変装


 王都一の茶楼さろう宵月楼しょうげつろうで、おいしい料理を楽しんだ晏如たちは、東の市を後にし、西の市に向かっていた。

永月えいげつさま」

 晏如は、自分の前を行く瑛明えいめいに、宵月楼で言われた偽名を使って呼びかける。

「ん? 何だ寿晏じゅあん?」

 瑛明は、軽く後ろをふり返った。

「先ほどは、おいしい料理を食べさせていただき、ありがとうございました」

 晏如は、心からの感謝をこめて頭を下げた。

 宵月楼でいただいた料理のすべてが、とてもおいしかった。

 中には、晏如が今まで食べたことのなかった珍しいものもあった。

 本当に、貴重な経験をさせてもらった。

 そんな晏如に、瑛明はやさしく言った。

「いいや。礼を言うほどのものではない。そなたには、ずいぶんと世話になっているため、これでおあいこじゃの。…………さて。もうすぐ、西の市に着くぞ」



◆◇◆◇◆



 晏如と瑛明は、王都の商売の中心地である西の市の門前に立っていた。

 門の向こう側には、老若男女問わずたくさんの人がおり、多くの店がところせましと並んでいた。

 その活気あふれる街の様子に、すっかり圧倒されてしまった晏如は、しばらく言葉もなく立ち止まる。

「寿晏。何をぼおっとしておる。置いていくぞ」

 瑛明は、微動だにしない晏如の肩を軽くたたいた。

「あっはいっ。すみません!」

 我に返った晏如は、あわてて門の方へ歩く瑛明の背中を追った。



◆◇◆◇◆



 西の市に入った晏如たち。

 彼らは、表通りから一本外れた、ある衣装屋を訪れていた。

 瑛明は、店に並べられた多くの衣の中から、いくつかを手に取ると。

 晏如にそれを差し出し、こう言った。

「寿晏。これのどれかに着替えよ」

「ええ~~」

 晏如は、瑛明の命令に、露骨にいやそうな顔をする。

 本当にこの人は、自分をふり回すことが好きなようだ。

 宵月楼でごちそうしてくれたことに感激していたさっきの自分を、叱り飛ばしたくなる。

 瑛明は、あい変らずの王子の口調で命じた。 

「文句は聞かぬ。着替えよ」

「…………はい。わかりました」

 晏如は、しぶしぶとうなずいた。

 そして、瑛明から何枚かの衣を受け取る。

「では、着替え終わったら、店の前で待っているように。よいな」

「はい…………」

 晏如は、あきらめた。

 ここは、自分が折れるしかない。

 晏如に衣の山を渡した瑛明は、軽やかにすそをひるがえした。

「それでは、また後での」



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