第2話 秀策の忘れ物

 住職は「迷惑な話だ」といった感じで、玲奈の被っている白いレースのついた帽子からズックのつま先までジロリと見ていたが、

「君かね、内の奥さんが驚いていた強引な子とは?!」

と、あきれたように言った。

 言われた玲奈は、こういった事には気が回るので「ヤバイ」と思い素早く帽子を取ると、

「すみません、どうしても知りたかったものですから・・・。」

と頭を下げる。そばにいた美代も、玲奈につられたように頭を下げていた。

 住職は、そんなに素直に二人に頭を下げられるとは予想していなかったようで、「まあまあ」というように手を動かすと、

「君たちが探していたものは、奥に置いてあるよ。どうしても、見たいんだろう?」

と言いながら背中を向け、

「上がりなさい。」

と言っていた。

 言われて、玲奈は行儀よく靴を脱ぎ美代をうながす。うながされた美代は半信半疑だったが、どちらにしても二人はドキドキしながら住職について行く。住職は二人を振り返りながら、

「君たちが私の奥さんに言ったことは、ものすごく古い話でね。たぶん三代前の住職の頃だと思うが、どのようないきさつで預かることになったのかは私にも分からないよ。」

と言うと、庭に面した一番奥の部屋に二人を招き入れていた。そして、座卓を前に座りながら、

「大変だったんだよ。とにかく、どこにあるのか分からなかったからね。奥さんが何年か前に納戸をかたづけたとき、それらしいものを見た記憶があるというので、やっと分かったような次第だ。」

 その奥さんが、麦茶をお盆にのせて入ってきた。

「そうですよ、大変だったのですから。あなたには参ったわ。」

と、玲奈を見ながらあきれたように言う。

「すみません、本因坊秀策ほんいんぼうしゅうさくの・・・。」

 玲奈が言うのを聞いていた美代は夢の話が出るかもしれないと思い、慌てて玲奈の脇腹を突いた。

「うん? 本因坊秀策ほんいんぼうしゅうさくの何か・・・。」

「いえ。私たち本因坊秀策ほんいんぼうしゅさくのことを、知ってる人からちょっと聞いたものですから。」

「そうかね。しかし、その知り合いの人もよく知ってたね。どこで知ったんだろう・・・? たぶん、君たちに言われなければ私も家内も完全に忘れていたよ。」

と言っていた。


 座卓の上に置いていた、いつ破れても不思議ないほど埃まみれで朽ちた風呂敷包みを住職は用心深くほどくと、これまた触れば破れてしまいそうな紙の束を取り出した。

 玲奈は紙の束を見ながら、あれだけみんなを騒がしておいて、『きったねえ!』と勝手なことを思っている。

「私にも、よく分からないのだが・・・。」

と住職は言いながら、変色して焦げ茶になった紙の束を眺め、

「一つは、天野宗歩あまのそうほという将棋指しの人が書いたもののようだ。」

と言っていた。

天野宗歩あまのそうほ・・・?」

 玲奈は夢で見たというだけで将棋はまったく知らなかったので、聞いても「将棋? 将棋とはなんぞや? 天野宗歩あまのそうほ? いったい何者じゃ」と、首をひねるばかりだった。

 しかし、玲奈の頭の中が見えない住職はドンドン話を進めていく。

「ああ、そうだよ。本因坊秀策ほんいんぼうしゅうさくと、同じ頃の人みたいだ。彼もお城将棋に出仕していて、もしかしたら秀策と顔を合わせたことがあるかもしれないな。」

 『お城将棋、出仕?』、二人にはチンプンカンプンである。

「お城で囲碁が打たれていたのは『ヒカルの碁』で知ってましたが、将棋もですか?」

 美代は、びっくりしたように言う。

「うん、そうらしいね。私は碁も将棋もチェスもしないから、よく分からないんだが、この際と思い少し調べてみたんだ。」

 住職はそこで言葉を切ると、奥さんが出した麦茶を飲み、君たちもと勧めていた。それから再び、

「調べたらね、天野宗歩あまのそうほという人は凄い人らしいよ。」

と、うれしそうに、また驚いたように言う。

「へーえ、そんなに凄いんですか?」

 玲奈は分かりもしないのに、思わず膝を乗り出していた。

「彼はね、将棋三家の出でなかったため、名人になれず七段だったらしいけれど、世間では実力十三段と言われた力量の持ち主らしいよ。」

 美代がすかさず、

「十三段って、あるんですか?」

と聞く。

「はっは、もっともな質問だ。私も知らないから調べたんだが、十三段って段位はないらしい。名人が九段というから、天野宗歩がいかに凄いか分かるよね。」

 玲奈は住職の話に一応はうなずいていたが、まったく知識のない玲奈なので、それよりは風呂敷の紙の束のほうが気になってしようがない。住職は玲奈の視線が紙の束にいっているのを知ると、風呂敷に二つある束の一つを取り上げて

「ネットで調べたんだがね、これが宗歩の書いた定跡書、将棋精選らしい。」

と言う。美代は、

「見るからに、古そうですね。」

と言っていた。

「うん、嘉永六年というから千八百五十三年に作られたらしい。」

「千八百五十三年? 今から百六十年も前ですか! それで、どうやって作ったんですか。」

「江戸時代だしね、手書きとも考えられるが・・・。数が必要であれば、やはり版を作るんじゃないのかな。」

「版ってなんですか?」

「君たちが、学校でやってる版画と同じだよ。浮世絵って知ってるかな?」

 美代は

「知ってます。」

と、優等生らしく答えていた。美代と住職が熱心に話しているそばで、玲奈は朽ちてしまいそうな将棋精選をパラパラッとめくっていたが、

「私、将棋がしてみたい。」

と、突然言い出していた。言われて、住職も美代も驚いて玲奈の顔を見る。そして美代が、

「将棋と言ったって・・・、私、分からないわ。」

 美代の言葉に住職も、

「私も、興味がないからね。」

と言って、二人とも玲奈に取り合ってくれない。

 そうした中で夢枕に立った本因坊秀策ほんいんぼうしゅうさくが、玲奈の目を通して天野宗歩あまのそうほの将棋精選を読んでいた。


 今日は、もう遅いからと住職に言われて、玲奈と美代は地蔵院を後にする。残りの紙の束は、また今度だそうだ。

 帰りながら、玲奈は美代の袖を引っ張ると『誰か将棋を教えてくれない』って聞くが、美代は令央ものぼるにも出来れば言いたくなかった。どう考えても、玲奈である?! 後々、面倒な予感がしたからだ。

「まあ、いいわ。杏美に言ってみる。」

「うん、それがいいよ。やっぱり、最初は家族からよね。」

と、美代は上手くはぐらかせていた。

 美代と別れ、家に着いた玲奈は母親の顔を見るなり、

「姉貴いる?」

とたずねる。

「居るけど、どうしたの?」

「うん、用事があるんだ。」

「気持ち悪いわね。あんなに嫌っている杏美に、用があるなんて?!」

「そんな事ないよ、わたしゃ姉貴を嫌っちゃいないんだから。」

「ま、いいわ。杏美! 玲奈が用があるんだって。」

 二階でドアの開く音がすると、

「私、玲奈に用はないわ。」

と、冷たい返事が返ってきていた。

 玲奈は階段の下から、

「姉ちゃん、そんなこと言うなよ。将棋知ってるだろ、教えてよ。」

と言うが、

「嫌だ。少ししか知らないし、今いそがしいんだ。アンタにかまっちゃいられないよ。」

 さらに冷たいことを言う。玲奈はしかたなしに母親のところに行くと、前に見たことのある将棋盤と将棋の駒を出してくれとねだっていた。

「今いそがしいのに、面倒くさいことを言う子だね。たぶん戸棚にあったと思うから、自分で探しなさい。」

「どこの戸棚よ?」

「居間か、杏美の部屋か? どこかにあるわよ。」

 まあ、何とも無茶ぶりである。玲奈は、とりあえず居間から探し始めた。ない! いくら探してもないのである。後は杏美の部屋か?! 出来れば入りたくなかったが、どうしても駒と盤を今日中に見ておきたかったのでドアを叩こうとした瞬間、杏美がドアを開けていた。玲奈はまともに顔面にドアを受けると、ひっくり返った。

「アッハッハ。あんた、こんなところで何してるのよ?!」

 倒れた玲奈を見て、杏美はひどく喜んだ。

「アンタね、わざとしたでしょう!」

「そんな事知らないわよ! たまたまよ。それで、何か用?」

 玲奈は額と鼻の頭をさすり、

「アンタとこに、将棋盤と将棋の駒ない?」

と、偉そうに聞いていた。








 


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