美少女


 西の市の衣装屋に訪れている晏如あんじょ瑛明えいめい

 そこで、瑛明に着替えをするように命じられ、しぶしぶと渡されたきぬに着替えた晏如。

 彼は、着ていた衣を入れた風呂敷包みを一つ、手に持つと、店を後にした。

(まったく…………。殿下の無茶ぶりには、ほとほと疲れたなぁ…………)

 晏如は、店の前で瑛明の姿を探す。そこには、見知った人の姿はなかった。

(あれ…………。殿下は、どこに行ったんだろう?)

 晏如は、辺りを見渡した。

 それから首をかしげる。

(もしかして…………)

 どうやら、瑛明も変装をしているのかもしれない。もし仮にそうなら、自分よりも支度に時間がかかって、まだ店の外に出ていないのだ。

(うん…………。殿下だったら、絶っ対にやるよねぇ…………)

 晏如は、今までの瑛明の行いを思い出す。

 確かに、人をからかったりすることがお好きな殿下なら、「では、わたしも」とか言って、いっしょにやりそうだ。

 そんな風に、晏如が考えていたら。

 後ろから声をかけてきた人がいた。

寿晏じゅあん。いつまでそこに立っているつもりなの?」

「へ…………?」

 寿晏、という自分の偽名を呼ばれた晏如は、あわてて後ろをふり返って――――絶句した。

 そこには、一人の美しい少女が立っていたのだ。

「……………………すみません。あなたはいったい、どちらさまですか?」

 目の前の光景が信じられない晏如の口からやっとのことで出た来たのは、こんな言葉だった。

「何言っているの、寿晏? あなた、もしかしてわたしのこと、忘れたの?」

 美少女は、腰に手を当てて、あかい唇をとがらせる。

 そして、晏如の手をつかんで、店の前から人目の付きにくい場所まで移動した。

「な、何なんですか、あなた!」

 晏如は、いきなりつかまれた手を、無理やりほどいた。

 彼は、美少女の方をにらむ。

 すると、美少女が皮肉めいた笑みを口元に浮かべた。

「…………なんだ、まだ気が付かぬのか。そなたは本当に、にぶいの。寿晏」

 なんと、彼女は瑛明そっくりの口調で、あきれたように言ったのだ。

「………………………………………………………………。も、も、もしかして、殿下?」

 晏如は、極限まで目を見開き、おずおずと人差し指で美少女を指す。

 街の中では殿下、と呼んではならない、という言葉も、すっかり抜け落ちているようだ。

 美少女、もとい瑛明は、ニヤリと笑った。

「ああそうだ。今のわたしは殿下でもなく、永月えいげつでもなく、りんだがの」

「鈴……」

 晏如は、瑛明の新たな偽名をうわ言のようにつぶやく。

「まあ、そういうことだ。だから、今からわたしのことは、"お嬢さま"、と呼べ」

 そう言うと、瑛明は来た道を戻ろうと、晏如に背を向けた。

「いくぞ。寿晏」


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