第77話 大阪市中央区日本橋のラーメン(麺160gヤサイマシマシニンニクマシマシカラメ魚粉)
夏は、ただそこに存在するだけで体力を消耗する時期だ。
零時迷子を持たぬ身では、すぐに存在の力を失ってしまいかねない。
危険だ。
だが、人は存在の力を保つための単純な手段を持つ。
食だ。
そう、だから。
「今日は、しっかり喰って帰ろう」
仕事を終えて疲れた体を引き摺って、日本橋のオタロードにほど近いいつもの店にやってきていた。
「おお、すぐ入れそうだ」
幸いにして並ばず入れそうだ。
今日はオーソドックスに行こうと、基本の食券を確保して空いていた手近な席へと着く。
「麺160gニンニクマシマシヤサイマシマシ魚粉カラメ」
腹の虫に導かれるまま口を衝いて出る詠唱により、健康的な食事の錬成が開始される。あとは、待つばかり。
『ゴシックは魔法乙女~さっさと契約しなさい!~』を起動して待とうとするが、
「あ、今日からイベントだ」
更新が入り、起動に時間が掛かる。とはいえ、まだ焦る時間ではない。
心を落ち着けてパケットがガンガン送られてくるのを見届け、ようやくタイトルが表示され、初期画面に入る。
今回は探偵がテーマのイベントのようだが、ざっと確認したところ、報酬にリリーはいなさそうなので、また平和な日々が送れそうだ。
だが、眼鏡乙女は他にも現れる可能性がある。
まだまだ油断はできないであろう。
そうして、手早くおでかけを仕込んだところで、注文の品がやってきた。
「今日は、なんだか、新鮮そうな見た目だぞ」
文字通り山盛りのキャベツは茹でられて鮮やかな黄緑に色づいている。
その頂辺りが魚粉で褐色に疎らに色づいているのも趣深い。
ただ。
「これは、やばいな」
きざみニンニクが、なんだか左に傾いて。
「し、しまった……」
そのまま、雪崩のように崩れてスープへとひとりでにダイブし、不幸にも狙いがはずれた一部が器の外に零れてしまったのだ。
「すまない……」
すぐに手を打たなかった私の落ち度だ。
誠意を持って、台上をティッシュで拭き取って処理する。
「大丈夫だ。お前達の分も、味わってやるからな」
そうして気を取り直し、丼へと向かう。
箸とレンゲを手に、これ以上は事故を起こさないよう細心の注意を払いながら、スープに浸った野菜の一部を掴み、口へと運ぶ。
「はぁ、幸せだぁ」
味覚に突き刺さるキャベツの甘みに魚粉の旨みに豚の旨みに醤油やら調味料の旨み。語彙力の低下ではなく、単純に抗えない暴力的な旨みが押し寄せてきたのである。
これを味わいたくて、食すのだ。
マシマシは量ではない。この旨みがメインだ。暴力的な旨みがあるからこそ、この量を食い切れるのである。
食欲が低下しがちな夏に、これほど健康的な食があろうか? いや、ない。
脳に飛び散る多幸感に身を任せ、それでいて手先は丁寧に野菜をスープに沈めながらバキバキの麺を引っ張り出して啜れば、糖質の背徳的旨み。
続いて大ぶりの豚肉塊に齧り付けば、獣を喰らう歓喜を孕んだ旨み。
旨み旨み旨み。
今の私の口内には、旨みしかない。
見る見る疲れが取れていくのが解る。
もしかしたら、
ゲームではついつい温存してラスボスを倒しても二桁残っていたりするエリクサーだが、ここでならいつだって食い切れる。
しかも。
「更なる刺激を加えることだってできるんだ」
徐に、黒胡椒の器を儀式のように丼の上で振り回す。
続いて、一味唐辛子を同じように振り回す。
結果、黒と赤の層がうっすらと丼を覆っている。
それを、魔女の鍋を混ぜるようにグルグルと掻き回す。大丈夫だ、失敗しても編なのは出てこないのは解っている。
そうして、少々スープが粉っぽくなってきたところで、麺と野菜を掴んで口に放り込めば。
「ああ、これが、ラストエリクサーか……」
旨みに負けない殴り掛かってくるような唐辛子と胡椒の辛味が口内に広がって、目がチカチカするほどの幸福感が脳を満たす。
頭の中に変な汁が一杯でていそうな、食の喜びを全身に感じながら、残りを平らげるのにそんなに時間が掛かる訳がなかった。
「終わり、か」
固形物の無くなった粉っぽいスープを前に、コップに水を一杯飲んで口内を清め。
「あと、一口だけ……」
レンゲでスープを啜って多幸感の名残を味わい、今度こそはとコップの水を飲んでを軽く十セットほどこなして。
「ごちそうさん」
なんとか完飲は避けて店を出れば、食で火照った身から大量の汗が噴き出してくる。
だが、塩分を取り過ぎている気もする。
「流れよ、我が汗」
と警官ならぬ身で口にして、進路を南に取る。
せっかくだ、腹ごなしもかねて日本橋を散策して、レイトショーで映画観て帰ろう。
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