久方ぶりの対面


 実は父と間近でまみえるのは、母の大喪(葬儀のこと)以来だった。

 もともと、一月ひとつき二月ふたつきもまったく会えないこともよくあったので、別に特異なことでも何でもない。齋王とその王女むすめという、いわゆる庶民よりも距離のある間柄であるため、まあ仕方ないといえばそうなるだろう。

 それは、世間での父子の距離感からしたら遠すぎるものだったかもしれない。しかしそれ以上は、父の背負っている数々のモノが、許してくれなかった。

 それでも、ない時間をやりくりして、王妃である母の元に父はよく来てくれた。

 瑛凛えいりんは、物心がつくころには父の背負っているモノの大きさに、薄々と気が付いていた。幼いながらも、父は自分たち家族のものだけではないことを、よくわかっていた。

 だから、父があまり自分たちを訪ねてくれないことを、一度も責めようとしたことはなかった。文句を言わなかった。

 ただ、後宮に――――自分たちの家に帰ってきたら、齋王ではなく父親になってくれる。それだけで、十分すぎるほどだったからだ。

 途中、分かれ道に出会うも、瑛凛は迷うことなく片方の道を選び、父の元へ進んでいく。

 そうしているうちに、道の終わりが見えた。

 それまで道の両脇にあった花々や木々の姿がなくなり、視界が一気に開ける。

 そこには、清らかな水がこんこんとわき続ける泉のような池があった。

 池には、蓮や睡蓮の葉が浮いている。爽やかな風が、水面みなもを揺らし、さざ波をたてていた。

(たしか……………ここに、あずまやがあったはず)

 瑛凛は、池のそばを歩きながら、くだんのものを探す。

 やがて、四阿あずまやが向こうにうっすらと現れ、そこに、人影が見えた。

 瑛凛は、ゆっくりとその人影に近づく。

 コツ……コツ……と、上品に靴音を立てながら。

 そうして、あと十歩ほどで四阿のきざはしの前に着く、その時。

 ザァ――――っと強い風が吹いた。

 瑛凛は、思わず目をつぶり、衣の袖を顔に当てる。

 やがて、初夏の緑を、池の水を巻き込んだ風が去っていたあと。

 恐る恐る目を開けた瑛凛は、次の瞬間、目を大きく見開いた。

『ちちうえ…………っ』

 驚いた瑛凛は、はっと我に返ると、右手で口を覆った。

 逆光でその表情は伺い知れない。ただ、まるで巨大な黒い影が目の前に立ちはだかったように見えたから。

 これが…………わたくしの、父上か。 

 いや、ちがう。自分の前に立つ人物は、この国の齋王だ。

『…………へいか。もうしわけ、ございません』

 瑛凛は、電光石火の勢いでその場に跪いた。

『へいか。ごきげんうるわしゅうございます。齋瑛凛、おめしにより、ただいまさんじょうつかまつりました』

 瑛凛は、抑揚のない声で、口上の言葉を述べた。 

 早くから宮廷の礼儀作法のすべてを教え込まれている瑛凛にとって、この位は造作もないことだ。

 そんな、宮中でも滅多に見られぬほど優雅で完璧な仕草で臣下の礼を捧げた娘の姿を今上の齋王――――さい幸明こうめいは、冷然にも近い表情で見下ろした。

『……………………齋瑛凛。面を上げよ』

『おこころづかいに、かんしゃもうしあげます。へいか』

 瑛凛は、父王の許しを得て、深く下げた顔を静かに上げる。ただ目は伏せたままで、父の顔を直接見ようとはしなかった。

 どのような表情かおで、父と向き合えばいいか、わからなかったからだ。

 ここまでの道中、覚悟のようなものはつけてきたと思っていた。でも…………。いざ、父王の御前に参ったら、わからなくなった。

 そんな、王女むすめの気持ちを読み取ったのだろう。

 幸明は、瑛凛に立て、と短く命令する。

 それから四阿の階を下り、瑛凛の前を通り過ぎると、彼女の方へふり返ることなくこう言った。

『……………ついてきなさい』



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