第6話 激突

 玲奈が津島少年の前に座ると、何事かというようにみんなが集まってくる。

 あの津島一広が指すというだけでも今では珍しい光景なのに、相手は見たことのない、それも小学生くらいの女の子と対局しようとしていることが、みんなには驚きだった。

「あの子、誰なんだ? どう見ても小学生だぞ。」

と、長年ここに通っているらしい男が言うと、津島少年と同じくらいの男の子たちも、

「本当だ、見たことないぞ。まさか・・・、サークル名人の津島が、格下と指すのか?」

と言えば、橋田の知り合いらしい男も、

「そう言えば、橋田さんが連れてきたみたいだ。」

「ふーん。しかし小学生で、しかも女の子が津島君の相手になるのかな?」

と話ししていた。

 居合わすみんなは玲奈の実力が分からず興味のかたまりとなっていて、自分たちのことはそっちのけで、二人の周りから動こうとしない。

 みんなの注目を集める中で勝負の怖さとは縁がない玲奈は、本因坊秀策ほんいんぼうしゅうさくの考えるとおりに最初の一手を指していた。

 

 先手▲、玲奈。7六歩。

 後手△、津島。3四歩。

 ▲ 2六歩。

 △ 4四歩。

 ▲ 2五歩。

 △ 3三角。

 ▲ 4八銀。

 △ 3二銀。

 ▲ 5六歩。

 △ 5四歩。

 ▲ 5八金。

 △ 8四歩。


「やっぱりな! どう考えても、天野宗歩あまのそうほ升田幸三ますだこうぞう名人の将棋だ。」

 あらためて玲奈の指し手を見ていた橋田は、玲奈の棋風に思わずうなるように言う。

 その言葉を聞いて、玲奈の指し手を読み上げていた少年の声が止まると、対戦していた津島少年の口元にうれしそうな笑みが浮かび、

「橋田さん、さすがですね!」

と、我が意を得たりというようにつぶやいた。周囲に集まっていたみんなは、津島少年の言葉を聞いてどよめく。

「そうか、言われれば・・・。」

「なるほどね。それで、橋田さんが連れてきたのか。」

「で、津島君はどう受けるのかな?!」

「しかし、天野宗歩あまのそうほに棋風が似ているということは、この子はただもんじゃないぞ。」

 玲奈の父には、みんなの言っていることが理解できているのか出来ていないのかは別として、周りがとやかく言っていること自体がうれしいようだ。とにもかくにも、これではまるで縁台将棋えんだいしょうぎである。

「みなさん! ごめんなさい、集中できないので静かに。」

 津島少年は、少しムッとしたように言っていた。しかし、これは津島少年が言うからいいようなもので、津島少年以外の誰かが言うものなら「偉そうに!」とボロクソに言われるのが落ちだった。

 それはともかくも自分が言ったことで妙に冷めた空気が周囲に漂うのを感じたのか、津島少年は見えないはずの目で辺りを見回しにっこり笑うと、

「彼女が天野宗歩あまのそうほなら、僕は石本検校いしもとけんぎょう・・・。いえ、米村利兵衛よねむらりひょうえで指してみます。」

と、宣言するように言っていた。

 すると津島少年が挙げた名前が分かる人は、これから見られるであろう二人の対局の面白味というか醍醐味の期待感から、ますますその場を離れられなくなったのだ。

 玲奈に宿っている本因坊秀策ほんいんぼうしゅうさくは、地蔵院で見た天野宗歩あまのそうほの将棋精選の棋譜ぎふを即座に自分のものにしていたが、石本検校いしもとけんぎょう米村利兵衛よねむらりひょうえという名には心当たりがなく、ひたすら自分の将棋を指すのみであった。

 それよりも本因坊秀策ほんいんぼうしゅうさくは、自分の感性に似たものを津島少年に感じていた。

 玲奈の父は趣味で将棋は指すが、ただそれだけだったので秀策とは別の意味で「石本検校いしもとけんぎょう」、「米村利兵衛よねむらりひょうえ」と周囲が騒ぐと、思わず橋田の袖を引っ張り、

石本検校いしもとけんぎょうとか米村利兵衛よねむらりひょうえって、いったい誰なんだ?」

と、尋ねていた。聞かれた橋田は玲奈と津島少年の指し手から目を離すことなく、

石本検校いしもとけんぎょうという人は、津島君と同じで盲目もうもく棋士きしなんだ。また天野宗歩あまのそうほ平手ひらてで勝ちを収めたことのある強豪だが、あるとき宗歩に負けて一緒に帰る道道『わしが目明き《めあき》ならば良き勝負であるべきものを』とこぼしたそうだ。すると宗歩に『左様ではあるまい、ならば同じ条件にて』と返されて、各々指し手を言い合う目隠し将棋を始めたが、別れるまでに宗歩に圧倒されて脱帽したという逸話もあるみたいだ。」

と、説明していた。

「そうか! それで、あの少年は石本検校いしもとけんぎょうは止めたのか・・・。じゃあ、米村利兵衛よねむらりひょうえは、どうなんだ?」

米村利兵衛よねむらりひょうえも強豪で、天野宗歩に唯一ゆいつ勝ち越している人物だ。四連戦で二勝一負一分にしょういちまけいちわけらしい。」

「はあ? それじゃあ、玲奈は負けるのか?!」

「そんなに、いて結論を出すなよ。玲奈ちゃんが勝つか負けるか、勝負は下駄を履くまで分からないだろう。」

「確かに、そうだが・・・。しかし、玲奈は大丈夫かな?」

 ざわめいていた玲奈の父や橋田、そして周りの人びとが落ち着くと、再び付き添いの少年が玲奈の指し手を読み上げる。

 序盤は当然手の内を探る押し殺したような静かな戦いが繰り広げられていたが、中盤にさしかかると玲奈というか本因坊秀策ほんいんぼうしゅうさくと津島少年の一進一退をかけた激しいバトルとなっていた。

 五十三手目、6二角成と玲奈は指すが、見ていた父親が独り言のように、

「6二歩成として、歩が使えるようにしたほうがいいんじゃないのか?」

とボソッと言っていた。だが、橋田は黙って見ている。

 さらに玲奈の五十五手目、4五歩と指すが、

「8二銀と逃がすのが先だろう。」

と父親はわめいた。しかし、橋田は何も言わない。

 玲奈自身はど素人なので、本因坊秀策ほんいんぼうしゅうさくの指示通りにしか指せず苦悩のくの字もなくアッケラカンとしていたが、サークル名人、天才と言われている津島少年は幾度となく鼻にしわを寄せ、口元を曲げて考え込む。一手一手に十分じゅうぶん時間をかけ臆病者と見まごうほど慎重になっていたが、ついに勝負は終局にさしかかった。


 先手▲、玲奈。8六王。

 後手△、津島。7四金打。

 ▲ 8五角打。

 △ 同金。

 ▲ 同王

 △ 3九竜。

 ▲ 3八金打。

 △ 1九竜。

 ▲ 9一飛成。

 △ 5七歩打。

 ▲ 8四王。

 △ 5八歩成。

 ▲ 7四歩打。

 △ 4八と。

 ▲ 同金。


 将棋は素人の域を出ない父親だが、はたで見ていて思わず、

「ああ・・・。やっぱり、玲奈が負けるぞ?!」

と、うめいた。その声に、津島少年は言葉を発することなく自信を見せると、白い歯を見せていた。


 △ 3九竜。

 ▲ 4七金。

 △ 4九竜。

 ▲ 7三歩成。

 △ 3五桂打。

 ▲ 9三王。

 △ 4七桂成。

 ▲ 4五銀。

 △ 3七成桂。

 ▲ 5四銀。

 △ 3五桂打。

 

 166手で後手津島少年の勝ちに、玲奈に宿った本因坊秀策ほんいんぼうしゅうさくは唇をかみしめたが、そこは秀策で悔しさをみじんも感じさせずさわやかに「負けちゃった」と、玲奈に言わせていた。

「しかし・・・、小学生だというのに、この子は凄いな。」

と、一人が驚くと、

「本当に凄い。津島君相手に、ここまで指すとは。我々じゃ、歯が立たないぞ。」

「さすがに、橋田さんが連れてきただけのことはある。津島君と、どっこいどっこいだったじゃないか?!」

と、自分たちの将棋も忘れて大騒ぎになっていた。

 当の玲奈は訳が分からず、意識の半分以上は「この人たち、何を言ってるの?」という顔で突っ立っていると、津島少年までもが、とは言っても、まさか本因坊秀策ほんいんぼうしゅうさくが宿っているとは知りようがない津島少年だったので、はじけるような笑顔を見せると、

「こんなにワクワクしたのは、久しぶりです。玲奈さんがもう少し実戦経験を積んだら、僕より強くなるかもしれませんね。お願いですから、時々でいいから手合わせして欲しいな。」

と言っていた。

 玲奈と父、そして橋田は、そんな津島少年にお礼を言うと別れを告げる。


「あっはっは、負けちゃった。」

 車まで歩きながら、玲奈は気楽に言っていた。玲奈が負けたことによってショックを受けてはいないかと心配していた父親だったが、その心配は取り越し苦労だった。

「しかし、あの少年はつよいな!」

と、父親はしみじみと言った。玲奈に期待していただけに、玲奈よりも本人のショックが大きいようだ。

「言っただろう。津島君は、素晴らしい将棋指しだ。彼は将来、タイトルをめざせる棋士になるんじゃないのかな。」

 橋田は、帰る車の中で津島少年を褒めちぎった。また、紹介した玲奈が自分が見たとおりの実力の持ち主だったことにも安心したようだ。

「玲奈ちゃん。いつでもいいから津島君と手合わせを、またしてくれないか?!」

と、橋田は玲奈と父親を見て言っていた。


 


 




 





 

 

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