海の誰よりも『自由』である、という自分だけは奪わせない。
十隻の海賊船の砲がブラックダイヤに向いている。
恐れを踏破した者の一歩。遠い夜のように、自らの全てを『いま』に賭す。命を投げ打ちながら、瀕死のリチャード=ジノリは船首に立った。
天高く掲げられた三日月刀が、天空の月と重なる。
――まったく酔っぱらった話だが。この瞬間、彼は確かに『月』をその手に掴んでいた。
「秘太刀・“鉤燕”。……オレの前を遮ってンじゃねえぞ、三下ァァァ!!!」
“嘘だと思うなら一度見てみろって!そのまんまの意味なんだよ!”
そして、
“海を割るんだ、あいつの剣は!”
瞬間。与太話は現実となった。
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