第9話 玲奈、東京に行く

 それからは玲奈が何を言おうと、一族郎党いちぞくろうとう~父・母・杏美~連合軍に猛攻撃を受け孤立無援となっていた。朝は父親、昼間は母親に杏美、夜は父親に杏美と終日しゅうじつ責め立てられると、いくらはがねの心臓とトボケタ頭をもった玲奈も、弱音を吐いた。

「わたしゃあ、もたないよ。これじゃあ、本当にノイローゼだぜ。」

とわめくが、わめいて病気になった者は世の中にそれほどいない。

「あんた。あきらめて、将棋を始めたら?」

 ずる賢い杏美はちゃあんと妹を観察していて、ここぞという時に悪魔の言葉をつぶやく。

「そろそろ、耐えられなくなったんじゃない! いい加減で、あきらめろよ。」

「おっ、鬼が! わたしゃあ、将棋なんか絶対しないからね!」

 玲奈に宿った本因坊秀策ほんいんぼうしゅさくには、どうすることもできなかった。玲奈が将棋をすると言えば、それはそれでいくらでも助けることはできたし、チェスも同様だ。地蔵院で紙の束を玲奈がながめたときに、ハワード・スタントンの「チェスプレイヤーのハンドブック」は頭に入っていたのだ。しかし・・・。

 今度は、母親である。

「玲奈、どうするの? お父さんの言ってることに間違いはないから、もう一度将棋をしなさいよ。」

「ウ、ウッ、ウウ。これは、拷問だ、虐待だ?! 誰か、助けて・・・。」

「何、言ってんのよ! みぃんな、あんたのことを考えてのことだよ。ねえ、母さん。」

 つのを隠した鬼の玲奈が、喜びにゾクゾクしながら言っていた。また、母親だ。

「玲奈。東京にね・・・、東京に行ったらスカイツリーに連れてってあげるから、もう観念しなさいよ。」

 聞いている秀策は、これが平安時代だったら家族に鬼が乗り移ったとしか思えないだろうと考えながら聞いている。

 どうして東京という話が出てきたのか? それは、杏美の陰謀だった。杏美は、まだ行ったことのないスカイツリーに、どうしても行きたかったのだ。だから本心を言えば、玲奈などどうでも良かった。自分のために、杏美は必死でネットを調べていたのだ。すると、あった! 毎年、夏休みに東京の東西百貨店で、小学生女子将棋名人戦が開催されていたのである。

 『ウフフフフ、ワッハッハ・・・。これで東京に決まりだな』、杏美の高笑いが響く。

「エッ、スカイツリー! ホントに?! ホントに、スカイツリーに連れてってくれるの・・・。それじゃあ、浅草と寅さんの柴又もいいか?」

 いやはや何ともかんとも、もう折れるのかよ?! 情けない玲奈であった。

「やっと、その気になったのね。これもすべて、妹思いの杏美のおかげだよ。お父さんが聞いたら、喜ぶわ。」

「そうだよ、あれだけアンタに肩入れしてくれてたんだから・・・。アンタ、幸せもんだよ。」

と、口ではいかにも父親と玲奈のことで心配していた風なことを言う杏美だったが、その心は『ヤレヤレ、とんだ世話を焼かせやがって・・・。しかし・・・、これでスカイツリーだ。ヤッタゼ、ヤッター』と小躍りしていたのである。

 

 父親が帰ってくると、さっそく母親が報告していた。

「そうか! ついに玲奈も、将棋をする気になったか。玲奈にとって、それが一番いいことだ。」

と、しごくご満悦だ。

「ねえ、父さん・・・。」

「ううん? 杏美、どうした?」

「そうと決まれば、参加申し込みのハガキを早く出した方がいいよ。」

「そうだな、お前がネットで探してくれたんだからな。じゃあ母さん、明日にでもハガキを出しておいてくれるか。みんなで、東京に行こう。」

「そうね、そうと決まれば一日でも早いほうがいいわね。」

 二人の会話を聞きながら、杏美はうれしさを隠せない。

「なんだ?! どうして、姉ちゃんがうれしがってるんだよ?」

「そりゃあ、アンタのためだよ。津島君も優勝したし、津島君といい勝負をしたアンタも、どこかで優勝しないといけないだろう。」

「ホントだ、玲奈。津島君に、負けないようがんばれよ。」

 あいも変わらず三対一で、玲奈は『なんで、津島が優勝したのと私が関係あるんだよう。関係ないじゃん。』と言いたいのだが、そこは杏美に負けない腹黒い玲奈である。

「みんな、ありがとう。あたしゃあ、頑張るよ。でも、一つだけ、お願いがあるんだ。」

「お願い?」

 それを聞いて父親も母親も、そして杏美までが変な顔をする。父親が、

「その、願いってなんだ?」

と恐る恐る聞いていた。

「実はね・・・。」

「なんだ?!」

「友だちに、お土産みやげ買いたいんだ。」

 聞いた三人は、ホッと胸をなで下ろす。

「なんだ、そういう事ならいくら買ってもいいぞ。」

と、父親が胸を叩いていた。

「ああー、よかった。じゃあ、さっそく美代ちゃんに明日あした聞いてみよ。」

 次の日、玲奈は美代のところに行くと、

「将棋大会で、東京に行くんだ。」

「エエッ、大会に出るの! すごいわ、絶対に勝ってよ。」

「うん、頑張るよ。そうそう、それでねスカイツリーと浅草と柴又に連れて行ってくれるんだって。だから美代ちゃん、お土産みやげは何がいい?」

「将棋しに行くんでしょ。だったら、いいわよ。」

「いいの、いいの、気にしなくっても。父さんには、買うよって言ったんだから。」

「そう。じゃあ、なんでもいいわ。ありがとう。」

 その夜、父親と母親が玲奈に、

「お土産みやげのことだけど、誰と誰に買うんだ?」

と、不安そうに尋ねていた。

「美代ちゃんだよ。」

「美代ちゃんだけなのか?」

「そうだよ。」

「そうか?!」

 玲奈のことだから、誰彼無だれかれなしに声をかけたのではないかと心配していた両親は、それを聞いて胸を撫で下ろした。


 行きも帰りも飛行機である。新幹線に乗りたかった玲奈は、

「なんで飛行機なんだよ。富士山が、まともに見えないじゃないか!」

おお文句である。

 ブツクサと言う面倒くさい娘を、やっと渋谷にある東西百貨店まで連れてきた両親は、どこにいてもすぐ分かるようにとカープの赤い野球帽をかぶせた。

「よし。これでお前がチョロチョロしても、すぐに分かるぞ。」

「嫌だよ。これじゃ、男じゃないか。」

「つべこべ言わずに、おとなしくかぶってなさい。それと前から言っているように時計があるはずだから、指したらすぐ自分のほうのボタンを押すんだぞ。」

「ヘイ、ヘイ。」

 帽子がイヤな玲奈は横被よこかぶりにすると、三人を見ることなく、さっさと会場に入っていく。トーナメント方式だが、本因坊秀策ほんいんぼうしゅうさくがついている玲奈に、小学生では歯が立つわけがなかった。

 玲奈は指しながらも「余裕のヨッチャン」で、周りの対局者の指し手をうかがっている。そんな玲奈だから、小学生はおろかアマチュアの大人でも天野宗歩あまのそうほと同等の棋力がなければ、勝つことはできないだろう。

 玲奈は、あれよあれよという間に決勝戦に進んでいた。会場にいた藤井保子女流五段が余裕の玲奈を見て谷本直美女流五段に、

「ちょっと?! あのカープの赤い帽子をかぶっている吉本玲奈って子、神がかっていない?。」

とつぶやいた。すると谷本直美女流五段は「この子、可愛くないわ」という顔をするが、

「そうね。とても小学生とは、思えないわ。」

と言っていた。

 分かりきった結果だが、玲奈は優勝していた。玲奈は当たり前だという顔で賞状をもらうと、壇上から両親や杏美に見せびらかせて『うひょひょひょほ』と単純に喜んだが、内心は『優勝したんだから、これで将棋は止めだな。これからは、チェスだよ』と思っていたのだ。

 そんな玲奈の頑固さを知ってか知らずか、家族は『よくやった』と喜び勇んで駆け寄ったが、周りを見るとイベントには男性棋士もいて、その中にゲストできていた土生名人と、その名人に見初みそめられた津島少年もいた。

 玲奈の父親はつかの間の喜びが冷めて津島少年に気づくと『あれっ?』という顔をし声をかけようとしたが、その横に父親も一度くらいは写真で見たことのある土生名人が立っていた。

 名人を見て気後きおくれした父親だが、思い直して土生名人に深々ふかぶかと頭を下げると、津島少年に声をかけていた。

「津島君?」

 津島少年は声がした方向に顔を向け、少し考えていたが、

「ああ、しまなみ交流館で・・・。」

と言っていた。

「うん?! 知り合い?」

 土生名人が尋ねる。

「はい。大会に出る前のことですが、尾道にある「しまなみ交流館」で一度対局しました。」

「この方と?」

「いえ。小学生のお嬢さんとです。」

「へえ、小学生・・・。それで、どうなったの。」

「なんとか僕が勝ちましたが、まるで天野宗歩あまのそうほと指しているみたいでした。」

天野宗歩あまのそうほ?」

「はい。今日、優勝した吉本玲奈さんがその対戦相手でした。」

 津島少年の話を聞いて玲奈を見る土生名人の目がきらりと光ると、

「それは、面白い。津島君! もう一度、彼女と指してみないか。そうか、天野宗歩あまのそうほか・・・。」


 


 



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