下話 第四の火

 あの惑星。

 真理の言う転星リビヒーンが出現してから二日目が経った午後。

 数えでは三日が過ぎたという日曜日の正午に。

 章子あきこ真理マリは、市と町の境にある庄内川の堤防沿いを歩きながらその道を南下していた。

 今日がこの地球で過ごす最後の日だと言うのに、章子にはその実感がない。

 章子の手にはファストフード店で購入したハンバーガーが単品、握られてある。

 その包装を広げて、そばを歩く真理からめい一杯に道の端まで離れつつ、章子は中身を一口ずつ齧っていた。

 空腹に任せてもはや冷め切ったハンバーガーを頬張り、南の空の上まで昇ってきた転星を見上げる。

 残りのドリンクとポテトは袋のまま手に提げていた。

 カサカサとかさ張る白と赤と黄色のビニール袋が鳴ると、途端に猫やカラスとの遭遇率が格段に上昇する。

 彼らもひもじい思いをしているのだ。

 腹を空かせて人間の同情心が働くのを待っている。

 そう思うと居てもたってもいられなかった。

 章子は唐突に猫を振り切り、カラスを追い払うように道を急いだ。

 まるで人間じぶん自身を見ているようだった。

 今まさに、このカラスらのように真理マリという神の娘にたかり、猫のようにおこぼれに預かろうとする醜い心。

 いや、それは本当に醜いのか。

 神のような力も持たない人間には、それは当然の行いではないのか。

 そんな事ばかりが頭を駆け巡り、それを振り払うように章子は道を先頭に立って直進していた。

「母は自分を神だとは思っていませんよ」

 それを見て言ったのは真理だった。

 章子と同じようにファストフードを口に含み、しかし仏頂面の章子とは異なる端麗な顔つきで、こなれていく口の中で広がった味わいに舌鼓を打っている。

「神さまじゃなかったら、一体何だって言うのよっ」

 怒鳴った章子は朝から不機嫌だった。

 振り返って、涼しい顔で食事を進めている少女を睨み返している。

 章子が真っ先に見ていたのは真理が口に運んでいる食べ物だった。

 あの口に含んでいるファストフードは章子の持つハンバーガーとは違い、店で買った物では決してない。

 あの食べ物は真理自身が持つ「魔法」という科学技術でつい先ほど、何もない所から真理が生み出したものだった。

 それを生みだした途端に自分の小さな白い手に収め、美少女よろしく小さな口を動かしてモクモクと食事を進めていた。

「それは嫌味なの?」

 章子の怒りはもはや頂点に達していた。

 自分では手の届かない力を何度も見せつけられ、段々と苛立ちを覚えていたのだ。

 しかし真理はそんな事も構わずに章子と同じタレのついたファストフードを食べ上げ、汚れた自分の親指をペロリと舐め上げる。

 そして見事に食べ終えてクシャクシャにした紙包装を道端に投げ捨て、地面に転がる寸前で瞬間消滅させると。

 今度は空いた手の平に一瞬でSサイズのドリンクカップを出現させて、ストローに唇を近づけてみせた。

「いい加減にしてよっ。

それは人間わたしたちに対する当てつけなのっ?」

 真理がストローで喉を潤す前に、息せき切って踵を返した章子が真理の目の前に立った。

 仁王立ちだ。

 その形相にさすがの真理も呆気に取られている。

「章子。

そんなに乱暴に歩くとこぼしますよ」

 真理の困ったような笑顔は、今も揺れているドリンクの入った章子の手提げ袋に向けられている。

「どうでもいいでしょっ。

そっちは好きなだけ、好きな物を手品みたいに出したり消したりホイホイすることが出来るんだからっ!」

 章子の罵倒に当の真理も遠慮がちに返す。

「まあ、そうですね。

母の様なあの惑星リビヒーンほどではありませんが、私だってこの日本の面積くらいならば、どうこう出来る力は持ってますから」

 その今の表情とは裏腹の無遠慮な物言いがさらに章子の感情を逆なでする。

「ほら見なさいよっ。

だったら私の飲み物ぐらいどうってことないでしょっ。

こんな物なんて、そっちは簡単に作り出すことが出来るんだからっ」

 だが真理は首を振って言う。

「いいえ、章子。

たとえそのような力を持っていても、私は決してあなたのものなど作りだしたりはしませんよ」

「な、なんでっ?」

「あなたはまだから外れていないからですよ」

「軛?」

「そうです。

くびきです。

軛というものがどのようなものか、あなたにわかりますか?」

「どこまで馬鹿にするの?

そんなものが分かったらこんな風に聞いたりしないわっ」

 章子の胸ぐらを掴むほどの勢いに、真理は軽く小鼻でため息を吐く。

「私の今言った軛とは食物連鎖の事です。章子。

学校で習いましたよね。

去年の中学一年の時ですか?

その時の理科の授業ですよ。

食物連鎖。

あなた方の言う、食う喰われるの関係です。

あなた方は分かりやすいように弱肉強食と言うみたいですが。

実際には弱食強肉ですね。

でないと大半の生物社会は成り立たない。

それぐらいは分かりますよね?

あなた方、人は、強者である成人が肉となって弱い子供を育てなけれならないのですから」

 また昨日と同じような問答を繰り返す真理の顔が不敵に嗤う。

 この顔が未だに章子は克服できない。

「それ以前にも、あなた方は樹の傘の中だけでしか生きれないのですがね。

自然界では樹が強であり、人が弱なのです。

あなた方が自分の力だけで、私と同じように木でさえも一から創りだせるというのなら話は別なのですが、そうもいかないのでしょう?

あなた方は今ある植物を掛け合わせて、改良するぐらいしか能がない。

そんな一から植物を創り出すことも出来ない無能では、食物連鎖のからはとても外れることは出来ないでしょう。

あなた方は、動物の命をも奪い、自分の命を永らえさせる以外に能がないのですから。

そういう連鎖の中にいる存在に、この力で拵えた食物を与えるのは倫理に反するのですよ。

なんの倫理か分かりますか?

我々の倫理じゃありませんよ?

これはあなた方の身体に沁みついているあなた方の倫理です。

分かりませんよね?

それほど、あなた方は生命いのちという物を軽んじ過ぎているのですから。

植物は命では無いと言い張り、植物なら刈ってもいいというその傲慢な考え。

菜食主義?

精進料理?

植物の命を軽んじるのも大概にしてもらいたいものですね?

植物は動物と同じ恐怖や痛みを感じる命です。

ただその刈られる時の叫び声があなた方に届いていないだけ。

聞く能力があなた方に無いだけなのですよ。

まさに無能とはあなた方を証明するものですね。能が無いだけに尚更です。

しかしそれは馬鹿にされこそすれ、特段、恥じる事でもない。

私は恥だと思いますが、あなた方、七番目の人間がそれを恥だと感じる必要性は全く無い。

あなた方はその程度のレベルでしかないのですから。

向こうの転星にある他の文明もそう認識しています。

それだけあなた方の文化認識力は致命的に低い。

文化と文明は心と体ぐらい仕組みの違うものですが、ここでその説明は省いておきましょう。

あなた方に言ってもどうせ無駄です。

それに興味もないでしょう。

だから話を戻します。

私の言った倫理とは、あなた方の身体に刻み込まれた倫理です。

私は言いましたね?

植物の命を軽視するなと。

それは別に動物の命の方こそ軽視しろと言っているわけではない。

ただ植物を口にすることは動物の肉を口にしている事と同じだと言っているのです。

だから命の観点からみれば菜食だろうが精進だろうが命をっていることに変わりはない。

それで自分は命を奪っていないと自己満足に浸るのも勝手ですが、その程度の認識で向こうの惑星と対等に渡り合おうと考えているならとんだお笑い草ですね。

相手にしませんよ。

あなた方は無視され続けます。

何で無視されているかも分からずにね」

「別に、

命とか関係なく、ただ身体の健康の為に植物だけを摂っているのかもしれないでしょう?」

「それで菜食主義だと言い張るのですか?

そういうのは菜食主義や精進料理とは云いません。

ただの健康志向に健康主義なだけです。

ただ単に野菜を選り好んで蝕しているに過ぎない。

目的が健康なら普通に健康主義だとでも言えばいいのですからね」

「どこまでも選らず口を言ってっ!」

 まるで自分の弟とでも口喧嘩をしている気分だった。

「そんなものはただの言いがかりよ。

菜食だの肉食だの、今はどうでもいいでしょう?」

「そう!

どうでもいいのですよ。章子。

肉だろうと野菜だろうとあなた方は確実に何か一つは命を奪っているのですから。

無論、無精卵の卵とて例外ではありません。

細胞増殖して生まれたものは等しく生命いのちなのです。

唯一の例外があるとすれば、単なる無機質の水か酸素ぐらいのものですかね。

しかしその無機質の物でさえこの現実世界の前では……。

まあ、それはいい。

あなた方が口に運ぶもので命を奪っていないと言い誇れるものは、ただの水と酸素だけなのです。

分かりますか?

この罪深さが?

わかりませんよねぇ?

分かってたまらないでしょう?

あなた方にはまったくらしいのですから。

よく言いますよね。

何の罪も無い人間の命が天災によって奪われた、と。

残念ですが、それは同じ人間界だけで当てはまるお話です。

人対人の事件事故でのみ、その言い分は罷り通る。

しかし自然界ではダメですよ?

天災などの自然災害でその論理は通用しません。

例えまだ自覚の無い赤子だろうともです!」

「なにをワケの分からないことを言っているの……?」

「そうでしょう。

ワケが分からない事でしょう。

それはあなた方が不知だからですよ。

母の腕の中で泣いている赤子は何で腹を満たしますか?

ではその赤子の母が食べたものは?

粉ミルクの原材料は?

その原材料の素の素になった物は?

くくくくくく。

あなた方はいったい、今の今までそのお腹の中を一体なにで満たしてきたのですか?

それは罪ではないのですか?

肉だろうが野菜だろうが、それをお腹に詰め込んで今を生きながらえている。

ハッキリ言いましょうか。

それは罪です。

あなた方は罪の塊なのです。

もちろん、あなた方以外にもこの地球ほしで生きとし生きている全ての生き物は全て罪を背負っています。

そしてその罪が罰せられるときは必ずやってくる。

他の生物に喰われ、あるいは自然災害に呑まれ、もしくは自らの身体機能の衰えという結果を持って、確実にある地点で息絶える。

ただし、

ただしです。

ただに、その罰が与えられる時に、その

あなた方の全ての命が基本的に方法を問わずに産まれてくる様に、あなた方の死もまた方法を問われずに訪れるのです。

つまり自然界において云えば、という物は存在しない。

だからは選べない。

自然界に置いて、命を搾取して生きるという罪自体は存在するが、そこにのです。

言ってる意味が分かりますか?」

「……つまり、いくら命を奪って食べて生きていても、自然界的にその罪が重くなることはない?」

「その通りです。

しかし、あなた方の身体には今まで奪われてきた命たちが確かに証拠として残っている。

罪の重さは無くとも、命の重さはそこにあるのですよ。章子。

だからこそあなた方に、私のこの力で創り出した供物を与えることは出来ない。

私がこの力で宿出現させたものはね……」

「何を言って……」

「先ほど見せましたね?

私は、あなたの食べていた物を寸分違わず出現させて口に運び見せつけた。

レタスや肉をパンで挟みこんだ品を、あなたの前で食べて見せた。

しかしあのレタスや肉やパンはその出現させた工程の最中に一秒たりとも命が宿ったことはありませんよ。

まあ肉やパンは言わずもがなでしょうが、レタスでさえ確実に生きてはいません。

細胞活動も起こさないし光合成も行わない。

出現した瞬間から完全に葉っぱの形をした腐っていくだけのただの有機物体の塊です。

腐るという事は細菌が食しているという事になりますが、この際、細菌などは別にどうでもいい。

あなたたちと違い真理を解釈できる可能性のある生物ではないのですから。

だがあなた方は違う。

ともすればこの固体発生の力、真理学エメシスを理解することが出来る。

そしてもし真理エメトを理解する前に、食物連鎖という軛から外れることも出来ないまま、この真理学によって生成された「命の宿ったことのない食べ物」を一度でもその身体に取り込んでしまえばその時こそ、あなた方の最期の時です。

あなた方はきっと自我が保てない……」

「え……?」

「保てないでしょう。

一度でも「命が宿った事のない食物」を食して、次に「命を奪って拵えた物」を口にした時、あなた方の精神の中に自我を崩壊させる時限爆弾がセットされる。

この時限爆弾が起爆するのはあなた方が真理を悟った時です。

命を奪わない食事を一度でもしたにも関わらず、尚且つまた新たな命を奪って自己保存を図った。

この事実にあなた方は耐えられない。

一つの生命として耐えられなくなるのです。

一度でも命を奪わずにこの腹を満たしてしまったのであれば、これ以上命を搾取する必要は無かったのにと苛むのです。

今まで数多の命を手に掛けてきて維持していた自分たちの身体を直視し。

さらに他の命を簒奪してしまった自分の愚かさに」

「そんなの……。

まるで……。

あなたは何の生命いのちも奪っていないような言い草じゃない……」

 長話を聞き終わったあと。

 章子は真理を睨んで見せた。

 この世に命を略奪せずに生きることが出来る人間などいないとでもいうように。

 だが真理はそれさえも悟っていた。

「奪っていませんよ。

むしろ食事で命を奪っていないどころか。

ほら、今までの歩く道すがらの中で一度たちとも虫や細菌、微生物に到るまで一つの命も踏み殺したことなど欠片もありません」

「え?」

 驚く章子の前で、真理は白い靴を履いていた細い足を手で掬い取って見せる。

「私はね。章子。

別にわざわざ食事を摂らなくても生きて行ける身の上なのです。

この大気中の気体分子からでさえ、元素レベルで栄養素を補給することが出来る。

いえ、そんな事をしなくても、この体のまま何の物理的消費もなく維持していくことの方が遥かに容易い。

現に今、私は呼吸さえしてはいない。

そんな事をせずとも生命維持が可能だからです。

有機物どころか、無機物でさえ私は必要としないのですよ。

私の身体に補給という概念は存在しないし行動する必要もない。

あなた方と違って私は何もしなくても存在することができる生命なのです」

「そんなの……。

そんなの人間じゃないわっ。

人間じゃないし生命でもないっ。

ただの幽霊よ。

幽霊がわたしたち人間に一体何の用なのよっ!」

「幽霊とは違いますね。

あなた方のいう幽霊に該当するものとしては煉体生命が最も近い。

俗にいうエネルギー生命体というヤツですね。

まあ固体生命である私たちも厳密に言えばエネルギー生命なのですが、彼ら煉体生命ほど形状が自由なわけではない……」

「生真面目に返答しないでっ!」

 章子は額を押さえた。

 今すぐにでも蹲りたい気持ちだった。

 しかしそれは憚られた。

 昨日に続き、最終日である今日もまた許容不能でリタイアだけは避けたかった。

「今日は頑張りますね。

しかし、こんなものは序の口ですよ?

まだ私の保有する真理の一端も披露してはいないのですから……」

 真理は勝ち誇って言っていた。

 あのもう一人の真理の出現と抹消や、無尽蔵に出す食物でさえ自分の力の塵一つほどでもないと豪語している。

 その絶対の自信は真理の放つ言葉の端々から読み取れた。

「そのさっきから言ってる真理しんりってなんなの……?」

 前々から真理マリの言葉の彼方此方にでてくる真理しんりという単語。

 章子はその熟語が気になっていた。

「私の言う真理とは真理学エメシスのことです。

真理学しんりがくとは魔法。

いえ魔法の次の段階、超能力スーパースキルのことです。

何も、手などの煩わしい物理挙動動作も必要とせず、ただ意思のみで発動する超高次行動作用手段。

真理学とはそれらを可能にする最後の学問なのですよ。

咲川章子」

 まるで自分に知らないものなどは存在しないというように、真理は章子の目に堂々と立ち塞がる。

 章子はその高さの見えない壁のような少女をただ睨み返していた。

「もう一人の子は、当然知っているんだよね……」

「その通りです。咲川章子」

 なら章子がここで立ち止まっている訳にはいかない。

 章子と同時に選ばれた少年は章子の遥か先にいる。

 その遥か先を行く少年に追いつくには、章子は走ってでも知識を広げなければいけなかった。

「最後の学問ってどういう事……?」

 章子が問うと真理も快くそれに答える。

「最後の学問は最後の学問です。

あらゆる専門分野がその技術を突き詰めていった先で、最も最後に辿り着く唯一の場所。

それが真理学です」

「あらゆる専門分野が……最後に?」

「そうです。

あなた方の世界にも色々な専行学問がありますよね。

数学に物理学に幾何学、量子力学、熱力学に機械工学、化学、天文学、生物学、心理学、果ては医学から経済学、情報科学に考古学、言語学、哲学、美学から音楽学、文学に至るまで。

そんな様々な異種の学問の先で最も最期にたどりつくのがこの真理学という一つの学問なのです」

「そんな……」

「バカな……。

と思いますか?

ならこれを見てもまだ同じことが言えるでしょうか?」

 真理の目が据わって細くなる。

 今やドリンクカップすら無くなった片手を章子の目の前に差し出して。

 その手の平に一つの白い光球を出現させて浮遊させる。

「なに……?

それ……?」

 章子はその光球に向かって指を差した。

 まるで小さな太陽のように自転しながら煌々と白く輝く光の玉。

「これは第四の火」

「第四の火?」

 章子は呟いた真理に問いかけた。

「そうです。

第四の火です。

この「第四の火」が何か、あなたに分かりますか?」

 光の球を浮かべ続ける真理に問われて、章子は考え込んだ。

 自転する真理の手の光球に目を戻すと、その光源からは暖かな温度が伝わってくる。

 それはこの秋空には似つかわしくない春の陽気だった。

 春の陽気は太陽によってもたらされる生命の息吹だ。

 そしてこの目の前の少女が浮かべる光球は、今も頭上で空を照らすあの太陽の姿そのままだった。

 だから章子は自分の覚えている言葉で真理に答える。

「あの太陽でしょ。

原発や原水爆みたいなそんな核兵器みたいな原子力の力と同じ力。

その光の玉はきっと、あの太陽をもっと小さくした原子力の火よ」

 だがそんな中学生こどもの答えを真理は首を振って真っ向から否定する。

「いいえ。

それはあなた方の云う「第三の火」

原子核反応の火です。

「第一の火」は酸素などの化学反応炎であり、「第二の火」が電気と呼ばれる電導反応炎。

ですがこれは第四の火だと申し上げたはず。

もはや、そんな太陽のような「核」と呼ばれるなどではないのですよ。章子。

これはあなた方の視線から言えば「始まりの火」に等しいのですから……」

「始まりの……火……?」

 その言葉の響きに章子は、畏怖を憶えるほどの嫌な予感がした。

 ただならぬ予感だ。

 この十数年の人生で、太陽よりも別次元の火を章子は知らない。

 いや、知ってはいたがソレがそれだとは思わなかった。

 なぜならそれは火ではなかったからだ。

 熱であるという事は知っている。

 だが火であるという話は聞いていなかった。

 大体それは物の名称ではない。

 断じて物ではない。

 あれは現象の名前だ。

 この銀河系、いや宇宙全体を始めた、始まりの現象。

「ビッグ……バン……なの?」

 その当たっては欲しくない可能性に、真理は間違いなく頷いた。

 絶対の肯定だった。

「そうです。

これは第四の火にして、始まりの火であるビッグバン。

そのものである宇宙開闢の火です。

いま、この穏やかな火球の中では全ての世界を構成する要素が詰まっている」

 別にそれが平時の事のように言ってのける真理。

「これを解放すればすぐにビッグバンは始まります。

よかったですね。

宇宙の終わりにして始まりを目にすることができますよ。

まあ見る前に、あなた方は真っ先に事切れますが。

全てに依存しない私はその一部始終を目にすることが出来る。

もちろん我が母ゴウベンも」

「じょ、

冗談でしょ?

それなら今すぐ消しなさいよっ。

そんな危なっかしいもの、なんでこんなちっぽけな地球の中で出すのっ!」

 あまりの事実に慌てた章子の反応を見て、真理は我慢していた笑いを漏らしてしまった。

 それは丁度、解りきった反応を目の前で直に捉えてしまった時の覚悟していた笑みだった。

「な、何を笑ってるのよっ……」

 真理のあまりに可笑しそうな様子を見て、章子は目をキョトンとさせている。

「いえ、申し訳ありません。章子。

あなたがまったく予想通りの反応をしたのでつい可笑しくなっただけです。

これほど天文学的な現象を前にしてもそんな庶民的な反応で返されたら、さすがの宇宙開闢ビッグバンも形無しですね。

あなたは結構な大物を地に貶めてくれましたよ。

その感性はやっぱり忘れないでください」

 言って真理は自分の目じりに溜まった涙粒を拭う。

「こんな時に冗談言わないでっ」

「冗談ではありませんよ。章子。

この光球ビッグバンにしても、それぐらいの価値でしかないということです。

どれほど宇宙を書き換える力を持っていたとしても、今のあなた程も存在する意味はない。

仮に意味があるとすれば、それは、あなたにこれがビッグバンであると分からせるぐらいのもの。

それぐらいの価値しかないという事なのです」

「私が?

そのビッグバンよりも……?」

「そうです。

知っていますか?章子。

あなた方の云うビッグバンとは今から約百数十億年以上前に起こったものの事を云うのですよね?

しかしそれが実は二百二回目のビッグバンだったという事実をあなたは知っていますか?」

「……は?……」

「ですから、あなた方のいうビッグバンは二百二回目のビッグバンだったと云っているのです」

「…………」

 真理の放った突然の言葉に章子は思わず我を失ってしまっていた。

「放心してしまいましたか?

これで一体何度目でしたっけでしょうか?

私は比較的優秀な方ですが几帳面ではないのです。

あなたの止まった思考回数など一々数えてはいられない。

もしわざわざ過去から、数え直している者がいるとすれば、その者は確実に私よりも優秀ですね?」

 ウンザリと言ったように両手を放り投げて真理は首を振る。

 だがやはり章子は上の空のようだった。

「では、そのままでいいですから聞いて下さい。

真理学上。

これまでの宇宙では計二百二回、宇宙開闢ビッグバンが起こっています。

つまりこの光の球が二百二回、爆散したということですね。

時間で言えばその経過した間隔は四千五百垓と2千京年に及びます。

その中でビッグバンと呼ばれるものが合計二百二回起こった。

そして我々の予測ではこれから先で、残り約百回ほどのビッグバンが起こります。

その先にもビッグバンは起きるのですが、いかんせん百十回までは届きません。

百十回に達する前に、元のからです……」

「…………。

……え?……。

ご、ごめん。

今なんて言ったの?

聞いてなかった。

ごめんなさい、もう一度言って……?」

 ようやく我に返った章子が、重要な部分で真理の話を折った。

 真理もそんな章子を察して、今までの内容を掻い摘んで話す。

「やれやれ、

いいですか? あきこ。

という事なんですよ」

「そんな……。

二百回って冗談でしょ?」

「いいえ。

冗談ではありません。

場合によっては、二つ、三つが複数ヶ所で同時に起爆した例もあります。

それも合わせると個数では二百個にはならないのですが、まあそれはどうでもいいことでしょう。

この場合、問題としているのは個数ではなく回数です。

今はビッグバンが何度、起こったのかという話をしているのですから」

「そんなのもどうでもいいわ。

回数だってどうでもいいのよ。

どうせ回数なんて知った所で、今更なにがどうなるわけでも無いんだから!

問題は今のあなたが浮かべているその宇宙開闢ビッグバンの火が、あなたがさっきから言っている真理学エメシスとどう関係があるのかってことよ!

真理学は全ての学問の行き着く先なんでしょ?

だったら、その行き着いた先をわたしに見せてっ!」

 目を瞑って吐き出した章子の言葉に真理もああ、と首肯した。

 そして頷きながら、片手に光球を浮かべ真理は目の前の章子から遠ざかる。

「どこへ行くの?」

「どこって、あなたに見せるのですよ」

「え?」

「え? じゃ、ありませんよ。

見たいのでしょう?

真理学エメシスの行き着いた先を。

しかし、今回はあなたのような七番目の文明にも分かりやくするために、すこし次元を落とします。

ああ、ここでいう次元というのは科学水準の事です。

決して二次元や三次元など空間次元的な意味合いではないので勘違いしないでください」

 人差し指を立てて注意を促すと、真理は浮かべていた光球を躊躇なく握りつぶした。

 その瞬間を目撃して章子は悲鳴を上げそうになったが、宇宙を始めたと云われるビッグバンを握りつぶした真理の手からは何の反応も感じられない。

「行きますよ。

章子。

まずは二番目の文明の力である魔術サラーの力をお見せします」

 真理が言うと、その周囲に緑色の光線が線となって浮かび上がった。

 緑色の光の線は円となり、真理を中心にして自転している。

 まるで地球儀などに使われる緯線のようだった。

 真理を取り囲む光の緯線はさらに増えていき、経線までもが現われ光の方囲を示す。

 よく見ると現われた緑光の円線には定規の様な目盛りがあった。

 その目盛りが自転する光円に同期し、近未来的な軌道表示を表現している。

「それは、なに?」

「これは光学空間表示フィールド・アップ・ディスプレイと呼ばれるものです。

魔法、魔術行使によって、あらゆる計器情報を光構成のみで空間に映し出している。

いわば機械部分の無い画面表示器ですね。

なかなかSF的な光景でしょう。

あなた方の科学技術では透明なガラス面に文字などを光で表示させるヘッド・アップ・ディスプレイなどという物がありますが、これはそれの空間版です。

第二文明むこうでは高度な魔術媒体アーティファクトの操作に大体これが用いられています。

もちろん、今の私も……」

 そう言って手を伸ばした真理が球体の回る光学線から指をなぞり、パソコンなどにも使われるコマンド欄を出現させる。

魔動項目マキス・アプリ発動魔術パウディス荷電粒子魔術ブリューナク抜項ハウト

 絶え間なく呪文のような単語を呟き続け、真理はその手を堤防上から真東にある名古屋駅の中心部に向けた。

 章子たちのいる市境の庄内川ここから名古屋駅中心部に建ち並ぶ高層ビル群までは障害物がない。

「まさか……」

 次第に纏わりつく光の緯線、経線を高速に回転させ、出力を上げていく真理の傍らで、章子は目を見開いていた。

 それはまるでファンタジーなどに出てくる魔方陣のようだった。

 その魔方陣が真理が目掛けている手の平の先で砲口のように展開し、荷電粒子を砲門の中へと集束させ収束していく。

「やめて……」

 口をついて出た言葉は懇願だった。

 それがなぜ出たのか、章子には分からない。

 分からないが、気付いたら章子はそう言っていた。

 だがそんな懇願を、兇器を向けている真理は聞いていない。

「やめてぇっ!」

 しかし、その砲火は静止を聞かず、たったの一言で放たれる。

発射フォックス

 発射、

 ただその一言で、真理の手の平から放たれた一条の光閃は虚空を裂き名古屋駅のツインタワーの一棟を目がけ一閃的に薙ぎった。

 薙ぎった瞬間、すぐに赤熱する一線の軌跡が棟の側面に描かれると膨張、爆散して酷い黒煙を立ち昇らせる。

「な、何てことするのよっ!」

「何がですか?」

 たまらず掴みかかってきた章子の手を見て真理はあっけらかんと言った。

 章子はその無頓着な顔に頭が沸騰しかけた。

 これでこの被害が自分の所為だと言われたら、おそらくこの少女に手を挙げるだろう。

 それだけの怒りが今の章子には渦巻いていた。

「何が?

何が?

何がっ?

あなた、今、自分のしてしまったことが分からないの?

私に見せるためっていうだけで、ビルを一つ爆発させたのよっ?

今ので死人が確実に出たわ。

それだけじゃない、地上にいる人たちにだって被害が……」

 真理の襟首を掴みあげていた章子が背後を振り返る。

 もうもうと上げる黒煙。

 まるであの世界同時多発テロの再来だ。

 それだけのことをこの少女はやった。

 それなのに、目の前の少女は何も感じていない。

「落ち着いて下さい。章子。

今のでは誰も死んではいませんよ」

「ウソよっ。

わたしはこの目で…………え?」

「そうです。

よく見てください。

あなたは本当にそそっかしいですね。

ほら煙が晴れますよ」

 真理に言われて章子も見ると、確かに黒煙が晴れた辺りから無傷の白棟が姿を覗かせる。

 章子は茫然となった。

 駅ビルの表層にはなんの傷も負ってはいない。

 発生した、なびいていく黒煙にしたところで、下の市民からして見れば急に黒い雲がかかった程度の認識だろう。

 真理の放った荷電光に至っては単なる瞼の瞬き程度にしか思われていないかもしれない。

 それほど今の状態は平常時と何も変わっていなかった。

「何を……したの……?」

 幻影を見せたのか?

 しかしそれにしてはあの当たった時の手ごたえ感は第三者から見ても実感できるものだった。

 確かについさっき、この目の前の少女は光の砲火を放ってあの駅ビルを直撃させ崩壊させていた。

「復元させたんですよ。

荷電粒子光が被弾して貫通した瞬間に破壊してしまった物を威力は放たれたまま、壊れた端からすべて復元リカバリーさせたのです。

建物も人も、窓や建材や衣服まで、それらが配置してあった位置まで元通りね。

破損した瞬間から復元完了までにかかった時間はわずか0.00002秒。

痛みはおろか、何が起こったかを自覚する暇さえなかったでしょうね。

現在のあの建物の中にいる市民の方々の今の頭の中は??????でしょう。

ちょっと頭グラッてキタぐらいの認識なんじゃないんですか?

それも自分の身体には負傷などの変化が全く残ってい無いものだから、たった一瞬の違和感で済みます。

ほとんど立ちくらみ感覚ですよ。

今の私とあなたと以外、あそこで何があったのかは誰にも認識できていないでしょうね」

「そんな……。

そんなこと……っ」

「嬉しいでしょう。咲川章子。

あのでさえ、今日のこの出来事を知ることは出来ません。

まあ、知ったら私のことは激しく軽蔑するでしょうが、それも些細なことです。

あなたはその点において、彼よりも多くを知っている」

「ふざけたこと言わないで。

一旦壊れたというのなら、どうやって復元させたの?」

「どうやってと言われても、壊す前の情報のまま、その情報通りに破損した物を固体発生の魔法で破壊と同時に復元させただけですよ。

蘇生魔法リザレクションです。

建築学、医学、人体学、情報力学、その他、もろもろの学問技術に沿ってね」

「そんな……」

「章子。

人体の損傷も、建物の破壊も、復元させるのは簡単なことなのです。

ただし、その中には元の情報があっても元に戻せないものもある……」

「え?」

「それだけは失われる前に、その周囲の物を速やかに復元させなくてはならない。

分かりますか?章子。

真理学が宇宙から人体まで全てを把握しているというのなら。

そのどれからの学道からでも真理学には辿り着けるということなのです」

「分からない……。

わたしには分からない。

あなたが何を言ってるのか。

わたしには全然、分からないわ。真理……」

「そうですか……」

 残念そうに俯き、真理は章子の手を離させて、堤防の道から河川敷の方に歩いていこうとする。

「真理?」

 しかし、次の瞬間、章子の目は大きく見開かれた。

 真理は堤防から下る河川敷の方へと足を踏み入れていた。

 堤防道路から出てその下の草むらに足を踏み入れようとしていたのだ。

 だが真理の足が踏んだのは空中だった。

 何も足場のない空。

 その堤防と同じ高さの空中で真理は章子を見つめて立っている。

「なんで、そんな……。

空を……飛んで……?」

 荷電粒子砲を放った時と同様。

 様々な色の光の光学罫線を周囲に発生展開させて真理は空中に浮いている。

「これはね。章子。

航空魔術ブリストーです」

航空こうくう……魔術まじゅつ……?」

「そうです。

航空力学を解し、魔動的に物を空へ飛ばす科学。

二番目の文明世界、第二文明の「摂理学ティエト」では最も一般的ポピュラー魔術サラーですね。

向こうではその媒体物となる空飛ぶ箒や空飛ぶ絨毯が移動手段の要になっているのです。

だからこれもその一端に過ぎません。

もっとも姿は厳密には魔術サラーではなく魔法マリスです。

魔術媒体という導具でさえ頼ることもなく発動させることができる魔法。

航空魔法アイエスト

魔法を主な科学技術とする人類で一番最初の始まりの文明世界。

第一文明世界では、個人単体で空を飛ぶことも不可能ではありません」

 章子はもはや何の言葉も出なかった。

 それほど、この少女が見せる力は章子の世界とかけ離れ過ぎていた。

「呆けている時間はありませよ。章子。

これより一週間後。

あなたはこの力を誇る向こうの新世界リビヒーンの真っただ中に飛び込むのですから」

 一級河川の空中から浮かぶ、真理の仰いだ南の空には青く巨大なあの惑星があった。

 秋の風がそよぐ中、章子もその惑星を見た。

 それはもはや手の届かない存在のように、章子は遠く、その青い惑星を見上げ続けるしかなかった。

 その中で追い打ちとなる真理の言葉が、章子の心の最後を砕く。

「いいですか? 章子。

この魔法マリスや第二の魔術サラーのエネルギー源は「第四の火」です。

第四の火が何か、あなたはもう知っていますね?

第三の火である原子核の火でさえ、四苦八苦しているが。

この第四の火を使いこなしている向こうのの一体何を理解できるというのですか?」


 真理の言葉は、もはや自分の全てを打ち砕かれた章子の心にはどこまでも届いてはいなかった。


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序・地球転星『別転』 挫刹 @wie

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