9/(500)日のサマー



『人魚に遭ったらって思うとなあ! アイツらヒトを食うんだろ?』


『いやいや、海に連れ去って種馬にさせられんだよ!』


『ひゃーおっかねえ! だけどすげえ別嬪なんだろ? 人魚の女ってな。口でいいから一回くらいは』


『お前ほんとそればっかな! やめとけやめとけ。群れてる人魚なんて出くわしたら沈められちまうぜ?』


『違えねえ! ギャハハハハハ! ……お? おおい、ジノリ! キャプテン! どうした、アンタらしくない顔してンじゃねーか!』


『……別に、どってこたないよ』


 渋面のまま、言葉と一緒にラム酒を飲みこむリチャードを見て、彼の同業者たちは目を丸くした。


『ははあ。さては人魚にヤな思いでもさせられたなあ? 忘れろ忘れろ! 飲もう飲もう! ギャハハハハ!』


 肩を叩かれ、息を吐き出す。


 そして、この言葉を聞いたのだ。






“…………ったく、。”





 この連中の話を信じる意味は無い。


 ないけど。これは、ちょっと心が折れる。


 こいつらが私を凹ませる理由だって無い。……リチャードが律儀に約束を守っているのなら、私達と彼の関係性に、ニンゲン達は辿り付けないのだから。



 だから、飲みの席でのその会話が、誇張がたとえあったとしても事実で。



 というか、リチャードとの付き合いで、そういう感じも所々、たとえば、そう。



 彼が、決して私達に触れないようにしていることだとか。



 私達が、陸のニンゲンを「ニンゲン臭い」と言うように。もしかしたら、彼だって私達の事を「魚臭い」と思っているのかも知れない。



 ……キミは、心も身体も、穢れの無い海の匂いがするというのに。



“ニンゲンと関わった人魚の末路は――”


 もう、解っています。お婆様。







 /



 ドアが開いた。


 視線が集中する。


 そこには話題の男――リチャード=ジノリの姿があった。



 おおアンタか。今な、ちょうどアンタの話をしていたところさ。


 そ。はいコレ。


 よくやるように、酒瓶を投げ渡すモーションで。


“同業者”の、仲間を向かえる笑顔が、そのまま凍りついた。


 投げて寄越されたのはジノリお気に入りのラム酒の瓶などではなく。



 









 フラメシアを捕まえた海賊頭かいぞくがしら





 時間が止まっていたのはものの数秒。だが状況が決まってしまう絶望的な隙間だった。


 にぢっ、と粘ついた靴音で部屋に押し入るリチャード=ジノリ。


 我に返り、彼等が一斉に銃口を向ける頃には勝負が決してしまっていた。


「……テメェ、ジノリッッ! こいつぁ何の真似だ、あぁ!?」


 そう叫ぶかしらの喉元には、左逆手ひだりさかてに握られた三日月刀がおそろしく優しげに触れている。


 何度と無くさかずきを交わした相手が、今は自分に逆月さかづきを交わす直前だった。


 手下の首を落として間もないその、大きくった刀身の、銀の切っ先からは、ぽたり、ぽたりと。 葡萄酒のように、


 右手はもう一人――フラメシアの一番近くにいる海賊の眉間に、ピストルの銃口をぴたりと合わせている。


 状況は四対一。だが、此処で誰かが引き金を引いてさえしまえば、最低三つの命がこの場に転がる羽目になる。


「Hey、落ち着けよ兄弟」ジノリは普段と変わらぬトーンで


「オレぁ今、かーなーり努力して冷静さを保ってるンだ……うっかりキミの首を落として、その後撃たれて、心臓が止まるまでの間に、この場の全員を道連れにしちゃってもまァイイかな? くらいには、よぉ」


 そんな、壊滅的な言葉を口にした。


 ワリが合わなさ過ぎる。


 こちらの痛手と、コイツ一人の命ではワリが合わなさ過ぎる。


「……わかった。落ち着く。だからアンタもだ。……なぁジノリ、俺らは何かしちまったか。アンタの怒りを買うだけの自覚が、悪いんだが無いんだ。見当もつかねえ」


「そっか。そりゃそうだァ」


 HA、HA、HA、とリチャード=ジノリは苦しげに笑いを零した。


「泥を塗られた覚えがあるわけじゃあないよ。ただ――キミらの捕まえた子ね。オレの中で、んだな、これが」




 全員が彼から顔を背けられない。だから、目だけが、水槽に閉じ込められた人魚を盗み見るように動いた。



「…………海賊が、人魚と? ……おいキャプテン。ジノリ、何の冗談だ」


 アレは船乗りにとっての害そのものだろう、と喉が動く。


「冗談でこんな修羅場作るほど、ラムは回ってないよ。で、どうする“かしら”ァ」


 短い沈黙。



「……チ。アンタの大事じゃなきゃ良い商売だったのにな、残念だ。これで手打ちにしちゃくれねえか、キャプテン」



「そりゃイイけど、イイの?」


「イイの、って何が――――おい、アンタ」


「お察しの通りだよ」


 いくら彼等が陽気な海賊で、どれだけ酒に呑まれていようと、この事態に異常さを察せないほど気楽な職業ではない。


 だから、さっきからどれだけ待っていても、ただの一人も残りの手下が来ないというのは――


「キミらが悠長で助かったぜ。人魚ちゃんに殴られた痕ひとつでもあったら、こうやって交渉するヨユーさえ無かったねオレ。……人魚ちゃん、どう? 殴られたりした? してない? OK、交渉続行だね」


 ワリ、合わないでしょ? とジノリは笑った。


「正直、。人魚ちゃんをさらっちゃったからね。でもオレも海賊だしさ、キミらの気持ちもよく解る。“たかだか人魚一匹に、じゃぼったくり過ぎだ”、そうだろ?」


 ――海賊がおかで死ぬだなんて、やりきれなくてしょうがない、と。


「――――」



「――――」


 、とこいつは言ったか。


 じゃあ、もう残っているのは……



「裁判なんてやる気ないでしょ。どっちに非があって賠償はいくらだの、罰はどんなんだの、そういうのはさ。そう、おかの人間の、カタギがやればイイじゃん?」


 その上で、彼は鮫の様に――いや、シャチのように笑った。





「オレもキミも、同じ海賊のアタマァ張ってンだ。沖に出ろよ。勝った方が総取りで、負けたら全部奪われる。判りやすいだろ?」



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