3.戦闘

 それは、一瞬の出来事だった。


 ワカはただ、その様子を見ているしかなかった。

 炎が、一瞬にして村を覆う。

 人々が逃げ惑う。男が、老人が、子どもが、妊婦が……炎に包まれ、焼け焦げた死体がワカの前に倒れた。

「……あ……あ?」

 声にならない。助けてくれと藻掻く、その人に手を差し伸べてやることすら、思い浮かばない。

「逃げろ!」

 犬飼健の叫び声に、ワカは我に返った。

「子どもは、俺のところに来い、妊婦と老人は今すぐ沢の方角に逃げろ! 大人は戦え! 子を守れ!」

 犬が的確に、村人たちに指示する。

 だが、100年以上ものあいだ、外敵に晒されることなく安寧に暮らしていた村人たちは、戦い方など知らない。村の男たちは驚き、慌てふためいていたが、女たちは農具を武器に妊婦を数人で取り囲み、ヤマトの兵士たちから妊婦や老人を守りながら、沢の方に上手に逃げていく。

 犬はヤマトの兵を蹴散らしながら、子どもをひとりひとり、羅の作った石造りの屋敷に押し込んだ。最後のひとりを押し込んですぐ、犬は浜辺でたたずむワカを抱き上げ、子どもと同じように石造りの屋敷の二階に放り投げた。

「ワカの宮は、そこで子どもをお守りあれ! 俺は、田畑でんばたに子が残されていないか、探しに行く!」

 ワカに対してそれだけ言うと、犬はまた、別の子どもたちを探して炎の中に入っていく。

「ワカさま……」

 小さな女の子が、ワカにしがみついて泣くので、ワカはただ、その子を抱きしめ、背中をさすってやった。


 浜辺で舟を作っていた羅とイサも、先にかけだした犬より少し遅れて、ヤマトの船がついた浜に出た。

「桃!」

「イサ!」

 イサの姿を見て、桃姫が船首から手を伸ばす。

「助けて!」

「え? たすけ……?」

 桃姫の後ろには黒ずくめの甲冑を着付けた大きな男が、桃姫に刀を突きつけていた。

「ヒコイサセリヒコノミコトであらせられるか?」

 男が、船首の上から浜辺でこちらを見上げるイサに訊ねる。

「そうだ。お前は?」

「名乗る必要はない。宮様方はここでお亡くなりになっていただくことになっている」

「王后陛下の手の者か?」

「4年前、旅に出たきり、死んでいれば良かったものを」

 イサの問いに、男は肯定も否定もしない。だが、大きく叫んで桃姫に刀を突きつけた。

「飛べ! 桃!」

 イサの声と共に、桃姫は船首から浜辺に向かって飛び降りた。その桃姫を、イサが受け止める。

「イサ!」

 自分を抱き留めるイサの首に、桃姫が腕を回してしがみつく。

「4年ぶりだな。桃」

「イサ、会いたかった」

 だが、今は再会を喜び合うよりは村を救うとき……イサは桃姫を浜辺に降ろすと、まだ船の上にいる黒い甲冑の男をにらみ付けた。

「殺すなら、俺たちだけ殺せば済むこと! 温羅うらの人々を巻き添えにするな!」

 浜辺から、船首にいる男に向かって、イサが叫んだ。

「うるさい! 貴様たちは大王おおきみの命を受け、この鬼の島を征伐しにきた。そして、鬼たちから返り討ちに遭って相打ちして果てたのだ! 貴様たちがこの島で生きていた痕跡すら残すなとのご命令だ! 鬼と共に果てよ!」

 男が手を上げると、浜辺にいてイサと桃姫の様子をうかがっていたヤマトの兵士たちが、一斉に二人に槍を向ける。

「桃! お前は逃げろ!!」

 イサが、桃姫を突き飛ばす。だがその瞬間、ヒュッという風を切る軽い音が聞こえ、イサの頬を矢がかすめて兵卒のひとりの眼球を過たずに射貫いた。


 驚いて振り返れば、浜の向こう側に温がいる。

 温はただ静かに弓を構え、また、正確に違う兵卒の眼球を射貫く。そうして、四人、五人と射貫いたあとで、その矢先を今度は船の上にいる黒甲冑の男に向けた。

「ヤマト人どもの争いに、我が温羅島うらしまを巻き込むな。温羅に恨みがないのならば、さっさとこの村から立ち去れ。さもなくばお前の喉を……射る」


 その瞬間。

 

 温の背中を、歩兵が切りつける。



 それは、ほんの一瞬の出来事だった。


「温!」

 イサが叫ぶよりはやく……温の身体は、地に倒れた。

「温!」

 イサはそう叫ぶなり、温に駆け寄る。

 それと同時にひとりの男が、温を討った歩兵と、船上の黒い甲冑の戦士をいとも簡単に弓で射貫いた。黒い甲冑の戦士が、大きな悲鳴を上げて船上から海に転落する。

 男は黒い甲冑の戦士が海に落ちたことを見届けると、イサを押しのけ、温を抱え上げ、抱きしめた。

「……ホデリ?」

 温が、自分を抱きかかえる男をそう呼んだ。

「そうだよ、オヤジ様。ホデリだよ」

「帰ってきたのか、ホデリ」

 男は頷き、そして、温の最期を看取った。

「ウラシマさん……」

 桃姫が、いつまでも温の亡骸を抱いて泣き続ける男に声をかける。

「だから言ったんだ。やっぱり、俺ひとりでこの島に来れば良かった」

 未だ炎のくすぶりを見せない村を見つめ、ウラシマは腹の底から声を絞り出す。

「お前らヤマト人を連れてきた俺がバカだった」

 炎をまとう村を見つめ、「ごめん、ごめん」と何度も何度もつぶやきながら、ウラシマは地面に拳をたたきつける。

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