第39話 東京都千代田区神田錦町のスタミナメン

 冬がもう目の前に迫っている。

 明日が設営日だ。

 長年お世話になりつつ、未だその設営に参加したことはない。

 一度は参加しておきたい、と思いながらも、夏は体力的に厳しく諦めていた。


 だが、今日の体調は比較的良好。

 これなら、明日、行けるのではないか?


 いや、油断してはいけない。

 変に糖質制限など考えて体が弱ってしまっては、一気に体調を崩すこと請け合い。

 冬は、厳しいのだ。


「よし、こういうときは、ラーメン食って暖まるに限る」


 かくして、麺を求めてホテルを出た。


 早い日没ですっかり暗くなった街には小雨がパラついていたが、傘がいらない程度。神田近辺を適当に歩いてみる。


 普段行かない秋葉や神田駅とは異なる方向がいいだろうか。


 気の向くままに歩く。


 ふいに、明日に備えて己の元気さを鼓舞するためか、ウォーキングしてわたしは元気だとか何だとかいうとあるアニメの歌が頭に浮かぶ。


 直接的な歌詞はなんだか出したらいけない気がしたのでぼかしてみたが、しばらくすると口をついて出てしまう。


 ♪アルコール、アルコール、私は元気

  アルコール大好き、どんどん呑もう♪


 私の口を通した途端、何か違う歌になってしまった気がするが気にしないでおこう。大丈夫、これなら問題ないだろう。


 素面でしゃっきりした足取りで、引き続き歩いていると。


「おお、なんだかよさげな店じゃないか」


 いかにも昔ながらの中華料理屋という佇まい。

 写真付きで入り口周辺の壁面に並ぶバリエーション豊かなメニュー。

 ラーメンが主体ながら、ご飯ものの定食メニューもあるようで、『町の中華屋さん』という様相だ。


「って、ラーメン350円? 今日日この値段は、凄いな」


 しかも、大盛り無料とある。半チャンセットにしても、550円。


 メインは醤油のようだが、値段が上がって味噌、塩、もある。

 そこに、チャーシューやネギや野菜やらが加わったものがあり、中には大盛り野菜が乗ったものもある。更には、マーボーメン、ホイコーローメンといういかにも中華屋らしいものまであった。


「くっ……ド定番な醤油にも惹かれるが、こういった中華屋的なラーメンは最近食ってないぞ……八九寺、失礼噛みました、迷いながらもメニューを選ぶ旅が始まってしまう」


 居並ぶメニュー写真を前に、少々混乱しながらも頭を悩ませる。


 そうして、ふと、目についたメニューがあった。


「そうだ。明日からの鋭気を養う意味もあって麺を喰いに来たんだ。なら、これしかない」


 心は決まった。店へと入る。


 テーブル席はなく、厨房を囲むように並ぶものと、入口側の壁面に並ぶカウンター席だけの店のようだ。赤を基調とする内装が、やはり中華屋っぽい。


 目当ての食券を買い、案内された厨房側のカウンター席へと着く。

 大盛り無料とのことだったので、迷わず大盛りにした。もう、迷わないのだ。


 出された水を飲みながら『ゴシックは魔法乙女~さっさと契約しなさい!~』をプレイしたいところだが、残念ながら今はメンテナンス中だ。晴れ着姿のリリーに会えるのは、もう少し先なのだ。


 仕方ないので読みかけの小説を開いて待つことにする。


 と、厨房から漂ってくるジュウジュウと肉と野菜を炒める音と、香ばしい匂い。

 これは、期待できる。


 そうして、小説を2ページも読まない内に、注文の品がやってきた。


 ベースは醤油ラーメンだろう。

 その上に、レバニラ炒め……いや、レバではなくおそらく豚肉だ。

 メニューにある表記に従えば『肉ニラ炒め』がデンと乗っている。


 そう、これが、今日の夕食と決めた『スタミナメン』である。


「まずは、ベースのスープを……熱!」


 ありがてぇ、ちんちんに熱されてやがる!


 暖まるには本当に有り難い温度だ。たぶん、今ので上あごの裏の皮がずるむけになっただろうが、まぁ、いい。


 フーフーして冷ましてから、改めて一口啜れば、やはりスープはド定番の鶏ガラ醤油のようだ。


「今度は麺を……ってなかなかのボリュームだ」


 ごくごく普通のストレートの中華麺だが、大盛りというだけあって持ち上げる箸が想い。


 これも冷ましてから一口喰えば、単純なスープと麺の組み合わせ時点でいい塩梅だ。ノーマルも食したいと思える味。


 とはいえ、これはスタミナメン。これは序章に過ぎないのだ。


「さて、スタミナメンのスタミナメンたる部分をいただこう」


 肉ニラ炒めへと箸を伸ばす。持ち上げてみれば、ニラ、豚肉のほかに、玉葱と人参も入っているようだ。


 そのまま、口へ運ぶ。


「いい、いいぞ。日本的な中華料理だ」


 甘辛いタレで炒められた肉とニラを初めとする野菜達。しっとりしながらも、強火力でタレがいい感じに香ばしくなっている。玉葱もしっかり甘みを引き出されていて、肉の旨みを引き立てる。


 単品でも、十分いける料理だ。


 それが、オーソドックスな醤油ラーメンと合体してどうなるか?


 確かめねばなるまい。

 今度は、麺と具材を一緒にして口中へと放り込む。


「合わない訳が、ないわな」


 大盛りにして結構なボリュームになった麺に負けないだけの肉と野菜の旨みが絡んできて、長らくありつけていないタイプのラーメンの味が口内に繰り広げられていた。


 中華のメニューとの組み合わせは、専門のラーメン店ではなかなかお目に掛からない。そして、最近はそういうところばかり行っていた。たまには、こういった中華屋のラーメンも食べないとな、と反省させられる。


「ご飯もほしくなるが、我慢だな」


 そういう味なのだが、大盛りの麺が結構なボリュームなので、さすがに自重する。


 気取らない、ありふれた旨さかもしれない。でも、だからこそ、近場なら、ずっと通っても飽きがこないタイプの店だろう。メニューも多い。もしも近所にあれば、毎日のように通っても楽しめそうだ。


 だが、そうではない。


 この地では希人である私は、そうそう通うわけには行かないのだ。


 だからこそ、この一杯をしっかり味わおう。


 熱々ゆえに、ペースは遅いが、それでも、可能な限りの勢いを持って、麺、スープ、肉、ニラ、玉葱、人参を口へと運んでいく。その度に、食の喜びが生まれてくる。いい、食の体験ができている。腹の虫も、満足しているようだ。


 着実に進めば、終わりがやってくる。


「麺も具材もなくなったが……」


 オーソドックだった鶏ガラ醤油に、肉ニラ炒めのタレと油が溶け込んだスープが、残っていた。


 完飲は、体に悪いだろう。

 だが、それは、つまり、旨いということでもあり。


 そのような葛藤を生むからこそ『完飲』が七つの大罪にも数えられているのに違いない。


 それでも人は、罪を犯してしまう生き物なのだ。


 つまり。


「ぷはぁ、旨かった!」


 すでに、丼は空だったということだ。


 最後に水を一杯飲んで一息入れ。

 丼とコップを付け台に戻し。


「ごちそうさん」


 店を後にした。


「安い店かと思いきや、味もいい。また、いずれ訪れたいものだ」


 そんな想いを胸に、夜の町を、ホテルへ向けて歩く。

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