第118話 大阪市東成区大今里南の黒醤油(全大盛)

「疲れが抜けない……」


 昨日一つ大仕事を終え、心地良い疲れに包まれていた。


 一晩寝ても疲れが残る中、どうにかこうにか湧き出る仕事をモグラ叩き的にこなして退社に成功した頃には、ヘトヘトになっていた。


「 old.《年かな?》」


 とか思ったりしていたが、カロリーも消費したのか、腹の虫も騒ぎたてている。


 こういうときは、しっかり喰って回復させるに限る。


 とはいえ、いつもの日本橋方面で出てしまうと色々店を回ってしまって余計疲れるのが目に見えている。


 特別目立ったところのない、落ち着いた街を偶には目指そう。


 そんなコンセプトで仕事帰りに足を伸ばした先は、大阪市営地下鉄今里駅。下町の風情を残す住宅街で、大阪市内では比較的治安がいいと言われる地域。


 千日前通に面した東南側の出口を出ても、マンション以外は背の高い建物のない、地味な街並が見える。


 が、左を向くと、祭を彷彿させる男臭いラーメン屋の看板が目に入る。今日の目的地だ。


 店舗の入り口には、メニューの写真が並ぶ。ラーメン、つけ麺、まぜそば、一通り揃っており、種類も豊富だ。更に、ポイントカードを貯めて会員のランクを上げないと注文できない限定メニューがあるなど、中々にマニアックなシステムである。


「まぁ、写真を眺めても腹が膨れるわけでもなし。さっさと入るか」

 

 引き戸を開け、中へ。


 こじんまりした店内には、入り口側と奥にテーブル席が二つ、その間の厨房前のスペースにカウンターが六席ほど。


 まだ開店からそれほど時間が経っていないからか、客はまばらで余裕で座れそうだ。


 応対に出てきた店員にカウンター席に案内され、メニューを開く。


「どれにしたものか?」


 まぜそばも捨てがたいが、ここはラーメンにいきたい。


 そうすると、こってりとあっさりのような分類になるが、ここは、


「黒醤油を」


 タイガーマスクが見せるべきもののような前置きのついたメニューを選ぶ。


 後は、トッピング。


 麺は無料で大盛りにできるが、野菜、肉の増量、その他のトッピングは有料となる。


 大盛の上には男盛、祭盛とあるが、量も料金もそれなりに上がるので、ここは無難に、


「全大盛で」


 とオーダー。


 最後に、


「背脂とにんにくは入れますか?」


「両方入れてください」


 と答える。ここで呪文を詠唱する愚を犯すほど、この店の流儀に疎いなんてことはなかった。


 後は待つだけだ。


 中華鍋で調理する賑やかな音をBGMに、『ゴシックは魔法乙女~さっさと契約しなさい~』を起動する。


 現在は学園系のイベント開催中でセーラー服乙女が出始めている。先日の【闇習い】ロザリーは半額十一連で一発ゲット出来たが、欲は出さない。今朝のルチカのガチャは半額単発で外してそれ以上回さない理性を発揮している。


 セーラー服リリーはまだ来ていないが、できるならギルド報酬など、ガチャ以外であることを祈るところだ。財布的な意味で。


 鍋の音から結構いいペースで調理が進んでいるようなので、出撃は控え、おでかけと試合をこなしていると、注文の品がやってきた。


「これは、旨そうだ」


 中華鍋で炒められた青々としたキャベツともやしと豚バラ肉が大盛で麺の上に鎮座し、隅から覗くスープは名前の通り黒い。背脂とニンニクはスープに既に混ざっているようで、黒の中に白い斑を描いていた。


「いただきます」


 箸とレンゲを手に、丼へと向かう。


「甘い」


 炒め加減が絶妙でシャキシャキした食感を残しつつも火が通ってキャベツの甘みが引き出されていて、これだけでも十分旨い。共に食すもやしもシャキシャキで歯ごたえが心地良い。


「豚も、あっさり目でいいな」


 いかにも濃そうな黒いスープの上で、焦げ目もなく綺麗な見た目の薄切り豚バラは、見た目通りのシンプルな味わい。


 ここで、スープを頂けば。


「ああ、大阪の味だな」


 ベースは豚骨醤油なのだが、関西と関東のスープの概念の違いが現れているというか、黒い割に醤油がガツンとくるよりも、出汁の甘み旨みが前に出た味わい。


 背脂とニンニクの味わいも調和の中にあってガツンとはこない、どこまでも甘やかな旨み。


 かつて関東と関西の味の好みを端的に感じた出来事として、日本橋に関東の味そのままで店を出したラーメン屋が「しょっからくて喰えん!」ってクレームが出まくってある日を境に「濃かったら薄めます」と言うようになったというのがある。


 逆に、私自身、東京出張でそばが食いたくなって店の立ち食い入って「これじゃない!」ってなって長い間関東でそばを喰えなかった時期がある。


 かくも東と西でスープに対する考え方の違いがあるのだが、やがてそれも食文化の違いの楽しさと思って関東のそばが喰えるようになったのは、年を経たゆえか。


 そんなことを思い出させるスープを味わったところで、メインの麺へと手を付ける。


 この手のこってり系でありがちな極太麺ではなく、ほどよい太さの中太ストレート麺は、スープをいい感じに纏ってするするといける。そこまで重くないのがいい。


 麺を喰いつつ、あっさり目の肉をスープに沈め、シャキシャキの野菜を挟んでラーメン全体を味わう。


 ガッツリなのに喰い易い。


 質より量となりがちなところで、質も量も追求した一杯だ。その分値が張るのも納得である。


 腹の虫に導かれるままするすると喰って、気がつけば、残すは四分の一ほど。


「そういえば、薬味を入れていなかったな」


 ミル付き黒胡椒、一味、酢、ラー油、醤油とあるが、


「胡椒と一味だけにしておこう」


 酢も魅力的だが、方向性が変わりすぎるので、無難にいくことにした。


 ミルで胡椒を挽きつつ回しかけ、一味を同じように振りかける。


「うんうん、これもまたいいな」


 刺激が加わったが、それでもまだ甘み旨みが感じられるスープは、最後まで楽しめそうだ。


 麺を食い尽くし、自然とレンゲを口に運び。


 最後には丼を持ち上げて、スープを飲みきっていた。


 戒めなど忘れよう。


 これは、完飲すべきスープだ。


 最後に、水……ではなく、ジャスミンとセイロンのブレンド茶を一杯飲んで一息。


 これは、ニンニクの匂い対策にもなるバッチリのアフターケアだ。


 そんな店の気づかいを感じつつ。


 伝票を手に会計を済ませ。


「ごちそうさん」


 店を後にする。


「さて、帰るか」


 満たされた腹に癒やしを感じながら、家路を辿る。

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