第27話 東京都千代田区神田駿河台のすごい冷やし中華(麺200g)

 新大阪と大阪は、御堂筋線で三駅離れている。

 新横浜と横浜も、結構離れていると聞く。


 でも。


「新御茶ノ水は、御茶ノ水の目の前なんだな」


 出張帰り。


 シューティングゲームの聖地である秋葉の Hey にて『デススマイルズ メガブラックレーベル』をフォレットで寄り道なしワンコインクリアしてお風呂エンドを観賞した後、私はせっかくなので関東でしか喰えないものを喰おうと、御茶ノ水まで足を伸ばしていた。


「しかし、腹具合が微妙だな……」


 ここ三日ほど節制していた影響か、昼食を食い損ねたにも関わらず、そこまで空腹を感じていなかった。


 今日狙っているメニューは炭水化物の化け物。厳しいかもしれない。まぁ、厳しければ、麺を豆腐に変更というのもいとおかし。善後策も万端だ。


 そう高をくくって開店時間少し前に店の前に着けば、


「豆腐、売り切れ……だと」


 無情にも、店頭張り紙がそう告げていた。


 これで退路は断たれた。覚悟を決めろという神のお告げに違いない。


 開店までのおよそ十分、数人の待ち行列の中で闘志を燃やして気持ちを高めて備える。


 準備の誤差で少々開店時間がずれこみながらも、店に灯が入る。

 戦いのときは目前。気合を入れて店の扉を潜り、食券機の前に立って愕然とする。


「カリカリ肉麺重、売り切れ……だと」


 天丼にも足りぬ、二度目の衝撃。


「いや、これはきっと無理はするなという神のお告げに違いあるまい」


 神は気まぐれなのだ。お告げが五月雨式でもさもありなん。


 ところで、めがねっ娘は神であるのは疑いようはない。


 神は気まぐれである。

 めがねっ娘は神である。

 めがねっ娘は気まぐれである。


 そう三段論法を駆使すれば、めがねっ娘の気まぐれはいくらでも許せるのはそれこそ神の摂理だからして、何も問題はない。


「ならば、せっかくだから、ここでしか食えないメニューを……」


 そうすると、おのずと結論は出た。


 無理をするなというのは、要するに量より質を取るべしということ。


 カリカリ肉麺重ほどではないが圧倒的なカロリーを誇る『焼肉重+タルタル層』は除外だ。うしろ髪ひかれるが、この選択でうしろゆびさされることはないだろう。何せ、めがねっ娘(=神)の思し召しなのだから。


 ところで、この一連の流れで「さっきから神のお告げとか、お前は悪田組の富国狂兵か!」と突っ込める人はどれだけいるのだろうか? 少し気になる。


 さておき、後続客がいるのだから食券機前で悩んでいる場合じゃない。


「ならば……」


 関西では決して食えない。

 というか、この店でしか食えず、また、量も加減しやすいメニュー。


「すごい冷やし中華、これしかあるまい」


 マシという誘惑から解放され、また、毒抜き可能なことも確認済みの安心のメニューだ。


 開店間際で選び放題なので最奥の隅に陣取り、食券を提示。


「●ュ●●抜きで。麺は200gにしてください」


 記述するのも悍ましい唾棄すべき冒涜的で名状しがたい心を糜爛させる植物を抜いて貰うのを最優先に、注文を確定する。


「さて、麺を冷水で締める分、時間はそこそこかかるはずだから……」


 『デススマイルズ メガネブラックレーベル』、失礼、噛みました。


 『デススマイルズ メガブラックレーベル』と世界を同じくする『ゴシックは魔法乙女~さっさと契約しなさい!~』をプレイすることにする。


 何しろ、現在のイベントステージのレアドロップに、昨年のプレイ開始前に終わってしまったハロウィンイベントの報酬だった【火遊戯】フォレットが復刻しているのだ。狙わない道理はない。


 そして、ステージの有利属性はめがねっ娘が豊富な風。


 メインをメリッサ、サポートに鈴蘭とブライスを含めた過半数めがねっ娘とその他はスフレデッキで death レベルに挑む。


「……そうそう甘くないか」


 クリアするも、ドロップせず。さっき Hey でクリアしてきたから何かあるかと思ったが、そんなオカルトありえません、ということか。


 などと、のどかなことを考えていると、思いの外早く注文の品がやってきた。


「う~ん、このビジュアル。冷やし中華とは思えないのが素晴らしい」


 丼の表層に見えているのは、焼肉、タルタルソース、ガリ、そして、おでん盛りのように容器の縁に添えられた辛子。


 錦糸卵やサヤエンドウや鶏の解し身などに彩られた馴染みの冷やし中華のビジュアルとはまったく見た目を異にする。とはいえ、長い人生で外で冷やし中華を喰ったのはこの夏が初めてというかこれが人生二度目なので、比較対象は生まれ育った家庭環境における冷やし中華の内容であるので、当然家庭により誤差はあるであろう。それでも、大概の環境と比較しても誤差の範囲を超えた違いだと思われる。


「いただきます」


 まずは、肉をいただく。


「これだけでも、旨い」


 甘辛いタレの豚焼肉は、飾らずストレートに肉々しく口内に幸せを運んでくれる。


 さらに、タルタルを絡めて喰えば。


「すごい」


 メニューの枕を思わず口にする。看板に偽りないメニューだ。


 何せ、ベースの『冷やし中華』抜きで、この暴力的な旨さなのだから、それを「すごい」と表現するのに何ら不足はない。


 ならばここで、ベースの『冷やし中華』を味わおう。


「バキバキだ……噛めば噛むほど、範馬、もといハンマーで殴られたような多幸感が脳を満たす……」


 比較的オーソドックスな酸味のある冷やし中華のタレに、もともと硬めの麺を冷水で締めて更に噛み応えを増した麺の組み合わせは、より長くその味わいを口中に持続させ、脳内で変な汁が出てくるような感覚に囚われる。


「やはり、めがねっ娘(=神)のお告げは正しかった」


 無理に量を取らず、質で選んだからこそ味わえた多幸感。ヤクなどいらぬ、麺があれば。


 焼肉の味わいを残してバキバキの麺を頬張り、タルタルの風味の異なる酸味を上乗せてバキバキの麺を頬張り、その両方を絡めてバキバキの麺を頬張る。


 その度に、脳が喜びに打ち震える。ただ食うだけでこれだけの幸福を味わえる。


「だが、人は強欲なのだ」


 十分に味わったところで更なる変化を求める。この店ではマシの対象ではないが、それは卓上で自由に入れられるからという、あの薬味を見る。


 しかしこれは、やり過ぎれは全てが台無しにもなる諸刃の剣。


「旨い」


 などと考えるのも無粋である。


 考える前に、刻みニンニクスプーン一杯を主に焼肉の周囲に振りかけて口へ運んでいた。


「焼肉に合わないわけがないな」


 とはいえ、酸味の中に入れすぎるのは少々喧嘩してしまうとも思える。


「もう一振りに留めよう」


 スプーン一杯の白いブツをぶっかけ、ほどよく刺激の足されたすごい冷やし中華を食せば、脳汁がドバドバでるのを感じる。そのイメージを絵にすれば、多分、料理漫画のリアクションのようになるのだろう。あれは、ある意味リアルな表現なのだと、今更理解する。


 どこかはだけてしまっていないか身なりを確認しつつ、幸福に身を任せて時を過ごす。


 なのに、どうして幸せなときは早く過ぎてしまうのであろうか?


「もう、終わりか……」


 丼には、冷やし中華のタレと焼肉のタレとタルタルソースが混ざり合った褐色の液体だけが佇んでいた。


「いや、まだ終わりじゃないな。麺少な目だったからし、逝ってもいいよね?」


 漢字がヤバい気もするが、レンゲを手によくみれば刻み玉葱が少々残った褐色の液体を啜る。


「すごさの集大成。これを味わうからには徹底的に。完飲しかありえないよね?」


 『汝完飲するなかれ』という戒めがあった気がするが、今はそれを気にするときではない。褐色の海は割らなくとも飲み干せばよいのだから。


 それに、神たるめがねっ娘のお告げに従って選択したメニューだ。最後の一滴までを飲み干すのが礼儀というものだろう。


 空っぽになった丼を見詰めて、今宵の食の体験の満足感にしばし浸る。


 口中の名残を濯ぐために水を一杯のみ、一息を入れたところで。


「ごちそうさん」


 店を後にした。


「やっぱり、200gでも結構腹が膨れたな……腹ごなしに秋葉まで歩いてから東京へ向かおう」


 日暮れの御茶ノ水を、秋葉原へ向かって歩く。


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