第76話 大阪市西区西本町の辛味つけ麺(野菜ちょい増しニンニク増し増しカツオバカ増し)
「思ったより、遅くなってしまったな」
運動不足解消にと徒歩での帰り道。
街灯の灯る靱公園を歩けば、アブラゼミらしき鳴き声があちこちから聞こえてくる。
確か、蝉は種類によって鳴く時間帯が決まっていたはずだ。勿論、時計を見て鳴く時間を決めているのではなく、鳴くのに適した気温が異なるために、結果的に時間帯が決まってくるとか、そういう話だったように思う。
なら、気温が高く街灯も灯った場所であれば、自分たちの時間だと勘違いして鳴いていてもおかしくはないのかもしれない。
とはいえ、薄暗い木々のまにまに響く大合唱は、なんとも奇妙なものである。
蝉の声を聴けば、夏の到来を否応なく感じる。
もう、二週間後には夏が来る。だからこそ、帰ってからもやることが色々とあって忙しい日々を過ごすのも必然。
「……今日は、外で喰って帰るか」
蝉の声の中、そう決めたのはいいが。
「ここからだと、あの店だが」
行きたい店はある。
だが、今の腹具合では中々厳しいモノがある。
勿論、己の意志で挑まないという選択肢も存在するらしいが、中々実感が湧かないのである。
とはいえ、腹の虫は素直だ。
それほど喰えないかも知れない、と思っていても、その味を求めて我が足を店へと向けていた。
「来てしまったが……ん?」
店の前に張り紙があった。
なんでも、今日は盛況だったようで材料不足のため……
「野菜、ちょい増しまで……だと……」
いつもなら、悪い知らせだ。河岸を変えることも考えられただろう。
だが、今日に限っては僥倖だ。
「ちょい増しまでしかできないなら、仕方ないな」
挑む意志は捨てていない。ただ、店の都合でちょい増ししかできないのだ。
何を恥じることがある?
運命の巡り合わせを感じながら、扉を潜り、食券機前へと。
「うん、久々にこれにしよう」
長らく食べていなかった、辛味つけ麺を選び、空いているカウンター席の奥へ陣取る。
「ニンニク増し増し、カツオバカ増し、カラメ増し増し、あと野菜はちょい増しで」
いつもとは異なるオーダーを通せば、後は待つばかり。
中ジョッキに入った水を飲みつつ、『ゴシックは魔法乙女~さっさと契約しなさい~』を軽くプレイする。リリーを始めとしためがねっ娘が報酬ではないイベントは、とても平和である。
おでかけを仕込み、出撃を一度済ませたところで、厨房の様子からそろそろという気配を感じてゴ魔乙を終了し、水を飲みながら待つこと少々。
「おお、来た来た」
先に、つけ汁とちょい増しの野菜がやってくる。
つけ汁は、辛味というだけあって、赤い。細かく切った具材が溶け込んだ上に、ノリが一枚浮かんでいるのがアクセント。
野菜の方は、ごくごく一般的な付け合わせの野菜、といった量。ちょい増しだから、これはそういうものなのだろう。
だが、肝心の麺が来なければ始まらない。
更に水を飲んで待つと、遂にやってきた。
「うんうん、やっぱり野菜がないと寂しいが、これはこれで」
200gなので一般のつけ麺よりむしろ軽めに盛られた麺の上には、バカ増しにしたカツオ。そして、添えられたレンゲに山盛りの刻みニンニクが壮観だ。
「さて、いくか」
迷わず、レンゲのニンニクを半分ほど一気に汁に溶かし、すぐにアクセスできるカツオ塗れの麺を浸して喰えば。
「久々だが、やはり旨いな」
つけ麺ではオーソドックスな魚介豚骨ベースと思われるが、辛味だけでなく酸味も効いた中にニンニクの香気が加わったスープはドギツクも心地良い味わいだ。
実のところ、この店の辛味つけ麺は個人的に好きなつけ麺の中でも上位に位置するつけ麺なのだが、なぜかいつも喰った後に苦しくなってダメージが残るので中々喰えない一品だ。
今日は、色々な巡り合わせがあったからこそ、選べたメニューでもあるのだ。
「野菜も、抜群に合うんだよなぁ」
山にはほど遠いほどほどの量の野菜を浸せば、モヤシの癖のある味わいとドギツイ汁の味が殴り合いのようなハーモニーで口内を満たしてとても楽しい。
だからこそ、いつも食い過ぎていたのだろう。
そうだ。こんなに合うから、増し増しをバクバク喰ってしまって苦しくなっていたんだな。
ようやく、その事実に気付く。
「ちょい増しって、こんなに気楽に喰えるんだ」
この量なら、バクバク言っても問題ない。麺量も控えめ。
ただ、
「カラメ増し増しは、やり過ぎたな」
野菜増し増しで薄まる前提でいつも頼んでいたのだが、この量だとドギツイ汁に更にドギツイかえしの掛かった麺を浸して食べることになる。
旨いが、塩分過多は否めない。
「いや、いいか。夏は汗をかくからな。熱中症対策、というやつだ」
完璧な理論展開で己を納得させ、
「なら、残りもいってしまおう」
最初から全部入れるとニンニクが勝つので半分にしたが、ここまでくれば、もういいだろう。
レンゲの中のニンニクを全て汁に放り込み、混ぜれば。
「口に入れなくても薫るニンニク臭。たまらんな」
辛味酸味ニンニク臭のバランスが反転し、辛味酸味を感じられるニンニク魚介豚骨スープと化す。
「ああ、旨い、旨いなぁ」
なんだかヤバイ薬をやっているような多幸感に浸りながら、残った麺と野菜をバクバクと平らげてしまう。
麺も野菜も無くなったが、
「まだだ。まだ終わりじゃ無い」
つけ麺には、
「スープ割り、お願いします」
後のお楽しみがあるのだ。
店員にスープのお椀を渡し、再度出てくると。
「ネギが嬉しいねぇ」
割りスープと刻みネギをプラスされたスープがやってくる。
「ちょっとしょっからいが、まぁ、いいか」
増し増しにしたカラメも麺と共に浸ってしまっただけに塩気が強いが、熱中症(以下略
鶏ガラ系だろうか? 出汁割り+ネギでサッパリしてるはずが塩辛いスープをレンゲで口へ運ぶと一口ごとに目の前がチカチカするような幸福感が立ち上る。
素晴らしい。
こんなときは、戒めは忘れてしまおう。
レンゲを器と口の間を絶え間なく往復させ。
「ふぅ」
ほどなく、全てのスープを胃の腑に収めていた。
最後に、ジョッキに水を注いでがぶがぶと飲んで一息。
「ごちそうさん」
奇妙な多幸感に浸りながら、店を後にする。
「そういや、一年と二日前も、同じような経路でこの店に来た気がするな」
いや、気のせいだろう。これは、一話完結の物語。前の私と今の私は別人ということになっていたはずだ。
「ともあれ、普段と違うちょい増しで新鮮な感覚を味わえたんだ。これからも新たな麺との出会いを求めていこう」
そう、心に決め、夏の製作を進めるべく、家路を辿る。
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