第108話 大阪市西区江戸堀の醤油らーめん・大
仕事帰り。
今日は映画を観て帰ろうと思うが、既に腹の虫が騒ぎ始めている。
これは、劇場の最寄り駅へ向かう前に腹拵えをすべきだろう。
そうして、私は日本一短い商店街として名乗りを上げる地へと赴いていた。
かつてのアーケードは失われ、『商店街』の雰囲気は消えてしまっているが、僅かに店舗は残って商店街としては生存している……のだと思う。
そこに、大阪で初めてのつけ麺専門店を名乗る店があった。
大阪各地にあるチェーンではあるが、本店は奇しくも日本一長い商店街のある街にあったりするのが、趣深い。
かつてはお気に入りのメニューがあり通っていたが、数年前にメニューが刷新されて失われてしまった。
店外に設置された食券機の内容を眺めながら、なんとも切ない気分に陥ってしまう。
それでも、似たり寄ったりになりがちなつけ麺屋の中でも個性があって好きなつけ麺屋である。
のだが。
「せっかくだから今日は、醤油らーめん・大を選ぶぜ!」
刷新された際に『つけ麺専門』といいながらしれっと始めたラーメンに手を出してみることにした。初めての挑戦だが、まぁ、何事も経験だ。
店内に足を踏み入れれば、まだ開店直後で誰もいない。
黒を基調としつつ木の温かみを感じられる、バーのような落ち着いた雰囲気の店内には、入り口から真っ直ぐのカウンター席が並び、奥が少し広くなってテーブル席がある。
広々テーブル席に座ってもいいが、一人でサクッと喰うなら、やはりカウンターの方が気楽でもある。
適当なカウンター席へ座り、食券を出せば、後は待つだけだ。
セルフの水を用意して、『ゴシックは魔法乙女~さっさと契約しなさい!~』を起動する、が。
「あ、メンテ中か……」
今日から新イベントだった。新たなめがねっ娘魔法乙女が追加されるかワクワクして待つとして、代わりに本を読んで待とう。
国鉄が分割民営化されず、鉄道公安隊も現存した世界線での物語。レーベルが消滅しながらも続きが出てきたことを嬉しく思いながら楽しんでいると、注文の品がやってきた。
「とても、基本的だな」
具材はメンマ、ネギ、もやし、海苔、チャーシュー。
スープは鶏ガラ醤油の清湯。
昔ながらの『中華そば』といった風情ながら、背脂っぽいものが散らされて濁っているのがアクセントだった。
「いただきます」
まずはレンゲを手に、スープを頂いてみれば。
「お、これは中々……」
オーソドックスな鶏ガラ醤油味ながら、あっさりしつつしっかりどっしりした味わいがあった。
「もしかしてこれ、鶏の脂?」
詳細は不明だが、そうなのかもしれない。元の出汁の味もあるのだろうが、脂が適度に含まれることで、味に深みが出ているのかもしれない。
また、最初から胡椒を軽く利かせてあるのもいいアクセントだ。
アレンジしながらも基本の延長上にある鶏ガラ醤油味は、個性的な麺ばかり喰らっていた身には却って新鮮で心地良い。
ただ。
「麺が、細麺なんだな」
以前はつけ麺と同じ太麺だったように思ったのだが、明らかに細ストレート麺だ。あの麺の食べ応えを期待していただけに、少々がっかりしてしまったのは否定できない。
とはいえ、見た目より味だ。
箸で啜ると。
「これもまた、オーソドックスだなぁ」
食感もまた、オーソドックスな中華そばという風情である。だが、麺自体は、補足ともつけ麺と基本を同じくするしっかりした食べ応えのあるもので、悪くない。
「いや、むしろこのスープにはこっちの方が邪魔しなくていいのか?」
つけ麺は、麺自体をそのまま楽しむという一面がある。ゆえに、そのままラーメンに投入すると、少々麺が勝ちすぎてスープがボケるということもあるかもしれない。
だからこその、細麺、なのだろう。
チャーシューも適度な脂分でくどくなく、とてもスープに調和している。
大阪初のつけ麺専門店を名乗りつつラーメンを出すのは敢えてのツッコミ待ちなのかもしれないが、それはそれとして、
「ラーメンも、ありだな」
と思わせるだけの味わいだった。
うっかり大にしてしまったが、それでもするすると行けるというか、逆にそれぐらいでないと物足りないぐらいというか、気軽に美味しくいただけるラーメンだった。
途中で胡椒を足して刺激を増してみたりしていると、あっという間に食い尽くしてしまった。
気がつけば持ち上げていた丼をカウンターに戻せば、そこには何もない。空っぽだ。
「いや、このスープなら完飲しても堪忍な」
何を言っているのだ、私は?
最後に水を一杯飲んでリフレッシュし。
食器を付け台に上げ。
「ごちそうさん」
店を後にした。
初のラーメンは、思いの外いい感じのラーメンだったので満足だ。
だけど。
「辛黒味噌つけ麺、復活しないかなぁ……」
ついつい、かつてのお気に入りメニューに思いを馳せてしまう。
『黒』は墨の色という独特な出汁にたっぷりのラー油がお気に入りだったのだが、人気がなかったのか姿を消してしまったのだ。
ともあれ、世は諸行無常。
なくなった味を惜しむより、今日のように初めてのメニューに挑戦して新たな味との出会いを求めた方が、有意義な人生になるだろう。
「さて、中二病の恋の結末を見届けにいくか」
難波へ向かうべく、四つ橋線肥後橋駅へと向かう。
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