/swallow.



                彼は人間である。名前はまだ無い。



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 赤子の命を救う為に人魚の女が飲み込んだ約束は三つ。


 彼に名を与えない。

 彼に名を呼ばせない。

 彼に出自を言わせない。





 ――その三つの「呪い」の中で、どれが一番、彼にとって酷なものだったろう……?







 赤子が幼子となり、他者の顔を覚え、景色を覚え、顔を覚え。


 幼子が少年となり、善意を知り、悪意を知り、世界を知り、ルールを知り。



 それだけの時間が流れすぎても、彼と彼を取り巻く日常に、そんなに不都合は発生しなかった。




 人魚たち海の住人が棲む深海の都に、人間は彼しか居なかったのだし。


 彼の周りには、人間がひとりだって居なかった。


 ほかの人間とは、育った世界が違うだけで――実際、彼と彼以外の行ってきたことは「外」と大差が無かった。


 知らない存在なので、忌避きひと警戒をする。時には嫌悪し、また時には好奇心が顔を覗かせる。


 鱗が一枚も生えていない/鱗だらけの 体だったり。

 ある祈りから/生まれながらに 海中で当然のように喋ったり。



 ぶつかりあったり遠ざけあったりしながら、彼は彼等と打ち解けていった。







 持って生まれた気質なのか、それとも環境が形作ったものなのか。


 彼は、とても素直に感情を表現する子どもに育った。


 太陽のように笑い、雨のように泣き、月のように悲しみ、嵐のように怒る。


 フラメシアの拾った子どもは、おおむねそんなふうに育ったのだった。



 彼に名前をつける者はおらず。


 彼の唯一のは、そもそもにして言語による意思疎通を必要としていない動物だった。



 彼に名前が与えられなかったからか、片時も彼の傍を離れようとしない彼の「きょうだい」――たったひとり、彼が家族、と誰はばかることなく言えるそのシャチは、そのまま“オルカ”と、彼と都の民に呼ばれていた。






 やがて彼はオルカと共に都を出て、外の世界を頻繁に見に行くようになっていった。


 人魚――フラメシアは思う。



 息が詰まった、のではない。

 きっと、ただ空の下を見てみたくなったのだろう、と。


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