エッセイ「続々じぃちゃんのお榊」

@19643812

第1話

祈りは必要ですか?


エッセイ「続々じぃちゃんのお榊」

                        清水太郎

 「運・不運は、その人の日頃の心がけ次第なのだろうか?何もしないで、待つ?その時が来れば?と思う人も多いのだろう。選挙の投票に行かない、自分の意思をハッキリと顕わさない?その様にしていればよい方向に進むのだと、現在の政治を批判しないでいる。人間社会の出来事は、神さまにお任せするのではなく、自分たちが変えて行かなくてはならないのだと思うのです」。

 塩を置く、運勢をよくするために色を変えてみる、占いに頼る、神さまに祈る、仏さまに祈る。人は、それぞれ試みている。私も自分なりにやってみたが、家の墓相を拝見すると、その人の家の未来が判るのです。「お墓は社会を映している」と、そのように言われている。人の心が移り変わり行くように、世の常も変わりゆくのでしょう。

毎朝、洋子さんが仏壇にお茶とご飯を供えてくれます。月命日の時には、長い燈明を、誰もいない時には、短い燈明を用意してくれます。その燈明に100円ライターで火を点けて、お線香は二本あげます。お輪を「娘・ゆうと・はると・お腹の赤ちゃん・パパ・洋子さん・その次に月命日の仏様」の順に打つのです。お経は唱えません、神棚の神様へ祝詞も揚げません。二礼二拍手一礼の後に「娘・ゆうと・はると・お腹のあかちゃん・パパ・洋子さん・最上友希江の乳癌の再発防止・洋子さんの甥の上田耕平の会社で働く人たちの安全を祈ります。八幡様にも同じお祈りをします。仏壇のお先祖様は、私よりも洋子さんに感謝しているのだと思います。神棚のお世話は、私が全てしています。神棚へのお祈りが、朝起きて最初にする一日の始まりなのです。次に、ダスキンのモップで、階段から玄関の床、次に娘たちの寝起きする床、洋子さんの部屋、私の部屋への階段、私の部屋、と残された二階の床を拭いうのです。孫たちを保育園へ送り、娘を西八王子駅に送る、パパがいないときは八幡さまへ、帰ったら家の中の掃除です。11時近くまでかかることもあります、パソコンへ向かうのはその後にしています。汗だくになります、シンドイこともあるのですが、ダストハウスを減らすと決めたのです。

市営団地で生まれた、娘の部屋が誇りまみれだったのです。床の上にウスベリを敷いてあったのです。それが、娘の気管支喘息の原因でした。「孫たちを娘の二の舞にしてはならない、健康に育ち、自分のことが出来たら、人の役に立てるようにしたい」が願いなのです。娘の家には「神様が居られる」のです、乱雑で誇りにまみれた家では、居心地の良い筈がないと思うのです。

神さまも仏さまも、私が念じ、行ったことは全てご存じなのです。でも、罰を与えたりはしないと思います。この世のことは人間に任せておられるからなのです、「善も悪も」背負ってあの世まで行くのです。布団に横たわり、神棚の神様と仏壇のご先祖へ感謝をするのが、一日の最後の日課になりっています。

私の詩のブログに「愛があれば、他に何も要りません」とお返事を書きました、神や仏を信じなくて済むならそれで良いのです。私は弱い人間なのですよ!

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