第110話 大阪市東成区深江南のチャーハンセット(辛麺レディースこんにゃく麺5辛)
「風邪が流行っているな」
どうにも周りでゲホゲホする声が目立つ。
今日は、通勤電車で明らかに通勤してはいけない顔色でマスクもせずずるずるゲホゲホしてる人がそばにいたりしたのだが、一種のバイオテロと心得てほしいものである。
「今晩は風邪に負けないものを喰わねば」
会社へ向かう道中、そうケツイを固めたのである。
かくして、無事に仕事を終えて帰路につけば、腹の虫が何を食わせてくれるのかと期待に騒ぎ始めるのであった。
「とはいえ、ここでマシに走るのは逃げの気もするな」
野菜と大蒜たっぷりで肉もしっかり食えて健康にいいことは自明な食い物であるが、同じものを繰り返すのも余り宜しくない。
ならば、趣向を変えて。
「体が温まる方向で行こう」
そうして、足を伸ばしてやってきたのは赤い看板が目立つ店舗。
赤から連想する通りの辛麺屋である。
「空いてる席へどうぞ」
店に入れば厨房の前に真っ直ぐ伸びるカウンター席はそこそこ埋まっていたが、入り口近くの席が空いていたのでそこに着く。
が、
「な、何も見えん……新手のスタンド使いか!?」
と思ったが、何のことはない。寒い外から暖かい店内に入ったことで眼鏡が曇ったのである。
ところで、これを気にしてラーメンが苦手と宣うめがねっ娘委員長、いいと思いませんか?
それはさておき。
眼鏡を拭いてメニューを見れば、もう、これしかないと決まる。
ちょうどそこにやってきた店員に、
「チャーハンセット。こんにゃく麺、5辛で」
と注文を通す。
麺は、そば粉を名前通りこんにゃく状にして伸ばしたものがデフォルトながら、中華そば、うどん、ごはんと選べるシステム。
辛さは、1辛小さじ一杯の挽き唐辛子が入るという解りやすさで、5辛までが通常料金、以降、5辛刻みに50円ずつアップのシステムである。
さて、あとは待つばかり。
他の客の料理は既に出ているからか、厨房に響き始めた中華鍋でチャーハンを調理する音をBGMにしながら、『ゴシックは魔法乙女~さっさと契約しなさい!~』を起動する。
とはいえ、余り時間は無い。おでかけを仕込んで、軽く試合をこなしていると、湯気の立つ出来たてのチャーハンがやってきた。
麺と共に頂きたいところだが、順番に調理しているゆえ、まだ少し時間が掛かる。
せっかくの熱々のチャーハンが冷めては勿体ない。
「いただきます」
器に添えられていたレンゲを手に、一口頂けば、
「旨い……」
ごくごくオーソドックスな中華味ながら、高火力でしっかりと火が通って味が濃縮されている。
このまま一気に行ってしまいたいが、水を飲んで口を休め、チビチビと頂いて麺を待つことしばし。
「きたきた」
待望の辛麺がやってきた。
細かい唐辛子が鏤められた赤黒いスープには溶き卵とニラが浮いている。そのスープの中には、挽肉とにんにくが沈んでいる。それらに包まれるのは、半透明の黒ずんだこんにゃく麺だ。
「改めて、頂きます」
スープを啜れば、しっかりした出汁の風味を唐辛子の辛味が刺激を加えて引き立てた味わいが広がる。
熱く、痛いが、旨い。
旨辛、だ。
ニラと玉子の味わいで変化を付けながら、もう少しスープを飲んで体を温めたところで、麺を口にすれば。
「か、噛み切れん……」
プリプリとした麺は力を上手く加えないと切れないのだが、しがむようにしていると絡んだスープの旨みと食感を楽しめてよい。
いっそのどごしを楽しむぐらいのつもりで、麺を口へと運んでいく。
「ここで、チャーハンだ」
旨辛で満たされたところに、中華味で一息……というには双方濃い味ではあるが、何、だからこそやりあえているのだ。
ご飯だと主従関係になるが、チャーハンならライバル関係。互いに高め合って腹の虫の喜びを加速させてくれるのである。
「お、ニンニク、だ」
スープを飲むと、ごろりとしたニンニクの欠片が混じっていた。
乱切り程度の大ぶりなものだが、意外に匂わず風味だけがしっかりと口内に広がる。唐辛子などと合わさって匂いが押さえられているのか、ニンニク自体がそういう種類なのかは解らないが、これなら薬味ではなく具材の一つとして十分楽しめる。
更にスープの中に潜む合い挽き肉は、肉そのものの素朴な味わいでそれが却ってスープに合う。
麺を、沈んだ具材を、時にチャーハンを。
口に運ぶ度に湧き上がる食の幸せ。
胸の辺りが、ぽかぽかしてくる……というか。
「熱い、な」
ハンドタオルで額を拭う。
気がつけば、汗が滲むを通り越して額を流れ始めていた。
ニンニクで殺菌の上、カプサイシンで体を温める。
この宮崎辛麺も、風邪の予防に適した食物であるといって差し支えなかろう。
多幸感に身を任せ、箸とレンゲを動かしていれば、丼の中が空になっていくのは当然の摂理。
「ここで、穴あきのレンゲだ」
この店では、通常のレンゲと共に、沈んだ具材を救うのに適した穴あきのレンゲも一緒に出てくるのである。
これがあれば、辛いスープを無理に飲まなくとも、簡単に具材をサルベージできるという心遣いだ。
存分に、挽肉とニンニクと唐辛子を掬っては食べ。
ときおり唐辛子の刺激にむせつつも、脳に更なる幸せを叩き込んでいく。
「もうここまで来たら、いいか」
私は、このスープ程度の辛さなら平気だ。
残りは無理にサルベージせず。
丼を持ち上げ。
グビリ、と。
唐辛子が沈んだスープを一息に飲み干す。
「熱い、だが、旨かった」
余韻に浸りながら、額の汗を拭い。
コップ一杯の水を飲んで水分を補給し、
「ごちそうさん」
会計を済ませて店を後にする。
「ああ、涼しい風が心地良い……」
冬の寒風が涼風に感じられるほどに温まった体で、家路を辿る。
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