湯殿へ
この離宮の女官長である
「晏如殿」
「はい!」
歩きながら胡蝶に名を呼ばれた晏如は、しっかりと返事をする。
これから、しばらくはこの宮で生活していくのだ。なるべく、ここの女官や侍従の方々と、仲良くなっておいた方がいい。
それにほら、なんでも初めは肝心って言うじゃないか(瑛明殿下との謁見の時は、大きな失敗をしてしまったが)。胡蝶さまには、これから何かとお世話になるはずだし。
「今から、簡単にこの宮での
「はい」
晏如は、しっかりとうなずいた。
それから胡蝶が今から話す内容を一言一句、聞き逃さないように、気合を入れる。
そんな晏如の様子を少しも気に留めることなく、胡蝶は最低限のことを伝えていった。
◆◇◆◇◆
建物の角を曲がった胡蝶が、立ち止まった。
どうやら、湯殿に着いたようだ。
「こちらが、
胡蝶が、確認するように晏如に問う。
龍国には、
そもそも龍国は、
だから、砂漠や草原のある地域は、常に水不足に悩まされており、したがって入浴時に湯舟にお湯を張ったりできない。
ちなみに、晏如の故郷はお湯につかる習慣があった。里の近くに、温泉があったからだ。
そんなわけで、晏如は「大丈夫です」と、言ってうなずいた。
「…………わかりました。これで、あなたが今日やるべきことは、すべて終了しました。あとは、殿下がおっしゃったように、ゆっくり休んでください」
そこまで言うと、胡蝶は晏如に背を向けた。そのまま、来た道を戻っていく。
「胡蝶さま。ありがとうございます」
歩き去ろうとする胡蝶の背中に、晏如はこう声をかけた。
一瞬、胡蝶の足が止まる。
しかし、彼女は何も答えずに行ってしまった。
晏如はため息をついた。
どうも、胡蝶と親しくするのは難しそうだ。僕は、感謝の気持ちを伝えただけなのに。まあ、仕方がない。自分はここで、上手くやっていくしかないのだ。
晏如は気を取り戻して湯殿に入っていった。
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