夜の離宮で

 

 あの胡蝶の言葉の後、晏如は自分が何と返事をしたか、はっきりと覚えていない。

 ただ、逃げ帰るように胡蝶の部屋を出て行った記憶しか、ないのだ。

(しかしなぁ………ほんとーに、どうしよう………)

 晏如は、思わず頭を抱えたくなった。

 ここに来てからというもの、本当に迷惑なことしか起きない。

 それに。

 夕食の時、また胡蝶と会った。

 その時、あの話は考えてみるだけでもしてほしい、と言われたことを、晏如はふと思い出す。

(でもねぇ………。考えてみるだけ、と言われても、困るのが本音なんだけど…………)

 正直、最初に言われた時は、断ろうと思っていた。

 しかし、いったん冷静になってみて、よくよく考えてみると、思ったほど悪い話ではないような気がしてきたのだ。

 特に、王都の外をほとんど知らない(と思われる)殿下に――――いずれはこの国の政治を一端を担う人物になるかもしれない殿下に、自分が育った里での生活を聞いていただくのも、良いかもしれない。何しろ瑛明さまは、宮廷という一般庶民から見たらかなり特殊な場所でお育ちになられた方なのだ。

(よし。明日、胡蝶さまにお会いしたら、ぜひやらせてくださいと言おう)

 晏如がそんな風に、決意を固めていたら。

 どこからか、琵琶の音色が聞こえてきた。

(あれ…………? いったい誰が、弾いているのかな?)

 晏如は、辺りを見回す。

 そして、音のする方へと歩いて行った。

 すると。

 宮の露台で、琵琶を弾く一人の男の子の後ろ姿があった。

「殿下…………?」

 思わず晏如は、その背中に声をかけてしまう。

 晏如の呼びかける声に、彼は――――瑛明殿下は、後ろをふり返った。

 

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