第120話 大阪市東成区大今里の黒ラーメン

 仕事が微妙に長引きつつも、観たかった映画には間に合いそうだった。


 だが、仕事を終えた私の腹の虫は騒いでいた。


「なんか、喰うかい?」


 そんな誘惑が聞こえて来そうなぐらい、とにかく腹が減っていた。


 これは、映画前に腹拵え必須。


 今なら、スーパーの半額弁当を手に入れるために異能を発揮できる程度の腹の虫の加護があるのは間違いない。


 スーパーへ行けば、『湖の麗人』や『ギリー・ドゥー』や『ウルブズベイン』や『幽霊ザ・ゴースト』と相まみえるかも知れない。


 だが、残念ながら半値印証時刻ハーフプライスラベリングタイムにはまだ早い。


 半額弁当をかき込むという腹拵えは否定された。


 ならば、どうしたものか?


 時間にそこまで余裕がある訳でもない。


 劇場に近い場所の店舗を脳内検索。


「あ、そういや、気になってまだ行ってない店があったな……」


 即座に、劇場最寄り駅の一つ、地下鉄千日前線小路しょうじ駅から近鉄の高架を挟んだ場所にある店に思い至った。


 なら、迷っている場合じゃない。


 スタスタと歩いて上映30分前には目的の店に滑り込めた。


 厨房をL字型のカウンター席が囲むこじんまりした店だ。


 長崎ちゃんぽんが売りの店だが、どうにも今はそういう気分ではない。


 他は、色を冠したラーメンが並ぶ。


 黒黄白。


 ならば。


「黒ラーメンを」


 店員に注文を告げ、『ゴシックは魔法乙女~さっさと契約しなさい~』を起動する。とはいえ、そこまで時間が掛かるタイプの麺ではなさげなので、おでかけと試合をこなすに留める。


 その判断は正しく、試合を終える頃には注文の品がやってきた。


 具材は、煮込み系の黒ずんだチャーシュー、煮卵、ネギ、キクラゲ。

 博多寄りの具材、か。


 それよりも。


「でも、言うほど黒くないな」


 スープの色は、黄褐色だった。


 黒、というとマー油系を想像するが、これはド直球の豚骨醤油だった。それも、背脂系ではなく、サラッとしつつも、豚骨の強烈な獣臭を醤油でねじ伏せたタイプのスープだと、匂いだけで解るレベルの。


 これは、期待できるな。


 腹の虫に急かされながら、レンゲを手にスープを一口啜れば。


「おお、豚骨醤油だ」


 こってりというより、味が濃い、といった方がしっくりくる脂ぎっていない豚骨醤油。最近は家系やら二郎系やらの脂ギッシュな豚骨醤油を食す機会ばかり多いので、一周回って新鮮だった。


 腹の虫が奏でる歓喜の歌に導かれるまま、箸を手に麺に手を付ける。


「ああ、こういうのには、やっぱり細麺だなぁ」


 細いなりに表面にしっかりスープの旨みを孕んで胃の腑への道を歩んでくれる。なんだか、それだけで幸せな気分だ。


「このチャーシューもいいなぁ」


 角煮を薄切りしたような、タレの味がする甘辛チャーシューは、この塩気の強いスープに負けていない。


 その際、紛れ込んでくるキクラゲのコリコリした食感も楽しい。


「で、煮卵、か」


 諸事情あり、普段は卵は控えているだけに、ちょっと恐る恐る望んでしまうのは仕方あるまい。


「ま、出されたなら喰うのが礼儀だよな」


 単純な理論で己を論破し、上三分の一ほどを箸で切断して食う。


「なんだか、背徳的な味だなぁ」


 余り食す機会のない卵だけに、その旨みはヤバイ。


 また、半熟だったので、中身がスープへと溶け出している。


 いいぞ、こってりまろやかな感じになった。


 だが、まだだ。


 メニューには、幾つか薬味の提供が示されている。


 なら。


「おろしにんにくください」


 この味には、にんにくだ。


 提供された小瓶のにんにくをひと掬いスープにぶち込んで混ぜ合わせれば。


「ああ、これだよ、これ」


 獣臭に醤油の塩辛さが際だったスープに卵のコクが加わり、そこににんにく臭が加わったことで、パンチがあり過ぎる旨みになった。


 少々くどい味ではあるが、幸せな味でもある。


 麺をズルズル啜り、具材も適宜食し、塩分高めの味わいを楽しむ。


 そこでふと、


「ああ、ここに紅生姜があればさっぱりするなぁ」


 と、誘惑に駆られたが。


「いや、違うな。これをサッパリいってはいけない。この塩辛い道を通り抜けることが必要だ」


 敢えて頼まない。


 そうして、プリミティブな豚骨醤油の味わいを楽しんでいれば。


「もう、終わり……だと」


 気がつけば、麺や具材は無くなり、スープが残るのみ。


 いや、元々サクッと喰うために麺を選んだところはあるが、それでも寂しいものは寂しい。


「完飲、してやるぅ」


 丼を持ち上げ、口づける。


 そうして注ぎ込まれる、獣臭と醤油の塩気を楽しむ。


「ふぅ」


 空になったところで丼をカウンターに戻し。


 水を一杯飲んで塩気による渇きを癒やし。


「ごちそうさん」


 勘定を済ませて店を後にした。


「さて、劇場を目指すか」


 レイトショーに臨むべく、東へと足を向ける。


 

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