第159話 東京都北区赤羽の中華そば小(ネギのみ)

「期せずして、聖地巡礼が捗ってしまった」


 上司から命じられた突発的な東京出張。だが、急過ぎて都心部のホテルはどこも空いていない。


 一万円以下で探すと、七、八千円でもカプセルという現実に東京の物価を感じたりした。


 横断的ホテル予約サイトの弱点というか、みんな考えることは同じなのであろう。


 そこで、比較的関東に仕事以外で行く機会の多い身としては、直接宿のホームページを訪れた方がよいかもしれない。


 そうして、最近利用したいくつかの宿を当たるも空いていない。


「困ったぞ……」


 勿論、予算を上げればいいのだが、会社の損失以前に妙に上等な宿は落ち着かないというのが大きい。


 身の丈に合った慣れた宿が、やはりいいのだ。


「そういえば、昔は東京に来る際に常に使って居た宿があったな……」


 思い出した理由は、最近読んだ漫画に登場していたからだが、果たして。


「お、シングル2部屋だけ空いてるやん! こうなったら聖地巡礼や!」


 かくして、突発的東京出張は、聖地巡礼ツアーを兼ねた贅沢なものとなった。


 技術者として外資系企業らしい刺激的なカンファンレンスに参加し、時間が押したので定時過ぎのセッションに無理に参加することもなく、会場を辞して赤羽へ。


「風景、違うなぁ」


 とはいえ、方向感覚はある。


 迷わず、ホテルへ向かう途中。


「え? この店、ここにあったん?」


 単独で酒が飲めない男が色々な店で飯を食う作品にも登場した店が、毛色に合った。思わず、合っているか確認したが、少し歩けばハイパーな感じの黄色い看板のホテルが見えてきた。


「すっかり綺麗になったなぁ」


 昔はこじんまりした感じが、今はロハスな感じを売りにした外観内装に変わっている。


 とはいえ、ここが聖地なのだ。


 あの、壁に埋め込まれたデジタル時計は変わっていない。


 そう、期待したのだが。


「あれ? ここ、ツインやん」


 チェックインして通された部屋は、二段ベッドのツイン。


 造りが違うので、あの時計はない。


「せっかく、コミックスまで持って来たのに……」


 広い部屋をシングル料金で使えるのはお得なのだが、それでも、なんだか残念な気分になってしまう。


「だが、大丈夫。これから、他の店の聖地巡礼だ」


 期せずしてこちらの友人と都合があい、登場した店を回ることになっているのだ。


 そうして、丸磯水産で普段こんにゃくしか喰わないおでんをセットで頼んでちくわぶ初体験の実績を解除し、更に、名物だし割りの実績も解除。


 次に、まるます屋で鯉やなまずや鰻の肝に舌鼓を打ち。


 最後に、ギリギリで間に合った立ち飲みいこいで何故か地元を流すファンタジーしか映さない実写放映にツッコミを入れたりして、楽しい時間は終わり。


 七軒呑んで路上でゲロッてホテルに泊まるところまでの再現は自粛して友人と赤羽駅で別れた。


 その別れ際。


 〆に喰うに相応しい麺屋の情報をインプット。


 そうなれば、いかないわけにはいかないな。


 かくして、赤羽駅北口付近の、その店へと向かう。


「店名、解らんな」


 細い路地に入ってすぐ。


 内装が見えないと、引き戸の民家のような佇まいだった。教えてもらわなければ辿り着けないような店。


 だが、この聖地巡礼の〆に相応しいじゃないか。


 よく観れば奥に鎮座する食券機へと向かう。


「〆には、小で十分だな」


 シンプルなメニューの中から、中華そば小を選ぶ。わざわざネギのみ、と書いているのもいいぞ。


 席に着き、『ゴシックは魔法乙女~さっさと契約しなさい!~』を一回出撃したころ。


 注文の品がやってきた。


「おお、ドシンプル!」


 褐色のスープに浸った中丸細麺。その上に、申し訳程度に盛られたネギ。


 それだけだ。


 なるほど、勝負に出ているな。


 シンプルであればあるほど、誤魔化しは効かない。


 ならば、真剣勝負と行こうじゃないか!


「うーまーいーぞー!」


 開始一分で光を吐く味皇様的な勢いで、やられた。


 シンプルゆえに、固めの麺の歯応えが食いでを出しつつ、煮干しメインの濃厚スープが日本人の心に容赦ない旨味を叩き込んでくる。


 完成度が非常に高い。


 関西では珍しい醤油で攻めて具無し提供もある某ラーメンを思い出す。


 そういう、シンプルな旨さ。


 〆に最高じゃないか、これ!


 ずるずると麺を喰らい、半分ほどは一気に楽しんだところで、


「そろそろ、味変の時か」


 備え付けの、巨大な胡椒の器が気になっていたのだ。


 少し入れれば、絶対に上手い。


 そう思って。


 蓋を外し。


 丼の上に翳し。


 力一杯振りかぶれば。


「あ!」


 観なかったことにしよう。


 麺をスープに浸して幻覚の黒い粒を洗い流す。


 スープの表面が真っ黒になった気がするが、気のせいだ。


 己に言い聞かせ。


 スープを啜れば。


「おお、負けないか……」


 素晴らしい。


 香辛料の粒にあれだけ晒されても、煮干しの主張は消えていない。


 さすがだ。


 そういえば、昔はうどんやそばに入れる香辛料って胡椒が基本だったんだっけ? 柚胡椒(青唐辛子)って名前が残るぐらいには。


 怪我の功名。


 これはこれで、ポテンシャルを引き出せた。


 なら、赤い胡椒を入れても大丈夫だろう。


 一味をプラスし、啜れば。


「痛ッ! いや、これはファントムペインだ。ないはずの辛味に喉が反応しただけのバーチャルリアリティ。NVIDIAのGPUあたりを使ったVRならきっと実現可能に違いあるまい」


 錯乱していたが、脳は旨いと判断しているのだ。


 問題ない。


「はぁ、終わりか」


 〆はサクサクと喰ってしまう。


 あっという間に麺はなくなり、スープを残すのみ。


 丼を傾け。

 


 汁を全て飲み干……「痛っ! なんだ、この黒い粒と赤い粒は?」


 液体は全て飲み干して粉っぽいものだけを底に残し。


 水を飲んで、一息。


「ごちそうさん」


 付け台に食器を戻して店を後にする。


「さて、ホテルに帰るか」


 I drank. 私は呑みました。


 その事実を胸に、北へと進路を取る。

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