中話 もう一つの地球

 翌朝。

 咲川さきがわ章子あきこは朝食を摂りながらリビングにあるテレビを見ていた。

 テレビの中では次々と出てくる新事実に報道番組の内容が目まぐるしく移り変わっていた。

 けたたましい音で新しい情報を何度も伝える白いテロップが大災害を思わせるほど頻繁に画面の上に現われては消えていく。

 そのどれもこれもがあの青い惑星と謎の日蝕のような現象の考察に割かれていた。

 章子はそんなテレビの映像を、食卓の背凭れ越しから眺めてパンを齧っていた。

「章子、行儀悪いわよ」

「はーい」

 流しで食器を洗う母親に窘められて、章子は自分の朝食を空にして席を立つ。

 母の隣に立ち、食べ終わった後の食器を流しの中に入れていくと章子は言った。

「今日、友達と約束があるから」

「待ちなさい。

章子!」

 洗い物を母に任せてそそくさとダイニングを出ていく。

 出ていく瞬間、タイミングよくテレビ画面の上でまた新しいテロップが流れてきた。

“NASAが太陽の裏側で、もう一つの地球を発見したと発表”

 その緊急速報の内容に章子を追いかけようとしていた母親の足が止まる。

 もちろん広げていた新聞紙越しから、それを流し見していた章子の父親も同様だった。

「そんな……」

「いったい、どうなっているんだ……」

 声を上げる両親は二人とも、テレビでひっきりなしにやってくる新情報に釘付けのようだった。

 しかし章子はと言えば、そんな事もお構いなしに二階へと上がっていき、さっさと身支度を済ませてしまう。

 身嗜みを整え、服を着替えて、素早く玄関前まで来ると。

 いまだにテレビの前で呆然と突っ立っている親たちに行ってきますと告げて玄関の扉を開けようとする。

「だから待ちなさい。

帰りは何時になるの?」

「夕方には帰ります。

お昼は友達と一緒に済ませてくるから」

 それだけを伝えてバタンとドアを閉めて家を出た。

 章子の両親は娘の外出には結構うるさい。

 今も、誰と会うの? としつこく聞いてくる。

 章子もそれにはまったくのを吐くことも躊躇われたので、中学の友達とだけ答えておく。

 章子の通う市立中央市中学校には三つの小学校区から生徒が集まっている。

 だから中学の友人だとでも言っておけば、小学校までの同級生の名前と顔しか覚えていない親たちもそれ以上詮索が出来ないことは分かっていた。

 章子はそれを見越して親たちにはああ言ったが、事実、それがまったくの嘘ではないということも往々にして分かっている。

 章子は確かに同級生っ人物と会おうとしていたからだ。

 昨日の夕方に会ったばかりの不思議な少女。

 名を真理マリと名乗った白いドレスを着て笑うその少女はいみじくも、今も東の彼方から姿を覗かせて空へ昇ろうとしているあの青い惑星を造ったという人物の娘を自称していた。

 そしてその証拠だとでもいうように章子に白いチケットを渡し、目の前で信じられない瞬間を見せつけてきたあの現象。

 自分のもう一人を生みだし、章子の前で消し去って見せた力。

 章子には今も信じられない。

 あの光景を目の当たりにした時。

 それこそ心臓が飛び出るような思いをした。

 幽霊のように現われ幽霊のように消えていった本物の人間。

 あれを真理は「魔法」だと言った。

 魔法と言う名の「科学」だと。

 そんな事があるのだろうか。

 章子はテレビゲームなどというものはあまり嗜むことのない子供だったが、その章子から見ても魔法と科学が結びつくとは到底考えることが出来なかった。

 だからこうしてもう一度、真理に会おうとしている。

 残された日数は今日と明日しかない。

 その為にも家を出てまず真っ先に目指した場所は、章子の住むこの名古屋市と隣町との境界線も兼ねている庄内川だった。

 章子の家のある住宅地から真理と出会った大通りまで急いで出て、そこから西へ一直線に歩いて市と隣町の境である庄内川に架かる橋、大道大橋だいどうおおはしを目指して歩いていく。

 章子の住んでいるのは名古屋市の西部にある中山区というところだ。

 名古屋の住民がよく「駅西」と呼ぶこの辺りの地区は、そこに含まれる中村区や西区の一部、下の中川区同様に、区画的に比較的整理整備されており、高い構造物も栄など名古屋の東部に比べて遥かに少ないため、見渡しのいい真っ直ぐな道や通りが多い。

 そのことが返って、

 今も章子が歩く通りから、東にそびえる名駅のツインタワーに始まる高層ビル群までを見晴らせることが出来るほどだった。

「来ましたか。

おはようございます。

章子」

 その道の先。

 なだらかにせり上がっていく隣町との境に架かる大橋の中程で、くだんの少女は待っていた。

 とくに待ち合わせをした筈もないのに、ここに章子が来ると初めから分かって立っているようだった。

 だが章子にしてみても、ここに真理がいる……いや現われることは何となくだが自覚していた。

 だからこそ章子は迷いもせずにここを目指したのだ。

 もっとも居なかったら居なかったで大声を張り上げるつもりではいたのだが。

「恐ろしい事を考えてくれます。

そんなことをすれば、これほど人通りのある場所ではいい衆目の的になること請け合いですね」

 相変わらずの口調のまま、昨日とはまた違った落ち着いた色の服装で立ち。

 庄内川から吹き付ける風に髪を掻き揚げられ、真理は章子を認めてそう言っていた。

「どういう事なの?」

 だが間髪入れずに問うた章子の表情にはそんな余裕の色はない。

「なんのことですか?」

「とぼけないでっ。

もう一つの地球の事よっ!」

「ああ……。

それの事ですか」

 真理はそう言って詰め寄ってきた章子から離れるように自分の二の腕まで届く橋の欄干に手を添える。

「日蝕とあの惑星だけじゃなかったのっ?」

 叫んだ章子が東に見える名古屋駅ビルの白いツインタワービルより大分高い位置まで昇ってきていた巨大惑星へと指を差す。

 真理も章子に倣ってその惑星を見やるが、その顔からは大して何も感慨を受けていないことは明白だった。

「そうですね。

昨日、あの時に母が行った事と言えば日食を起こしたこと。

そしてあの転星を召喚したこと。

さらに日食を起こしている内に、元の地球からあなた達人間とその他、全ての地球の模造品コピーを、その正反対の軌道位置へ強制的に転移創造させたことぐらいですね……」

 全く興味も無さそうに、そううそぶく真理。

「転移させたってことは、じゃあやっぱり今朝のニュースは……」

「その通りですよ。

咲川章子。

ようやく気が付きましたね。

今のこの第三惑星地球の公転軌道上には、二つの惑星が太陽を挟んだ両極の位置で公転している。

一つは、前からあった正真正銘、あなた達人間が本当オリジナルの地球。

そしてもう一つが、その本当の地球を模して作り上げたこの模造コピーされた地球です。

可笑しいでしょう? 咲川章子。

今のこの地球が、私の母ゴウベンによって、あなた方人間が突然起こった日蝕に見惚れている内に用意し転送させた嘘!

偽り!

偽物としてあてがわれた地球だったなんてねえっ!

しかし気づかなかったでしょう?

見事にのですから。

変わっていたならば、あなた方はもっと大騒ぎをしていた。

違いますか?

これで日食に大騒ぎをし、あの巨大惑星の出現に大騒ぎをし、かつ母の用意したこんなもいい所のあなた方の嫌う偽物の地球に全人類をさせられて、あなた方のプライドはズタズタの筈です。

どんな気持ちですか?

ねえ? いま、どんな気持ちなんですか?

教えていただけますか?

今まで自分たちが最も賢いだと思っていたのが、こうも容易く力ずくで強引に凌駕されてしまったその惨めで滑稽で無様な感情はっ?

そしてあなた方は何も理解してはいない。

目の前の不可思議な現象ばかりに驚いて、その原理現象まで辿り着いていない。

まったく馬鹿馬鹿しいですね。

実に畜生的です。

その一挙手一投足がどれだけ向こうの惑星に筒抜けであるかも知らずにっ!」

 真理の人格が変わったように捲し立てる暴言の数々はまさに罵倒であり嘲笑だった。

 章子の世界、社会、文明技術をこの一人の少女が冒涜している。

 だがその罵倒も嘲笑もあまりに突然のこと過ぎて、章子は何も感じる暇が無かった。

 だからそれを見て真理も呆れたように章子を見る。

「……もう一度言っておきましょう。

私たちのいるこの地球の方がです。

母が人為的に作り出した人造惑星、俗にいう「反地球カウンター・アース」というヤツです。

そこに向こうの地球からあなた方呼び寄せてこの地球へと瞬間的に転移させた。

だから気づかなかったでしょう?

日食が明けて、あの惑星が目の前にあった時も、あなた方はここがさっきまでの地球だと錯覚していた。

実に滑稽でしたよ。

そして実に愚かでした。

まったくもってこれほど無知で不知ながいるのかと思ったぐらいです。

本物だけを好み、偽物は全て嫌うあなた達人類が、この地球を偽物と知らずにのうのうと生きているのですからね。

昨日の夕飯は何でしたか?

今日の朝食は?

それら全てが何でできていたと思いますか?

この地球はから造りだされたのですよ?

ククク、実に愚かですね。

本当に愚かです。

愚かとしか言いようのないほどの愚かですよ。

まったくもって実に恥ずかしいっ!

恥を知ってください。

そして恥を知ってのうのうと生き恥を晒してください。

晒せば晒すだけ、向こうからの便りは完全に来ないのですよ。

自分で自分が無知だと曝け出しているのですからっ。

あなた方は何をしても恥なのですっ!

あなた方は何を言っても恥なのですっ!

そうやって生きているだけでも恥なのですからね!

そして死んでも恥です!

ああ、恥ずかしい!

とてつもなく恥ずかしい!

何をしても恥ずかしいなら、何を言っても恥ずかしいのですよ。

それならば、いっそ。

何をされても恥ずかしいでしょう?

だから……どこまでも生き恥を晒して騒いでください?

第三惑星地球モドキの惑星に住む現代人類人間のみなさん?」

 にっこりと笑って真理は、章子と、この場面を文字ぶんしょう目撃してよんでいる我々現実の人間あなたにも向く。

 その恐ろしいまでの形相に章子はただただ慄然としていた。

 これがつい昨日まで親しく話していた少女の言葉とは思えなかったからだ。

 それだけ今のこの少女の言葉からはこの地球に住む人間への悪意に満ち溢れている

 それが憎悪から来るものなのか、なんなのかは分からなかったが。

 ただ尋常でない事だけは理解できた。

「瞬間的に向こうの地球からこっちの地球へ物を転移させるなんてことができるの?」

 章子は真理のこの得体の知れない怒りに触れないよう努めて無関心を決め込んで聞いた。

 一番恐れていたのは出所の分からない人類への怒りが章子個人に向くことだったが。

 意外にも真理は今のことなど忘れたかのようにあっけらかんとして章子に接してきた。

「出来ますよ。

章子。

それは何も難しいことではない」

「でも、たしか物体は光速を超えて移動することは出来ないって聞いたことがあるけど……?」

 章子がそう言うと真理は哀しそうに首を振って答える。

「いいえ。

章子。

物質が光速を超えて移動することは出来るのです。

私も母も、あなた方人間がなぜそれに気づかないのかと不思議でならない。

ならないのですよ。

事実、こうして光の速度を超えて、あの惑星を出現させ、こうして本当もとの地球からこちらの贋物である地球まであなた方全人類を転送することには成功している」

「そんな。

なにを根拠にそんなことを」

「根拠ですか?

根拠と言うのなら知っていますか?

あなた方の知るありったけの理論だけでは、光速の距離、つまり地球から月までのおおよその距離より巨大な物体がこの宇宙に存在できていることを説明することはできないのですよ」

「え?」

「物体が光の速度を超えられないというのであれば、光が一秒間に進む距離よりも物体が巨大に存在することも同じくできないということなのです。

例えばこの昼間の空に輝いているあの太陽ですね。

あの太陽でさえ存在できないという事になる」

「なにを……言ってるの……?」

「物質が光速を超えて移動できないというのなら、物質が光速を超えた距離を巨大な直径をもって存在することも同じく出来ないと言っているのです。

物質というものは物質内に例外なく構成伝達速度という維持速度を持っています。

それが物質という形態を保持し形成している。

しかしあなた方の論理ではその速度でさえ、光速を超えることはできないと縛っている。

維持速度は、質量挙動を伝達し物質を物質として構成させる為の役割を果たしているからです。

だからそこで破綻が来る。

いいですか?

太陽は巨大ですよね?

この地球から月までの月衛星公転距離をそのまま飲み込むことが出来るほどに。

しかし光速の距離はだいたい地球から月までの距離とほぼ同じです。

一秒間に地球から月にすこし届かないだけの距離しか進めない。

んん?

可笑しくはないですか?

太陽の存在そのものが既に存在している事になりますよ?」

「そんな……。

それは言葉のアヤだわっ」

「よく考えてください。

章子。

これにはタネと仕掛けがあります。

物体、物質は光速を超えて動くことは出来ないとあなた達は言います。

しかし物体や物質は光速を超えて巨大に存在することが出来ている。

この二つの問いから浮き彫りになる一つの矛盾、それを解決するための糸口が……」

「……まさか。

だからっ?

だからこの世界には、光速を超えて移動できるものが他に存在している……ってそう言いたいの?」

 章子の静かな問いに真理は黙って頷いて見せた。

「その通りです。

正確には光速を超えて質量、情報を正確に伝達するものがある。ということなのですが。

まあそんなことはどうでもいいでしょう。

何よりも重要なのは、

その光より速いものを、もう一人のだけは既に知っている。

という事実なのですから」

「じょ、冗談でしょ。

そんなこと知っていたらとっくの昔にノーベル賞級よ。

他のみんなが黙っていないわ」

「ムダですよ。

他の誰かに言っても絶対にあなた方の世界では受け入れられないし相手にされない。

それほどあなた達にはあまりにも突拍子がなく、身近にあり過ぎて身の回りの影響力が考えも付かないものだからです。

しかし、この世界の中でただ一人、彼だけは辿り着いた。

彼だけがこの地球反転移というものやあの惑星の出現原理を正しく理解している。

それは仕方のないことでもあります。

この技術はあなた方、七番目の人類科学では遥かに到達できない三百万世紀は先の超科学技術なのですから。

残念ながら、

これを理解する為にはあなた方の文明はまだ幼い」

「それが、昨日あなたが使って見せた「魔法」だって言うの?」

「そうです。

そしてその魔法によって、昨日の日蝕とあの惑星「転星」ともう一つの地球は作り上げられた。

地球転星リーンカネーション・アーストライクです。

聞いたことがありませんか?

『十分に発達した科学は魔法と見分けがつかない』という言葉を……」

「魔法が科学……?」

「違います。

科学が魔法なのです。

例えば科学である魔法を極めればこういう事も出来ます」

 そう言って真理は片手を上げると、すぐにその上空から小石を出現させ、落ちてきた石をその手で受け止める。

「簡単に言うなら、これがこの偽物の地球やあの惑星を創った原理です。

固体の召喚発生。

それを天体規模で発現させてみせた。

まあ、そんな事を言ってしまえば簡単そうですが。

実を言うと、この力はあちらの転星世界でもまだ辿り着いていない科学技術です」

「え?」

 その言葉に章子は驚く。

「あなた方はまだ知らないでしょうが、物質の形態には気体、液体、固体に加え煉体れんたいと呼ばれる四形態があります。

煉体とは俗に言うプラズマのことです。

一番身近なものでは雷が落ちた時に出るあの稲光の事ですね。

稲光の主成分はほとんどその通り道となった大気層とほぼ同成分です。

それが高電圧によって瞬間的に煉体へと強制的にされたに過ぎない。

煉体は「物質の四態」の中で一番不安定な形態なのですよ。

その次が気体です。

ですからあなたがたは煉体を物質の一形体だと認識できなかった。

いえ、今はそんな話はいい。

問題は、魔法による物質発生の中で一番難しいのがだという事実です。

この固体発生は、まだ転星あちらの科学文明である「原理学オリジン」でもまだ辿り着けていない「真理学」の領域の魔法です。

そしてこの事実は、まだもう一人の少年でさえ気付いていない」

「まだ知らない?」

 章子はそれを聞いてさらに驚く。

 まだ知らないという事はそこまでの知識はあるという事だ。

「しかし向こうは間違いなく感づきました。

あの惑星やこの地球が固体発生によって出現させられたものだと。

そして恐らく我が母ゴウベンの存在も予測し終えているでしょう。

あの惑星の出現は、この地球だけではなく、向こうにとっても一大事のものなのです」

 新たに浮かび上がる事実。

 だが、とてもそうは思えなかった。

 向こうの惑星は地球こちらと違って、こんなに大騒ぎをしているようには見えない。

 その証拠に今も今まで動きらしい動きも見せていないのだ。

「少しは分かって頂けましたか?」

「分かるわけないでしょう……っ?

こんな、

こんな宇宙規模のことっ……」

 小石をポンポンと上に投げては手の平に受け止めることを繰り返して遊ぶ真理を見て、章子は歯噛みする。

 それだけ今の章子と真理が持っている科学力ちからの差は歴然だった。

「困りましたね。

そんなことでは向こうの惑星に着いた時に苦労しますよ」

 章子を案じる真理の目は何処までも優しい。

 だがそんな眼差しにいつまでも甘えている訳にもいかなかった。

 章子たちにはまず情報がいる。

 この真理やあの惑星の世界と対等に渡り合う為の知識が今はなによりも重要だった。

 それにはまず内堀から一つずつ疑問な点を埋めていく必要がある。

 だから章子はダメもとで聞いてみた。

「もう一つの地球って……今はどういう状態なの……?」

 するとすんなりと真理もその答えを示す。

「あなた方、人類が突然いなくなった状態で放置してあります。

それだけですよ。

それ以外はそのままの地球です。

人類に飼育されていた動物もなるべく転移の対象にはしましたが、それも度合いによりますね。

ただ原発などの炉心や軍事施設など、すべての装置、機関はそのまま停止していませんのであしからず。

人の管理下から外れたことで暴発するものは暴発するでしょうし。

それで汚染され死滅するところは死滅しますが、生き残るところは生き残ります。

もし、仮に向こうの本物の地球になにかしらを期待して当て込んでいるのでしたら残念でしたね。

あの惑星は一部死の大地となります」

「そんなっ……」

 章子の絶句に、しかし真理は意を返さない。

「別にいいでしょう?

地球環境がどうなろうと、あなた方人類がいない方が余程、自然環境にはいいのですから……。

いえ、違いますね。

たとえ、あなた方地球人が地球上から全ていなくなろうとも。

次に第二、第三の地球人類が現われます。

あなた方は、……いえ地球上に生きる全ての現存生命はのですから……」

 答えを知った矢先からまた真理が妙なことを言い始めた。

 その真理の放った言葉に、章子はまたもや理解ができずにいる。

「また……何を言って……」

「仕組まれているのですよ。

あなたち七番目の人類は。

ある生命が一つの人類という完成した型に向かって進化するように、遺伝子、染色体、生命本能に到るまで全てがその小さな身体に仕組まれているのです。

あなた方人類という形の生命体を他の生命が感知できなくなったとき。

また別の生物ぶんきから人類という動物かたちへと至るように進化が始まります。

嘘だと思うのならあの人類の居なくなった地球をそのまま放置していればいい。

あと五千万年後にはあなた方とうり二つの八番目の人類生命が誕生している事でしょう。

あなた方の文明がその時まで続いていればね……?」

 少女はくつくつと嗤う。不敵に。

「わたし達のこの進化が……?」

「そうです。

なのですよ。

章子。

仕組まれた人類への進化ホモン・ウォークモーション

気付かなかったのですか?」

 自分の手を見る章子は、自分自身の身体が次第に恐ろしくなってきていた。

「この、

この私の身体が……、

どこかの誰かに……?」

 わなわなと震えていく章子に、だが真理はため息を吐く。

「そんなに気落ちをすることでもありませんよ。

章子。

ここで一つ、嬉しいニュースをお届けしましょう。

もう一人の少年もこの衝撃の事実には既に気づいています。

自分のこの身体がどこかの誰かによる計画された進化であるということをね」

「もう一人の……子が……?」

 自分の両手を懐疑的に見る章子の双眸が焦点も合わせずに真理へと向く。

「そうです。

彼はそれの事にまたもや自分一人の力だけで辿り着きました。

まったく恐ろしい洞察力です。

あなたたちが学校の勉強に勤しんでる間に、彼はその事実に突き当たっていたのですから。

そんな事をしていたら、学業の方が疎かになるのは当然ですよね。

そう思いませんか?」

「あなた達が教えたんじゃないの?」

 章子の目が怖いほど真理を貫いている。

「いつ教えるんですか?

それに仮に教えたところで彼は今のあなたほども絶望なんてしやしませんよ。

それ以前から彼はすでに悟りかつ、自分自身に絶望しているのですから。

何も出来ない自分に……」

「じゃあその子は今、何をしているの?」

「さあ?

家で自分の部屋に篭って考え事でもしているんじゃありませんか?

彼は進んで外で何かをするという様な人物ではありませんから」

「それでも……会わせてくれないのね……」

「残念ですが、その期待には応えられませんね」

 肩を落として、顔を俯ける章子に同情する。

「なら、わたしたちをこうなる様に仕向けたのは誰?」

 逆にふって湧いた章子の強い視線を受けて真理も答える。

「六番目の文明です。

で最後に栄えた六番目の古代文明世界。

その代表国家の名をムーと言います」

「ムー?

ムーってあのムー大陸のムー?」

「あなた方のいうムーと六番目の文明ムーには大きな時の隔たりがありますから、あえてここでは違うと言っておきましょう。

あなた方のいうムーは古くても一万年前後。

しかし私たちのいうムーは約十億年前の文明の事を指します」

「十億……年……?」

「そうです。

十億年前、

ムーは自分たちが地球の急激な大地殻変動に全て飲み込まれることを予測し、地殻変動が落ち着くとみていた約五億年後を見越してそれが発動するようにあらかじめ、これからの生命体に行き渡らせるため一つのバクテリアに遺伝子計画の系統図とその引き金を打ちこんだ。

しかし詳しい話はここでは省きます。

打ちこんだ彼らは結果的に人類進化を人為的に促進させることに成功します。

その結果があなた方なのですから。

しかし、人為的な進化を仕込みこまれていた生命体は人類だけではなかった。

これはなかなか面白い話なのであなたも知っておいて損はない。

咲川章子、

実は、人類の他に仕組まれて進化させられた生物がもう一つあるのですが、

それは一体何だと思いますか?」

「人類の他に、もう一つ……?」

「そうです。

それは確かに進化して生まれてきた。

しかもあなた方人類よりも早くです。

しかし、それはもはや見る影もない。

どうしてだか分かりますか?

環境に適応できなかったからです。

いや適応は出来た。

適応したからこそ、仕組まれていた筈の形は大きく変わってしまった。

そして、いまやその生物はあなた方の身近にいます。

さて……、それは……?」

「まさか……それって……」

「気が付きましたね。

そうです。

それで合っている。

して、その名は……」

「恐……竜……?」

 まるで信じられないというように章子は呟いた。

「そう。

恐竜です。

しかし彼ら恐竜をそうなる様に人為的に進化へと導いていたのはムーではない。

その時代にムーと対を成していた、もう一つの巨大文明社会です」

「そんな……まさか……」

「察しがいいですね。

そういう洞察力を秘めているからこそ、私はあなたを選んだという事を忘れないでください。

そして答え合わせです。

恐竜という生き物を未来で生まれ出るように仕組んでいた文明。

その文明こそ、ムーと敵対していたもう一つの超巨大国家。

アトランティスです」

「ムーとアトランティス……」

「お伽噺のようでしょう?

彼らは争っていた。

彼らは古代にあった六つの時代世界の内で唯一、戦争によって滅んだのです。

一億年にもわたる古代戦争。

結末は両者の共倒れでした。

当然ですよね。

それだけの科学技術を彼らは持っていた。

しかし、その戦争は終わっていなかった。

続いていたのですよ。

未来のあなた達の、この時代まで。

進化の系譜という形での代理戦争。

ムーは自分たちと瓜二つである人類という動物かたちを。

アトランティスは、自分たちの次の姿である恐竜という動物かたちを。

それぞれ違うかたちの生物の姿として、後の覇権を取る様にと競わせていたのです。

あなた方は彼らの具現であり、傀儡であり、導具でありたねだった。

その血が彼らを忘れても、彼らは仕込みこんだあなたたちの躰を忘れてはいない。

これから先、落ち着きを取り戻していくは、次第にあなた方に興味を覚えるでしょう。

無事、ちゃんと計画した体の通りに、あなたたちが思惑通り進化し、争い、生き残ってくれたのかどうかを確かめるためにね」

 口元を歪めて笑う真理が今はただただ恐ろしい。

「あなた方はそうとも知らず、

増えた自分たちで増えた自分たちとの争いを今もまだ延々と続けている。

しかしそれは仕方のないことです。

それさえも彼らの計画の内だったのですから。

あなた方は出来ていた。

人間じぶんたちを殺して人間じぶんたちを残す。

その淘汰と繁殖という、極めて単純で単調な行為。

だからこそ彼らにとって、それは一か八かの賭け事だった。

丁か半かの、そんな倒錯的な賭けに勝つためにもあらゆる要素を取り込ませていた。

競争と適応する能力。

その中でも、その結果による逸脱した形状にならない為の、個の保存に種の保存という性質をも持ち合わせて。

それは固有的でありながら多様性でもある。

そういう相反する矛盾を詰め込まれてなお、あなた達は目論見通り、彼らの実験動物モルモットとしてその身体に刻み込まれた命令を忠実に遂行した。

自覚、無自覚を問わずにね。

あなた方にそんな事を考える必要はなかった。

誰が自分をこんな体にしたのか、などと考える必要もなかった。

あなた方には最初からそれ以外の余地はなかったのだから。

あなた方は人に進化するしか道がなかった。

だからこうなった!

そして、おめでとうございます。

あなた方はあなた達人類の母ともいえる第六文明の人類かれらにより与えられた使命を完璧に全うした。

見事に一番目の文明から六番目の文明まで続く人類という動物の形を受け継いで、ここに復元して見せたのです。

彼らの本音を私が代弁して差し上げましょう。

正直、ここまで上手くいくとは思っていなかった。

第六われわれが滅びて以後、世界ははずだったのだから。

人為的にでも進化を促さない限り、人への進化は有りえなかった。

自然に放って置けば、最も最善にいっても放逐された豚どまりだっただろう。

それほど現代の知的生物へ進化する為の必須要因は閉ざされている

だから君たちがここまで進化できたのは我々第六じんるいの科学力があればこそなのだ!

……とね」

 声高に叫んだ後の真理を見て章子は呆気に取られていた。

「そんな……。

そんなこと……。

そんなこと頼んだ覚えはないわっ!

誰もない筈よ!

返してっ。

わたしたちの身体を返してよっ!」

 何を思ったのか突然、叫び返した章子の顔に真理はただ呆れ果てていた。

「どう返せというのですか……?」

「それは……」

 それは章子にも分からなかった。

 返すも何も、これは最初から章子の身体ではなかった。

 最初から第六の文明によって用意された身体だった。

 その身体をもって章子の意識だけが乗り、今もただのうのうと生きているに過ぎない。

「むしろ返してほしいのは向こうの方ですよね。

は向こうの物なのですから」

「違うっ!

この身体はわたしのっ……。

わたしたちの……っ」

 泣き崩れようとしている章子に真理は止めを打つ。

「ろくに自分の身体の事も知らないくせに、よくもそこまでのうのうと自分の身体だと主張できますね?」

 真理の鋭い視線は間違いなく章子の心を射抜いていた。

「どうすればいいの?」

 力なく訊ねる章子に真理はそれでも答えない。

「わたしはどうすればいいの?

教えてよっ。

わたしはまだ中学生なのよ?

その中学生に向かって、こんなこと教えて一体どうさせたいのよっ?」

 章子の怒声にそれでも真理は答えなかった。

「もう一人の子はどうするの?」

「……また頼るんですか?」

 章子の途方に暮れる目線に真理が憐れみを込めて呟いた。

「じゃあ、どうしろっていうのよっ?」

「言ったはずですよ。

章子。

あなたは見たまま、知ったままで行動すればいいと。

私と母はそのサポートしかしない」

「そんな……。

そんなこと言われたって……」

「あなた方、中学生は早く大人になりたいんでしょう?

いえ、早く大人扱いをしてもらいたいんでしたっけ?

いずれにせよ、

それなら、今が絶好の機会だと思いませんか?

自分の事は自分で決める。

それが大人というものでしょう?」

 しかし、その声は今の章子には届かない。

 自分自身で決めるには目の前に突き付けられた事実はあまりにも規模が大きかった。

 そんな目の前で意気消沈する章子を見て、真理はため息を吐く。

「少し頭の中を整理した方がよいようですね。

残された時間はあまりありませんが、今日はここまでにしましょうか。

また疑問に思う事があれば心の中で言ってみてください。

私がタイミングを見計らって、今日のようにあなたの前に現われますから」

 そう言って、

 青い惑星が真上まで来た頃。


 真理と章子の最初の懇談は、半ば強引に終わりを告げられたのだった。


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