第15話歯を食いしばっていたら

「屋上に行こう」


 青いスカーフの彼は言った。

 アタッシュケースを持つ。

 ドアの前に立ち、耳を澄ます。

 彼は安全を確かめて、呼吸の音が消える―――ドアから一気に出た。



 その勢い、スピードに驚きつつも、素早く動くことは感染者に対する何よりの防衛策だと、思えば、確かに有効策だった。

 続いて、枯木も同じ機敏な動作で動く。

 あんたら何者なんだ、という質問はもはや野暮だ―――っていうか意味がないんじゃ。



「屋上に迎えが来る」


 枯木が迷いなくついていくものだから、俺や臼田もつい、歩調を合わせてしまったが、言っていることがおかしい。

 屋上?


「さらに上に行くんですか、まだ?」


「三階にいたって仕方がないでしょう」


 ぱすん。

 枯木が、銃を操作する。

 また感染者に命中、その横を枯木が通り過ぎたときには、すでに膝をついている。


「いや、そんなこと言ったって………上には何も無いのでは―――」


「ヘリが来るんだ」


「ヘリ………?な、なんで」


 意味もわからず、疑問形で言ってしまった、ヘリ。


「ヘリって、………え?何それ」


「着陸スペースはあると判断されたのよ、まあ、うちの屋上は、閉鎖されていて基本的には入れないから、知らないのも無理はないけれど………」


 枯木はこちらを向くが、すぐに前を向き、進む。

 ………それで有り難い、あんたらは前を向いてくれ。

 俺の疑問に答えたのは、臼田だった。


「ヘリコプター………か?」


「ま、まさか」


 ヘリコプターは有り難い。有り難いことこの上ないのは間違いない。

 危険地帯から完全に抜け出せる。

 正直言って、もしもこの現場に来てくれたのなら、心強いことこの上ない。

 だがそんなことがありうるのか………?

 先程上ってきた階段に到着する。

 さっき通ってきた場所なので、感染者はいなかった。

 この階段を上がれば屋上なのだから、もうゴールはすぐそこ。

 のはずなのだが、


 屋上につくと、意外なほどに綺麗だった。

 血の跡がない、そして感染者もいなかったため、全力で駆けあがった。

 だが、問題がある。



「おいおい、どうやって開けるんだ」


 屋上に続く重そうなドア。

 そのドアノブを、何回も回すが、開かない―――鍵がかかっている。

 古いもの特有の、重厚な造り。

 シェルターに使えそうだ。


「行き止まりだわ、他に行けない?」


 半藤の提案を、枯木が首を振って否定する。

「―――拳銃で撃たないのか」


 臼田が言った。


「なぁ、枯木、拳銃で」


「ワクチンしかないのよ、鋼鉄製のドアの破壊には向いていないわ」


 図体のデカい銃だが、こういう時には使えないらしい。

 くそう、と吐き捨てる。

 何でもいいから助けてくれよ、誰か。


「た、確かに―――いや、鍵で開けれるんだから、それが近くにあるかも」


「いや、職員室かどこか―――絶対にここにはないだろ」


「じゃあどうすんだよ!」


 臼田がドアを叩いた音でも、低く鈍い音で、金属の分厚さが感じられた。

 俺たちの親の世代か、そのまた上かに生産されたのだろう、買い替えろ。


「おい………」


 青スカーフの男が、咎める。


「大きな音を出さないで」


 枯木が早口で言って、臼田が焦る。

 そうだ、奴らは音に反応するのだったか―――まあ人間もそうなのだが。


 俺はと言えば、階下の様子を伺っていた。

 そして、今のところは感染者が見えない、足音も聞こえないことを確認し、ドアに近づく。

 いや、ドアに、張り付いた。

 掌を冷たい金属に押し付け、姿勢を整える。

 安定する姿勢を、探す。


「灰谷くん………?」


 ドアに、掌の肌をぺたりとつけて、前傾姿勢で、押す。

 ぎぎッ、と金属が唸った。

 それ以降は、俺が息を止めて踏ん張っているだけで、しばらく音は出なかった。

 だが押し続けているうちに、このドアは見た目ほど丈夫ではないのでは、と感じ始めた。

 最初は右下の金具が、勢いよくはずれた。

 螺子ねじらしき物体が二つほど、きん、きんと音を立て、視界の外に転がっていった。

 力をめ続ける。


 歯を食いしばっていたら、首と顎のあたりが熱くなってきた。

 おそらく真っ赤だろうが―――瞳がそれ以上に熱を持つ。

 否、熱を持っているのは視覚。

 視覚で捉えている、今起こっていること。

 左下の金具が弾けた後は、ドアノブの辺りの金具と、上側の二つも吹っ飛び、俺は姿勢を崩す。


 結局、ドア本体を破壊することはできなかったらしい。

 金属製のドアは、屋上のコンクリート製の床に倒れ、派手な音を立てて、一回跳ねた。

 横にいた秋里さんが音に驚いて、少しまぶたを閉じる。


 風の音の後、プロベラの音らしい、バババババ、という音が、途端に大きく聞こえた。

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