2.ウラシマの村

 ウラシマの村では、久しぶりの結婚式で賑わっていた。

 海神ワタツミを祀るウラシマの村では、普段の食事は海で取れる魚ばかりだったが、その日は久しぶりに近隣の山まで出かけて取ってきたイノシシやシカの肉も並べられ、村人たちは舌鼓を打った。


 そんな村に、数年ぶりに旅人がやってきた。

 前回来たのはたしか、4年か5年ほど前のことで、男ばかり4人組の旅人だったが、今回は若い男のひとり旅。顔の下半分を白い布で覆った、その旅人の背格好には覚えがなかったが、髪の色に見覚えがあって、ウラシマは「坊主か」と、声をかけた。

「ウラシマのおっちゃん。久しぶりやな」

 白い髪の少年がウラシマにほほえみかけると、ウラシマも嬉しそうに少年の頭を抱えて「大きくなったな!」と、歯を見せて笑う。

「運が良かったな。今日は結婚式で、肉や木の実がたくさんあるんだ。喰っていけ」

 鬼のような形相ながら、人が良いウラシマは、少年にたくさんの食べ物を勧める。だが、ウラシマはどうしても目の前にいるその子の名前が思い出せない。

「坊主、お前、名はなんと言ったっけ?」

月読尊ツクヨミノミコト

 白い髪の少年はさらっとそう答えたが、ウラシマは「そんな名前だったか?」と首をかしげる。

「母は息災か」

「元気やで。よお、コロコロ太っとる」

「太ってる?」

 少年の母という人は、年若いながらも老婆のような風貌の女性だったはず。首をかしげるウラシマに、少年が訊ねた。

犬飼健いぬかいたけるという男が、この村を訊ねてこなんだか? 俺の兄ちゃんなんやけど」

「犬飼健?」

「うん、もう4年も前に家をでたんやけど、いっこも帰ってこんからお母ちゃんが心配してしもて。俺、お母ちゃんの代わりにお兄ちゃんを探しに来たんや」

 少年の話を聞いて、ウラシマは眉をしかめる。そして、ちょうど御神酒を持って後ろを通り過ぎた我が娘を呼び止めた。

「トヨ。お前、犬飼健という男を、知っているか?」

「犬飼健?」

 トヨと呼ばれた10歳ほどの少女も「犬飼健」という名前には心当たりがなく、首をかしげた。 

「4年か5年くらい前にいらした、旅の人たちの中にいたのかも……」

 そういうのだが、自分も当時は5歳くらいで、その人たちのことは「綺麗な顔のお兄さんたちが来た」という程度の覚えしかないという。

「男の人ばかりの、4人組で……二人があなたくらいの子どもで、大人の二人のほうが従者だと言ってたわ」

 男ばかり……と言うところ以外は、少年が探している旅人像に合致している。少年は身体をトヨの方に向け、トヨも少年と父の前に座り込んだ。

「おっちゃんより背が高うて、顔もシュッとしてはって、鼻が高い……」

「ああ、その男なら」

 4年前に訪ねてきた男たちの従者のひとりにやたらと体格のいい男がいたから、「嫁を取って村に住まないか」と誘ったのだが断られたと、ウラシマは笑った。

「そういえば、確かに若様のひとりがしきりにその男のことを『犬』と呼んでいた。子どもが大人にむかってイヌなどと呼ばわるとは、なんてクソガキだと思っていたが、なんだ、あれは名前だったのか」

 そんなことを言って、ウラシマは大声で笑う。

「犬! そう、その人が俺の兄ちゃんや」

「なんだ、その旅人たちのことなら……陸路で吉備の方角に向かったよ」

「吉備?」

 ウラシマの話を聞いて、少年が素っ頓狂な声を上げる。

「海を目指して旅をしとったとおもうんやが」

 浜辺の方角を指さして、少年はウラシマに尋ねた。

「海? いや、彼らは陸路で吉備に向かったよ」

 ウラシマが嘘をついているのは、トヨの表情を見ていればわかる。だが、少年は敢えてその嘘に乗った。


 ウラシマは、よそ者が村の海に立ち入ることを極端に嫌っていた。おそらく、4年前に訪れたはずの一行も、こうして断られたに違いない。そこからどうやって村を出たのかはわからないが、ここまであからさまな嘘をつかれると、イサが西の海路に興味を持たないワケがない。


 小猿は一行がウラシマの忠告を無視して、海路を選んで西に浮かぶ島を目指したことを確信した。

「ほうか……困ったな。吉備まではよういかん……実はお母ちゃんが死にかけでな。お兄ちゃんの名前を呼んどるんで、探しに来たんよ。そやけど、吉備なんか行ってたらお母ちゃんの死に際に、俺すら間に合わんかも知らん」

 さっきは「お母ちゃんは元気や」と言っていたのに、二人の気を引こうと急に母を臨終させようとする見え透いた嘘に、ウラシマは思わず口にした酒を吹きそうになったが、さっきのやりとりを知らないトヨが少年に同情した。

「俺は、明日お母ちゃんのところに帰ることにする。おっちゃん、悪いけど今日は一泊させてくれへんか?」

 少年の願いにウラシマは「いいよ」とあっさりこたえ、トヨに部屋を用意するように命じて、また、結婚の宴会のほうに帰って行った。

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