エピローグ

事の終わりと始まり

 長い戦いが終わった後の事態の展開は早かった。

 弥生を除く敵組織のメンバーは捕らえられた生徒たちを残して1人残らず逃走した。教師含む外野の介入を阻んでいた闇の結界は組織の者によるものだったため、敵の逃走に伴いあっさりと消失して、教師たちが生徒の下へ駆けつけた。怖がる者や興奮を抑えられない者など様々な生徒がいたが、教師たちが駆けつけた時には浩介と千尋、そして弥生の姿はどこにもなかった。



「…………」


 死闘を繰り広げた第二練武場から程近い第4体育倉庫に3人は居た。数多くある体育倉庫の中でも小さく目立たない場所を選び、教師たちが介入するよりも先に浩介と千尋の手で弥生から情報を聞き出そうとしていた。


「今見た限りは誰もここに勘付いていないみたいね……って、何してるのあなたは?」

「あ、いや……これはその……っ」


 第4体育倉庫の周りを巡回した千尋が戻ってくると、浩介がまるで覗きがバレたかのような表情で冷や汗をだらだらと流していた。

 千尋の目には、先程印を結べないよう最低限の拘束をしたはずの弥生を更に縄で拘束する浩介の姿が映っていた。


「あんっ、中途半端なとこでやめないで……んん……っ」


 凍りつく浩介とは対照的に、艶かしく身体をくねらせながら猫撫で声を漏らしていた弥生は、千尋を見るなり「あら」と何でもないような声で応じた。


「ちょっと浩介くんに縛ってもらおうかと思って。折角だし」

「何が折角なのよ!?」


 千尋が髪を振り乱して弥生の下へずんずんと近付き、浩介の顔を手のひらで除けて弥生の襟首を掴む。浩介が固まっている間も、弥生は「あらあら」と呑気に言ってけろりとしている。


「あら、あなたは好きじゃないの? 縛られるの」

「何でそんな思考が出来るの!?」

「楽しいのよ? 素敵な殿方が労わりながらも自分の身体をきつく締め上げてくれるの。とってもぞくぞくするわ。浩介くんはまだ不慣れだけど逸材ね。私が指示する度に赤面しながらも上達していくんだもの。あなたもどう?」

「え……って、何で私が!!」


 一瞬惚けた千尋だったが、すぐに我に返った。我に返るついでに浩介の額に手刀を浴びせて、浩介は「なんで……!?」と俯きながら呻いた。

 弥生は「やれやれ」と何故か上から目線で呆れ笑いを浮かべると、「浩介くん、もう解いて良いわよ。また今度お願いね」と不穏当な発言をした。弥生に鬼のような形相で睨まれながら、浩介は弥生の拘束を解いた。


「……何故私たちがあなたをここに連れてきたか聞かないの?」


 後ろ手に縛られたまま悠然と座っている弥生に、千尋は訝しみの目を向ける。


「ん? 先生方の尋問が始まる前にあなたの故郷の件を聞きたかったんでしょう?」

「――っ!」


 あっさりと真意を見透かされ、千尋は忌々しそうに口を噤む。


「……本当に、あんたの組織が神条の故郷を……その、滅ぼしたのか?」


 千尋の出生も何も知らなかった浩介が、精一杯気遣いながらも質問の言葉を紡ぐ。浩介にとっては何もかもが驚愕だったのだ。自身のクラスメイトの故郷が滅んでいたことも、ましてや滅ぼした者が目の前にいるのが。あの時は千尋の暴走を止めることに意識が行っていたが、こうして冷静になると、千尋が一体どれだけ過酷な境遇の中で今まで生きていたのかと思い心が軋む。

 そんな浩介の心遣いを察して、千尋は浩介をちらりと見てふっと頬を緩める。そしてまたすぐ表情を引き締めると、浩介の質問に対する弥生の返答を待った。


「……さっきはあんなことを言ったけどね、実際は私も伝聞でしか聞いていないのよ」

「……え?」


 千尋の気の抜けた声がした。


「あなたの故郷を私の所属する組織が滅ぼしたのは……私が組織に入る前のことだったの」


 そしてその行動を起こしたのは、私の知る限りたった一人……と、弥生はため息混じりに話す。


「私たちのボスが……たった一人で滅ぼしたの」

『な……っ』


 浩介と千尋が驚愕する。厳密に言えば、浩介と千尋の驚きの度合いは違っていた。


「……私の生まれた里は、魔法印発祥の地なのよ? 印の使い手が里のほとんどを占めていたはず。あの人たちを、たった一人で……?」


 幼い頃に自分を可愛がってくれた大人たちや、一緒に遊んでいた子供たちを思い出して千尋は唇を引き結ぶ。

 千尋の言葉に、弥生は「私も詳細は知らないけれど……」と言葉を紡ぐ。


「私自身会ったことは無いのだけれど、ボスの力は絶対的なの。権力がどうという意味ではなくて、ごく単純に魔法印の力がずば抜けている。それだけは確かよ」

「……何であんたは、こんなに話してくれるんだ? 言っても俺たちは敵だろう? それともなんだ、任務に失敗したから組織を抜けるのか?」


 だからこんなに知ってることを話せるのか――と問う浩介の言葉に、弥生は艶っぽく目を細めて微笑む。頬を赤らめた浩介をロックオンすると、縛られた状態のまま突然立ち上がり、浩介に顔を寄せた。端正な顔立ちの大人の女性に目の前で微笑まれ、浩介が視線を泳がせる。千尋と目が合うと、射殺さんばかりの目で睨まれた。


「別に組織を抜けたりはしないわ。うちのボスは失敗に寛大でね。特に今回は難易度が高かったから、成功したらもうけもんくらいのお考えだったのよ。それにこんな話、浩介くんも千尋ちゃんも誰にも話さないでしょう?」


 千尋が小さく「ち、千尋ちゃん……」と呻いて頬を引き攣らせるのをよそに、弥生は「そ、れ、に……」と囁き、浩介に一層顔を近付ける。千尋が目を剥いて2人の間に割って入ろうとした矢先――弥生は後ろ手に縛られていた筈の拘束を解いて、浩介の首に腕を回してしゅるりと抱きしめた。突如襲った甘い匂いと柔らかさに浩介がくらくらしていると、耳元で鈴の鳴るような声で囁かれる。


「私、あなたのこと気に入っちゃったの」

『~~~~~~っ!?』


 浩介と千尋が別の意味で強ばる。浩介が視線を泳がせると千尋と再び目が合ったが、千尋の視線に含まれる殺気が跳ね上がったことに戦いた。


「あ、あなたは何を言ってるの!? 今すぐ離れなさい、じゃないとこの場で焼き払うわよ……っ!」

「あーん、普段はツン全開の癖にこういう時だけ焼き餅を焼く女の子って傍から見るとみっともないわねー」

「な、こ、この……っ、というか、いつの間に縄を解いたの!?」


 ツッこむ順番が違うでしょ……と弥生は笑い、固まる浩介の頬にちゅっと口付けをした。


『~~~~~~~~っ!?!?!?』


 更に戦慄する浩介と千尋をよそに、弥生は楽しそうに微笑む。


「この任務の過程で、あなたたち生徒の個人情報は一通り入手してるの。任務が終わったら組織に返却しなきゃならないんだけど……浩介くん、あなたの住所は覚えたわ。今度、夜更けに遊びに行くわね」

「え、そ、それって、よ、夜這……」


 決定的な言葉を口にしかける浩介の唇に、弥生はぴっと立てた人差し指を当てた。


「……お楽しみ、ってことで、ね?」

「は、はいぶげらっ!?」


 がちがちに固まりながらも、嬉しそうにこくこくと頷く浩介の頬を鉄拳制裁が襲った。弥生の腕の中から離れ、体育倉庫の壁に浩介の身体が遠慮無く叩きつけられた。


「……あなたを拘束します。……やっぱり焼いて良いかしら」


 恐ろしい程柔和な笑みを浮かべて弥生を見つめる千尋の背後に、阿修羅が見えた。

 おっと、これは本当にやばいわね……と肩を竦めて、弥生が笑う。


「そろそろお暇させてもらうわ」

「なっ、あなた、逃がすとでも――っ!?」


 千尋が手を伸ばした矢先、弥生の足元に見慣れた黒渦が生まれる。笑顔で手を振りながら黒渦に弥生が飛び込んだのを見て千尋は悔しそうに顔を歪めたが、直後に壁際で倒れ臥している浩介の前に黒渦が生じる。千尋が驚いて振り向くと、弥生が浩介を優しく抱きしめて、「こんなに痛めつけられて……お姉さんが今度慰めてあげるわね?」と優しく囁き、あろうことか浩介の耳に舌を差し込んでれろっと舐めた。浩介と千尋が目を見開くと同時に弥生は今度こそ黒渦に消えた。

 静寂が体育倉庫を包む中、浩介がぽつりと呟く。


「……年上の色っぽいお姉さん……良い……」

「それ以上喋った消し炭にするわよ」

「は、はい……っ」



 大事なことが分かって、更に分からないことが増えながらも。

 神草浩介と神条千尋の最初の戦いは、こうして終わりを告げた。




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色情魔と美少女と魔法印 高橋徹 @takahashi_toru_

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