旅立ちは突然に
3-1.哀しいという気持ちの話
だが……ワカが次の東宮に任ぜられる日は、意外に早く来た。
御所の庭で、子どもたちと遊んでいた東宮が、毒蛇に噛まれて亡くなった。
そんな知らせがイサの元に届いたのは、「ワカを東宮にしたい」という東宮の意思を聞いてから……ほんの、一ヶ月後のことだった。
「お前たちが! お前たちが東宮を!!」
いつもは静かな夕刻の御所に、
「イサセリヒコが東宮に毒蛇を放ったのだ! あたくしの東宮を返して!」
木の汁で赤く染められた
「お前はいつもそう! その反抗的な目! お前のその目に、あたくしが今までどれだけイヤな思いをしてきたか!」
「返して! 返しなさいよ、あたくしの東宮を!!」
「王后陛下。どうか、もうお鎮めください。蛇を放ったのはイサの宮ではございません!」
イサの従者である
そんな王后の背中が見えなくなるまで頭を下げていた犬飼健は、王后の気配がしなくなったのを見計らって頭を上げ、王子を見つめた。
「心の乱れを、ああやって素直に表現できる者は幸せだな」
20歳の犬が、50に届きそうな王后をそう、評価する。そして、12歳のあるじを抱き上げた。
「哀しいときは哀しいと言って良いんですよ、イサの宮」
イサも犬の首に自分の腕を回し、犬に甘えるように、その肩に頭をもたげた。
「哀しい……とは?」
「人は何かを失ったとき、心に穴が開いたような気持ちになります。それを、哀しいと言います」
イサは、今まで身近な人が死ぬ……ということを、経験したことはなかった。自分を孫のように可愛がってくれていた
「兄上には、明日から会えないのか?」
「会えません」
「まだまだ、教えていただいてないことがたくさんある」
「……母上の御所に帰りましょう」
犬は、元々寡黙な男だった。だから、それ以降は何も言わずに、ただ、王子を抱き上げたまま、クニカ姫の御所に向かって歩き続ける。
中央の御所では大王もまた……。東宮を失った悲しみに、打ちひしがれていた。
東宮を失ってから後、大王はぼんやりとした一日を過ごすことが多くなってきた。時折、身体の不調を訴えて床に伏す。
そんなとき、大王に変わって第二王子と第三王子のイサ、そして第四王子が交代で朝廷に出ていたのだが、この三人はこぞって短気者で、話の長い老人たちとの会議には向かない。
結局、大臣たちはすべての話を一番年下のワカに持ち込むようになった。
「兄上たち。僕、東宮になろうと思うんだけど、いいかな?」
ワカがそう決心したのは、東宮が亡くなってから実に、半年も経ってから。
三人の兄たちは、数えで11歳になったばかりのワカの決心を、喜んで受け入れた。
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