第212話 東京都杉並区上荻のすごい冷やし中華
また、夏が来る。
銀色に光っているかは知らないが、夏が来るのである。
かくして私は、東京へとやってきていた。
「重かった……」
上京前に少々バタバタしていたために、現地へ送るべき荷物を送り損ね、はるばる大阪から約15kgの荷物を抱えてやってくるハメになったのである。
しかも、鞄の肩紐が耐えきれずに破損。お買い物スタイルで腕に掛けてどうにかこうにか、ホテルまで辿り着いて一息。
次からは、リマインドをしっかりして忘れないようにしよう。私は、失敗から学べる人間なのだ。
しかし、大荷物を運び一息吐いた今は昼時。
当然。
「腹が、減ったな……」
さて、折角東京へ来たのだ。こちらでしか食べられないものを食べるのが吉だ。
いつもならフラフラと本の匂いに誘われて神保町へ歩いているのだが。
「電車でそこまで時間は掛からないし……少し足を伸ばすか」
中央線快速に乗り込み、半時間にも満たない時間を過ごして荻窪の地へと降り立った。
「こっち、だったな」
ネットで調べた地図を脳内で再生し、駅の北側に出て線路から一つ離れた道を右へと向かう。
すると。
「おお、解り易いな」
他のチェーンにはいったことがあるので、マスコット的な豚の絵がすぐに目に入ってきた。そこを目指せば、目的の店。迷わずに到着できたようだ。
平日の昼間で中途半端な時間でもあったのが幸いしたのか、店内は空いている。
扉を潜れば、コの字に少し角度が付いて鉤のような形に厨房を囲むカウンター席のこじんまりした内装だった。
食券機は入ってすぐ左。
「今日はこれしかないな」
熱い夏だ。
すごい冷やし中華、君に決めた。
食券を確保して、空いていた席に着く。
即座に食券を出して、
「(名前を言ってはいけないあの植物)抜きで」
と何よりも先に注文する。食べ物の定義は人それぞれ。私はあれを食べ物のカテゴリに入れていないのだ。むしろ、周囲を臭いで汚染する毒物と認識している。
ゆえに、抜いてもらうのは大事なのだ。
その後に、
「麺は400gで」
と最大より100g少ない量で注文する。感覚的に、ここが限界なのだ。
さて、後は待つばかり。『ゴシックは魔法乙女~さっさと契約しなさい!~』を起動する。現在は、五乙女の応援イベント。五悪魔ではないので比較的のんびりと上からステージを進めている。
出撃してデイリーをこなしたりしていると、段々と厨房の動きが仕上げに入ってきたのが伝わってくる。
流水で麺を締める様子が、色々と期待を掻き立てる。
正直、冷やし中華は余計なものが入っていて、外では喰えないのだ。抜いてもらえばいい、と気軽に言うが、結構な頻度で忘れられる。そして、接触がアウトなので、抜き忘れられると食べられないのだ。作り直してくれともいい辛い。
だが、この店は元々カスタマイズに柔軟に答えるのが売りでもある。抜き忘れの確率が相当に低い。信頼できる。
だからこそ、安心して冷やし中華が喰えるのが嬉しいのだ。
期待に腹の虫を鳴かせていると、遂に注文の品がやってきた。
「さすが、すごい……」
丼の上には、左下に、白いフワッとしたタルタルソース。
上部には、タレのしっかり掛かった豚焼き肉。
右下には麺が覗きつつ、ガリ。そして、手前にちょこんとカラシ。
中々冷やし中華の具とならないものばかりだが、そこがいいのだ。
「いただきます」
早々に、底からタレを纏わせつつ、灰色がかった麺を引っ張り出して食す。
「ベースの味は、オーソドックスなんだよなぁ」
酸味のあるタレは、一般的な冷やし中華のそれに準じる。だが、
「まぁ、ここまで食べ応えのある麺な時点で異質だがな」
極太の麺は、冷水で締められることで剛性をも兼ね備えている。麺自体に麦の味わいがしっかりとあるので、噛んでいるとそれだけでも、どんどん旨味が出てくる。タレと絡まれば、本当にそれだけで幸せな気分になれるというものだ。
だが、そんなのは序の口だ。
「熱い焼き肉と冷たい麺……それもまたよし」
甘辛い焼き肉のタレと豚の味わいが、冷麺のタレと化学反応を起こす。この味わい、ジャンクで、だから、旨いとしか言えない。
でも、次が本命なのだ。
「重い……だが、旨い」
肉に麺に、タルタルを絡めるのだ。
卵白メインのタルタルはふわりとしつつもボリュームたっぷり。具材はほぼ玉葱であり、その歯応えとピリッとした味わいもアクセント。だが、タンパク質だ。
全てを包み込む重みがある。いっきにこってりかんがマシマシである。
そうしてしばらく楽しんだところで、
「癒やされるなぁ」
ガリの甘酢が箸休めに最適なのだ。
計算され尽くした具材だ。これ以上の具など必要ない。
そうして、楽しんだところで、カラシを焼き肉や麺に付けて変化を楽しんだりしたところで、
「やっぱりコレも欲しいよなぁ」
卓上のニンニクを、小さじ程度に放り入れる。
入れすぎると風味が壊れるので慎重に量を調整したお陰で。
「チョップ並のパンチ力……」
なんだか発言が支離滅裂だがキックは破壊力でアイは透視力でカッターは岩砕くと最後には『~力』縛りを放棄することが許されるぐらいの表現なのだから細かい子とを気にしてはいられない。
ベースはオーソドックスだが、ここまで色々な要素がぶっ込まれた、まさに『すごい冷やし中華』なのである。これは、某所の『おい●いラーメン』よりも、実情を示していると言って過言ではあるまい。
大阪では喰えないメニューを堪能している幸せに浸る。
が、時と腹の虫は残酷である。
気がつけば、終わりは近かった。
「なら、盛大にやるか」
丼に残ったタルタルが混ざって白濁した麺に、卓上の胡椒と唐辛子をぶわっと振り掛ける。
黒と赤のアクセント。
ついでにニンニクも少量追加してまぜ。
かき込む。
「至福……」
ジャンクにジャンクを重ねたジャンク・オブ・ジャンクスな味わいを、もっしゃもっしゃと口内で咀嚼して、胃の腑へ叩き込む。
丼は、空になった。
余韻に浸り。
最後に、水を一杯飲んで一息吐いて。
「ごちそうさん」
食器を付け台に上げて店を出る。
「さて、腹ごなしに少しぶらっとしてから戻るか」
滅多にこない荻窪駅前の適当なショッピングモールに足を運ぶ。
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