3.わたしを鬼ヶ島に連れてって

 その夜……。

 闇に紛れた小猿は、海岸に舫ってあった一艘の舟に乗り込み、沖に向かって漕ぎ出した。

「ちょっと。ウチの舟になにしてんのよ」

 そんな小猿に、浜辺から少女が声をかけた。「ばれた!」と驚いて、肩をすくめて振り返ると、浜辺でトヨが仁王立ちになって小猿をにらみ付けている。

「なに、あんた……舟泥棒だったの?」

「いや、あの……2~3日したら返すから……ちょっと貸しといて」

 そんなことを言う舟泥棒を、トヨは鼻で嘲笑う。

「あんたのお兄様も、ウチの舟を盗んで海に出たわ。それから帰ってこないの。たぶん……今頃はこの海の底のどこかでお暮らしなんでしょうけど」

 トヨの言葉に、小猿は舟の上から海を覗き込む。

「海の底で暮らすんは、いややなあ」

「いらっしゃい。案内するわ」

 トヨの言葉に、小猿は逆らってはいけない気がした。だから、舟を舫い直して岩場を歩くトヨの後ろに従う。


 ごつごつした岩場を四半時も歩いた頃……月明かりを受けてキラキラと輝く場所にたどり着いて、小猿はあまりのまばゆさに、思わず顔をしかめた。

「これは?」

「あたししか知らない、秘密の道」

 トヨはそう言って、小猿の顔を見つめ……そして、海底の砂浜に降りたった。月明かりを受けた砂浜に舞い降りたトヨの身体を、夜光虫が優しく迎え入れ……その身体の周りが、青色に輝いた。

「行こう、ツクヨミ」

「小猿」

 小猿が、自分の名前を言い直す。

「兄ちゃんは、俺をそう呼ぶ」

「そう……行こう、小猿。この道が出来ている時間は短い」

 トヨは小猿の手を取ると、走り始めた。

「この道を道なりにずっと走るの。小さな島を三つ超えたところに、大きな島があるわ。そこが、この道の終わりよ」

 

 トヨに言われたとおり、小さな岩場のような島を三つ超えたところに大きな島があった。

 小猿が島にたどり着くと同時に、潮が満ち始め、今来た道を閉じていく。しばらくその様子を眺めていると、やがてゆっくりと、道は海に戻っていった。

「帰れんくなった」

「大丈夫。今日は夕方にもう一度潮が引くわ。そのときまでに、お兄様をさがしなさい」

「この島に、俺の兄ちゃんがおるって、なんでわかるんや?」

「わかんないわよ、そんなこと。でも、たどり着いて生き延びられるとしたら、この島か……」

 そう言って、トヨは今いる島より、さらに西の方角を指さす。

「あの、島」

 トヨが指を指す方角には、この島よりあと一回りほど大きそうな、緑豊かな島が見えていた。

「あれは、ウラシマよ」

 トヨが言った。

「ウラシマ?」

「鬼神・温羅ウラの島。温羅島うらしまよ」

温羅島うらしま……?」

 小猿はその島の名をつぶやきながら、その島を見つめる。

「昔、お前のお父ちゃんから聞いたことがある。あの島には、鬼が住んどるんやて」

「島の鬼たちは凶暴で、うっかり島に上がってしまったヒトを食べ、金品を奪う」

「おっちゃんの顔に付いてる真一文字の傷は……」

「あの島の鬼に付けられた、傷跡……」

 小猿とトヨが、かわりばんこにウラシマから教えられた「温羅島」の物語を話し始める。二人が、自然にお互いを見つめ合った。

「トヨ。俺はあの温羅島に兄ちゃんたちがおりそうな気がするんや」

 温羅島を指さして、小猿が言った。

「偶然ね。わたしも何故か、そう思うわ」

「……行ってみても、ええかなあ」

「実はわたしも、あの島に用があるの。父のお嫁様にしたい人が、あの島にいるのよ……多分」

 ちょうど良い具合に、浜辺に打ち流されていたウミガメの甲羅を見つけ、小猿はそこにトヨをのせた。

 そして……空を見つめる。東の空から、太陽が昇り始め、濃紺の闇をオレンジ色の光が包み込んでいく。

「海神は……女の子が嫌いやって言うとったっけ。えろう、ご機嫌悪ぅなってはるけど」

 空を見上げて、小猿が呟く。遠い空の向こう側から雨の匂いがするのを、小猿は感じ取っていた。

「東の方から、分厚い雲が来る。嵐になるかもしれん」

「違う。海神の娘が、自分より美人が海にいることを嫌うの。あたしはお父様に似て、美人じゃないから大丈夫」

 そんなことをいうトヨの顔をじっと見て、小猿は「トヨは可愛いよ」と、にこっと笑う。

「しっかり、甲羅につかまっとくんやで」

 トヨにそう声をかけ、小猿はゆっくりと海の中に入っていった。

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