第3話 大阪市中央区日本橋のカレーラーメン(160gヤサイマシマシニンニクマシマシカラメ)

 すっかり真夏である。

 仕事を終えた帰り道、疲れた体は暑さにへばりそうである。

 こんな暑い日は、


「カレーラーメンだ」


 暑さに負けないために、スパイスの力を借りよう。

 

 通勤経路上でカレーラーメンが食べられる店には幾つか候補があるが、どうせならガッツリと食べたい。それも、御飯やら炒飯やら唐揚げやらサイドメニューを加えてあれこれ食べてのガッツリではなく、純粋にカレーラーメン単品でガッツリ食べたい気分だ。


 これは、大阪府が粉もんとごはんの組み合わせを控えるようにと勧告したこととは関係ない。もしも今、お好み焼きな気分なら、迷わず焼きそばとごはんを付けただろう。それが、慣れ親しんできた『食文化』というものだ。


 そうではなく、暑さを乗り越えるためのカレーラーメンなのだ。ラーメンを喰いつつも野菜も肉もしっかり食えるヘルシーなメニューを選びたい気分だった、というだけのこと。


 そうして訪れたのは、日本橋にっぽんばしのオタロードにほど近いラーメン店。ほぼ開店時間。数名の先客に続いて店へと入る。


 券売機で『つけ麺』の食券を買う。間違えたのではない。


「カレーラーメンで」


 食券を出して、告げる。この店では『つけ麺』の食券が『魚介つけ麺』『カレーつけ麺』『カレーラーメン』の食券を兼ねているのだ。


「麺の量はどうしますか?」

「160gで」


 麺は100g~315gまで同一料金。並の220gよりも減らしているが、それは無理なく他をガッツリ食うための布石。因みに、160gは一般的なラーメン屋であれば十分大盛である。


「ニンニク入れますか?」

「ヤサイマシマシニンニクマシマシカラメで」


 ノーマルのラーメンなら魚粉も行くところだが、カレーはこれでいい。アブラは入れないのが健康の秘訣である。


 注文が通ってからも時間が掛かる。

 通勤のお供の週刊少年チャンピオンを読みながら、出来上がるのを待つ。


 今連載中の作品で自分の中で特にホットなのは『永遠の一手 -2030年、コンピューター将棋に挑む-』である。


 2020年に AI が名人を倒したことで揺れる将棋界。

 誰もが AI の力を借りて更に棋力を高めていく。

 コンピュータとの人間がタッグを組んで高みを目指す競技へと将棋は姿を変えた。


 だが。


 その世界で頂点に立ったのは、コンピュータの助けを借りない一人の男だった。


 そうして10年の時が経ち、中学三年生の天才プログラマが創った AI とその助けを借りた名人が、頂点に挑む……


 そんな、今の現実世界の延長で起きそうな題材。

 分野が違えどコンピュータ関連の業界に身を置くモノとしては IT の進化に心動かされる。


 何より、中学三年生の天才プログラマはめがねっ娘なのである。翔子カワイイよ、翔子。


 そんな素敵めがねっ娘JC漫画なのである。


 ……などと想いを巡らせていたら、やってきた。


「カレーラーメンです」


 うむ、いい形だ。麺を減らしたので山が低くなっているが、綺麗な円錐形に盛られた野菜は上品でさえある。その裾野には、大ぶりな豚の肉塊が添えられている。


 何より目を惹くのは、山の頂点に積もる大雪。それは、ゴルフボール大のマシマシな刻みニンニクの固まりである。これは、暑さも吹き飛ぶぞ。


 では、いただこう。


 麓の野菜をスープに浸し、口に含む。


 濃厚な豚出汁のスープに加えられたスパイシーなカレーの風味が、空腹の胃にガツンとくる。細かいことはいい。カレーだ、カレーを食ってるんだ、という実感と共に、腹の虫がもっと寄越せと叫ぶ。


 だが、慌ててはいけない。


 まずは、天頂のニンニクを零さないように丁寧に裾野に拡げスープの中へと溶かし込む。


 次に、レンゲを野菜の裾野に沿え、反対側から箸をツッコンで底から麺を持ち上げる。そのまま麺を掴んだ箸で野菜の山を横から押さえて倒し、持ち上げた麺をその上に被せる。


 天地返し。


 こうすれば、野菜がしっかりとスープの味を纏い、麺が必要以上に伸びることも防げて合理的だ。


 さぁ、ここからは欲望の赴くまま、食す時間だ。


「くぅ、やっぱりここの麺は旨い」


 カレーと豚、溶かし込んだニンニクのドギツイ味のコラボレーションの中にあっても存在感を失わない、固く太い麺を咀嚼する。


 スープの旨みに麺自体の旨みが更に加わって、多幸感に包まれる。


 まるで、麻薬だ。口から光を吐いたり服が脱げたりする妙な幻覚が脳裏を過ぎる。


 いや、旨いものとは、何もかも等しく麻薬なのかも知れない。中毒性があるのだから。だから、こんな幻覚作用があってもおかしくない。料理漫画やアニメは、そこを表現しているのだろう。


 麺を味わったところで、今後は、豚だ。


 しっかり煮込まれ脂が抜けて少々パサついているが、スープを絡めればそこに溶けた豚の旨みが還元されいい塩梅。更に、胡椒や一味を振りかけるのもいい。


「ああ、カレーラーメンを選んで正解だった」


 暑さでへばっていたことが嘘のように、気分がいい。テンションも上がってきている。決してラリっているのではない。


「野菜もしっかり食べねば」


 天地返しで褐色に濁るスープへ沈めたキャベツともやしの山をサルベージしながら口内へ放り込む。


「なんと、濃厚な……」


 目論見通りにスープの絡みついたキャベツともやしは、幾らでも食べられそうなぐらいの強烈な旨みを発している。とても、野菜とは思えない重さを孕んだ味だ。


 ここからは、もう、言葉はいらない。


 喰え食えクエ。


 腹の虫の声に従い供物を捧げるだけの一介の信徒となる。


 気がつけば、スープの中の固形物は姿を消していた。


「カレーラーメンを華麗に完食してお疲れいさまだな……ぷっ、くくく……」


 火照った頭を冷ますように、氷の悪魔リリーのごとき駄洒落を口にして、完食の余韻に浸る。


 え、いや、固形物なくなったんだから『完食』ということでいいじゃないですか。スープは勘弁して下さいって。


 最後に水を飲んで一息つき、


「ごちそうさま」


 言って、席を立つ。


 鰻の寝床のごとき細長いカウンターのみの店内は、気がつけばすっかり満員だった。体を横にして、狭い通路を気を付けながら店外へと出る。


「そういや、今日はジャンプコミックスの発売日だったな。メロンブックスで『ニセコイ』と『ゆらぎ荘の幽奈さん』の新刊を買って帰ろう」


 かくして私は、オタロードを南下し、メロンブックスの入っているアニメイトビルを目指すのだった。


 『ゆらぎ荘の幽奈さん』、もう少し呑子さんが活躍して欲しいなぁ、とか願いながら。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る