第8話 津島少年、タイトルを取る

「ねえ、姉貴・・・。」

 美代と別れて帰ってくるなり、玲奈は杏美に甘えた声をかけていた。

「何よ? 気色の悪い?!」

「チェスのゲーム、持ってる?」

「はああ?! チェスが、どうかしたの?」

「えっヘッヘ。今度、チェスをしてみようと思ってるんだ。」

「はーあ、あんたバカじゃない! どこから、チェスが出てきたのよ?!」

「いろいろ事情がありまして・・・、チェスがやりたくなったの。」

 杏美は玲奈の顔をじっと見ていたが、

「お母さん! また、玲奈がバカなことを言い出したよ。」

とわめいた。言われた玲奈はマズイと思ったのか、両手で耳と頭をおおって頬被りのようにすると、スタコラサッサと逃げて行く。その後ろ姿を憎々しげに杏美が見ていると、

「杏美、どうしたのよ?」

 杏美のあきれた声に、母親がやって来た。

「ねえ、母さん。聞いて、聞いて!」

「何よ?」

「玲奈がね。今度は、チェスがしたいと言ってるよ。」

 聞いた母親もあきれてしまい、

「あの子らしいと言えばあの子らしいけど、バッカじゃない。それで、将棋はどうなったの?」

と、言葉を失っていた。

 その夜、父親は会社から帰ってくるなりビールを片手に、玲奈を呼びつけていた。

 『やっぱ、母さんがチクったんだ。いや、待てよ・・・! そっか、杏美か?』とグチャグチャと考えながらも、朝食抜きの件で玲奈は学習していたので、おとなしく父親の前に行く。

「ここに座りなさい。母さんから聞いたが、今度はチェスか?」

「うん! いろいろ事情がありまして、これからはチェスだよ。」

と言っていた。父親はビールを飲もうとしたが飲むことができず、後の言葉が出てこない。

「・・・。」

 腕組みをして、何をどう言えばと目を白黒させている父親を、見かねた母親が、

「アンタ、いい加減にしなさいよ。橋田さんにも迷惑かけているし、お父さんにも尾道まで連れて行ってもらったでしょ。それに、無理を言って津島君に相手までしてもらったんでしょう。それなのに、将棋やめるの?!」

と、玲奈に言っていた。

 玲奈は内心『わたしゃあ、何もお願いなんかしてないよ。父さんが勝手にやったんだ』と思うが、それを言ったらおしまいなので、

「だって、負けたんだもん。」

と言う。やっと父親も落ち着きを取り戻して、

「だから、お父さんが出がけに言っただろう。いくら才能があっても、練習しなければ強くなれないんだ。それを一回負けたからといって、やめてしまうのか?」

「どうしようかなぁ。」

とトボケル玲奈に、テレビを見ていた杏美が背中で笑いながらが、

「父さん、ダメだよ。こいつ、やる気がないんだから。いくら言っても、ダメだよ。」

 玲奈は杏美がおとしいれようとしているのか、助けようとしているのかよく分からない。

「そうは言ってもな、玲奈には才能があるんだ。もったいないじゃないか?!」

「そうよ、玲奈。せっかくの機会なんだから、もう少し続けてみなさいよ。」

と、父親と母親は二人で責め立てた。

 杏美は杏美で、

「父さん、母さん。こいつ天邪鬼あまのじゃくなんだから、『やれっ、やれっ』と言ったら逆効果だよ。こいつの場合、ほっとくのが一番だよ。」

 それは分かっている両親だったが、あらためて杏美に言われ納得せざるを得なかった。


 次の日から玲奈は杏美のパソコンを与えられて、仕方なく午前中だけでもという条件で、インターネットで将棋の練習をすることになった。

 玲奈はパソコンの画面を開くが、

「ヤレヤレ、何がうれしくって将棋なんだよ?!」

と、文句をひとくさり言いながらパソコンの前に寝転がると、隠しておいたスナック菓子を食べはじめる。そして少しの間、ボリボリパイパリとやっていたが、起き上がり、

「そうだ! ネットでチェスのことを調べればいいんだ。」

と手を叩いていた。

 『ええと、ええと、チェス盤と駒・・・』、ブツブツ言いながら夢中で探していたが、

「おお、あった、あった! ええと、入門用木製チェスセット二千百円。これだぜ。」

 見つけると、次は豚の貯金箱を取りに行く。しばらくジャラジャラやっていたが、代金二千百円と送料くらいはあったみたいだ。

「えっへっへっ。これが来たら、チェスだぜ。」

 さっそく注文を入れたが、見つかればヤバイと思い画面を切り替えようとした時だ。なんの前触れもなく勢いよくドアが開くと、

「あんた、何してんのよ?!」

と、どこかの国の特殊部隊顔負けで、大きな声とともに杏美が顔を出していた。

 鬼だった。おお文句を聞く羽目になった玲奈は、もう貸してやらないと杏美にパソコンを取り上げられるわ、将棋もせずにチェスを見ていたと母親にチクられるわで、その日も悲惨な一日を過ごすこととなった。


 そんなこんなで次の日の朝、玲奈がふてくされて朝寝坊をしていると、玄関先で母親が誰かと二階まで聞こえるような声で話をしていた。

 玲奈はタオルケットを頭までかぶると『ああ、イヤだイヤだ。起きないもんだから、母さんが変に大きな声を出して、いやみたらしいたらありゃしない』と、自分の行いも反省せずに、一人で被害妄想にとりつかれていた。すると、

「玲奈、玲奈! いつまで眠っているのよ。いい加減で、起きなさい。」

 母親の呼ぶ声が聞こえるが、ふてくされている玲奈は、いつまでも起きようとはしない。

 ところが、

「アンタ、いい加減にしなさいよっ。」

と、鬼の杏美が顔をのぞかせた。そして、

「母さんが、呼んでるんだよ。いい加減に、起きろよ。」

と有無を言わさず、寝ている玲奈の耳をひねりあげると、階段まで引きずっていった。

「いてぇよ、いてぇよ。お姉ちゃん・・・。」

 口先だけの抵抗では杏美に勝てず、階段を引きずり下ろされる。

「こいつ、ふて寝していたよ。」

 杏美に容赦はない。引きずり下ろされた玲奈は、また朝食抜きがイヤで台所の椅子におとなしく座った。その玲奈に、

「玲奈、よく聞きなさいよ。今ね、山陽毎朝新聞の所長さんが来ていたんだけど、津島君がね・・・。」

と母親は話しかけているのだが、やっと目が覚めてきた玲奈は、ひねりあげられた耳をさすりながら、母親を無視して杏美相手に文句をタラタラ言っていた。

「あんた! いい加減にしなさいよ。私が、話しているんだから!」

と、今度は反対の耳まで母親にひねりあげられたのだ。

「いてっ、いてぇよ。母さん、ナンだよ?!」

「この子は! ちゃんと、聞きなさい。津島君がね、福山の松永で行われた中国学生選手権大会で優勝したんですって。大学生や高校生もいるのに、中学生がよ! 凄いじゃないの。その津島君とあんたは互角なんだから、もう少し頑張ってみたらどうなの?」

 言われた玲奈は両耳をさすりながら、『それが、どうした』という顔をすると、

「なんてことないよ。あの子なら、勝って当たり前じゃん。」

と、自分のことは棚においてシャーシャーと言っていた。杏美は、

「アンタ、本当にバカだね!」

「・・・。」

「おバカさんだよ!」

「何が、バカなんだよ!」

 またまた二人は喧嘩を始める。そんな玲奈を母親はグッとにらむと、

「玲奈、よく聞きなさいよ。その大会は山陽毎朝新聞と日本将棋連盟の主催で、と言ってもあんたには分からないか! 大会には・・・、あの土生はぶ名人も来ていてね、名人が津島君の将棋を見て筋がいいと絶賛したんですって! それでね、もしかしたら土生名人の推薦で奨励会に入れるかもしれないのよ。凄いじゃないの。」

 杏美が首をひねると、

「母さん、福山で将棋の大会なんか聞いたことないよ。」

と言っていた。

「そうね、松永は下駄が有名だから。でもね、『ゲタリンピック』ってやってるでしょう。そうか?! アンタたちは一度しか行ったことがないから知らないかもしれないけれど、イベントで前からゲタ将棋というのはやっていたの。」

「ゲタ将棋・・・? ふーん。それと将棋大会、なんの関係があるの?」

「あんたたちも、下駄はあまりかないでしょう。だから下駄だけでは大変だと、これからは将棋の駒を作ることにしたらしいの。それで、それを記念して、今年から将棋大会を開くことにしたんですって。」

「なんだ、そういう事。どうもおかしいと思ったんだ。少し前にネットで調べたんだけど、この辺でやっている有名な大会は倉敷の全国小学生倉敷王将戦くらいだと思っていた。」

「あれっ、杏美? あんた、どうして知っているのよ。まさか・・・、今回のことで玲奈の将棋が気になってしょうがないの・・・。」

「ま・・・、まさか?! なんであたしが、こんな奴の事を・・・。」

「そりゃあ、そうだ。あんたは絶対、玲奈の事なんか気にしないわよね。」

「そ・・・、そうだよ。こんなでべそ、嫌だよ。」

 玲奈はポカーンとしたまま、ただただ二人の言うことを聞いていたが、

「母さん、姉貴。なんだよ、それ。分かるように、言ってくれよ!」

と文句を言っていたが、『・・・?! 待てよ、姉貴が動き回っているということは・・・』、玲奈は不吉な影を覚えていた。そして『うふふふ、オーホッホ、ワッハッハ・・・』恐ろしい杏美の高笑いが聞こえてきて、玲奈はなんとか追い払おうと頭を振った。

 そんな玲奈を見て母親と杏美は『この子、何をしているんだろう?』と、訳が分からず気持ち悪そうにしていたが、

「こいつ・・・。ホントに、バカだよね!」

と、二人であきれかえっていたのだ。 






 


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