第38話 東京都千代田区神田駿河台の焼肉重+タルタル層

 冬だから東京にいる。

 非常に、シンプルな理由である。

 早めに上京してきたので、数日の猶予がある。

 日々の仕事の疲れを、故郷を離れた場所でのゆったりした時の中で癒やすのである。


「神保町を散策してこよう」


 文系アクションと銘打たれた『 R.O.D -READ OR DIE- 』の素敵めがねっ娘の読子さんが住まう地だ。三十路とか気にしちゃいけない。


 今年、ようやく十年越しの十巻が発売され、最後の一冊は来年中には出ると言うことなので、おそらく十年以内には今度こそ完結すると思われる、名作である。


 本が好きで、めがねっ娘が好きならば、嗜好の至高ともいえる存在が読子さんなのである。


 そんな彼女が暮らすとされる町。本屋ごと大人買いしてしまう読子さんの蔵書を収める読子ビルがあるとされる地。


 何度だって立ち寄って、読子さんの息吹を感じていたいのだ。


 かくして、小学館と集英社の前を通り、神保町へと足を踏み入れていた。今日こそは、古書センターの地下へ行きたかったのだが、残念ながらそんなオカルトはありえなかった。


 しとしとと雨が降る中、特に何を買うでもなく、古い本、新しい本、店頭のとりどりに並ぶ本を眺めながら歩く。うっとうしい雨ではあるが、これはこれで風流でもある。雨降る本の町を、ただ感じるままに歩けば心癒やされるものがある。


「読子分補充はこんなものでいいか」


 過剰摂取も問題だろう。心が満たされたと感じたところで、散策を切り上げることにする。


「なら、次は腹を満たさねばな」


 神保町からほど近い場所に、ずっととあるメニューを食べ損ねている店があった。今から行けば、ちょうど開店の頃にたどり着ける。


 もしも数量限定なのであれば、今度こそ、食べられるかもしれない。

 

 雨脚が強まる中、御茶ノ水方面へ向かい、目当ての店へ。


 五分ほどの時間を傘を差して店頭で耐え、開店とほぼ同時に店内に足を踏み入れたのだが。


「カリカリ肉麺重……売り切れ……だと?」


 食券機の中で、無情に輝く赤いランプ。

 どうやら、先着順ということでもないようだ。

 やっているときと、やっていないときがあるのだろう。


 しかし、それを確認したところでうまく状況に上京を合わせられずに余計苦しむことになるかもしれない。無理に合わせようと無茶をしてしまうかもしれない。


 ならば、すっぱり諦めた方が、身のためだ。


 すっと、心から重荷が下りた気がする。呪縛から解放された気分だ。

 挑戦するなら、今度は総本店に突撃するぐらいの心意気を持とう。


 さて、仕切り直しで食券機に向き合う。

 後続客はいないようなので、少し時間があるが。


「……基本のラーメンもいいが、すっかり米の気分だ。ここは、同じ重のメニューに行ってみるか」


 そこで、同じように見えて、微妙に差がある別メニューの存在に気づく。


「これは……行くしかないな」


 かくして選んだのは、『焼肉重+タルタル層』

 絶対に体に悪そうだ、つまりは、絶対に旨そうだ。


 店員に食券を出し、ご飯の量を問われたところでは無難に普通と答え、期待を胸に席へと着く。


 待ち時間では、『ゴシックは魔法乙女~さっさと契約しなさい!~』の悪魔編を進める。五悪魔入手イベントの復刻なのでジギタリスが出てきて懐かしさを感じつつ、もう少し進めればリリーに会えると思いながら、ステージをクリアしてしばし。


 注文の品がやってきた。


「期待通りに、旨そうな見た目だ」


 その名の通り、大きめの弁当箱ぐらいのお重に敷き詰められたご飯の上に、豚の焼き肉が乗っかっている。中央には、卵黄、隅には紅ショウガ。


 見た目は、焼き肉丼のたぐいと考えれば非常にオーソドックスだろう。

 付け合わせに、小さな器に入ったスープが付いていた。それも、チャーハンに着いてくるような感じで、特段変わったことではあるまい。


 だが、そうではないものが、一つあるのだ。


 目には見えない。だから、確かめよう。


 レンゲで隅っこを削り取るようにして、一口。


「うぉぉあgtlたああぁlたlたl」


 声にならない声が上がる。腹の虫が余りの多幸感にパニックを起こしている。


 そういえば、最近は糖質を控えていて米を量を気にせず食ったのは数ヶ月前だ。米をこうやって頬張っただけでも食の喜びがあふれてくる。


 その上で、肉と米の間には、このメニューにおける非凡な部分があった。ぱっと見では解らず、食して確認できた部分。


 そう、メニューの名前通り、卵白と酢とタマネギと思われるシンプルな自家製タルタルソースが米の上に層をなしていたのだ。


 甘辛さだけでもご飯に合うところに、タルタルのこってりした酸味も加わって、それがまた殴り合いの末に肩を組んだような調和の仕方で舌に「旨いだろ? 俺たち?」と親指を立てて訴えかけてくるのだ。


 ああ、その通りだ。

 認めよう。


 お前ら旨いよ。旨すぎるよ。


「あかんこれ」


 ご飯の量を普通にしておいて正解だろう。

 腹がいっぱいでも、誤作動して食ってしまう、これは。


 一口一口、喜びを噛み締めながら胃の腑に収めていく。


 時折、クールダウンするためにスープを啜るのも忘れない。

 中華スープのような感じで、刻みタマネギが入っているのがうれしい。


 そうして、三分の一ほど食べたところで。


「そろそろ、やるか」


 まずは、卓上の刻みニンニクを一掬い、表面に塗すように振りかける。


 そうして、


「おまえの封印を解くときがきたのだ……」


 中央に鎮座していた卵黄にメスを入れるようにレンゲを突き立て、とろりとした黄色い液体を行き渡らせるがごとく、かき混ぜる。


 ぐちょぐちょになって、ひどい見た目になってくる。


 だが、口にすれば。


「があげじゃととqあてあtかl;tじゃおいえjtじゃg」


 声にできない旨さが脳に多幸感を叩き込んでくる。


 卵も普段は控えていただけに、禁断症状が少々入っているだろうが、それでも、抜群の相性だ。そこに、ニンニクのアクセントも旨く働いている。


「もう、だめだ。私は、これを、むさぼりたいんだ」


 お重を持ち上げ、レンゲを手に、がっつく。


 もう、やめられない。止まらない。


 私はただただ、米とタルタルソースと焼き肉と卵黄の混合物を注ぎ込まれるだけのタンクとなったのだ。


さすれば、あっという間に、お重の中は空に近づいていく。


「ご飯粒残すの、よくない」


 レンゲでは掬えない、救えない隅の米粒を、今度はお箸で丁寧に食べ。


 お重の中身は、ご飯粒一つ残さず空になった。


 当然だ。


 米の一粒さえ残してなるものか、そう思わずにはいられない料理だった。


 最後に、水を一杯飲んで、一息を入れ、食の世界に没していた精神を現世へ引き戻し。


「ごちそうさん」


 店を出る。


 さて、秋葉へでも、と思ったのだが。


「あれ? 麺喰らってないんじゃね?」


 ふと、そんな疑問が浮かんできた。


 確かに、『麺喰らうたびに何かを書くような企画』であればこの食事内容は問題があるだろう。読者から突っ込まれるだろうし、ルール違反に作者がいたたまれなくなること必死だ。


 とはいえ、これは私視点での現実である。ただ食いたいから米を食ったに過ぎないのだ。いちいち疑問を持つ必要などないはずだ。


 それに、どうしても、というならだ。


 ここはラーメン屋だ。たぶん。おそらく。

 麺を豆腐にチェンジなどもやっている。


 だから。


 これは、麺をご飯にチェンジした麺類なのだ。


 ならば、これもまた麺喰らった範疇であり、疑問に思う必要もなくなる、論理的にそう帰結できるのである。


 だから、疑問を感じる必要はなく、何ら問題はないのだ。


 そんなことを立ち止まって考えていたが、そんなことを考えていても詮無きこと。


 気を取り直し、


「よし、秋葉へいこう」


 進路を決め、歩みを進める。

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