第12話全力で俺を逃がせよ!
駆けだしてから、不安になった。
俺が一番近かったのだ、半藤と秋里さんに。
枯木も、臼田も、俺の後方にいる―――俺からは見えないが。
俺が、助けるのか。
助けるべきだが、できるのか、俺に。
先程までの枯木の活躍を見ていて、俺にはああいう風にはやれない、と感じるだけだったが。
常人でもこの状況でできることがあるのだと思える、強い人間もいるのだろうけれど。
できるのか、俺に。
個人プレーにおいてとかく消極的で周りの顔色をつい窺いたくなる日本人の一番悪い性質が、俺にも出てくる。
感染者はしゃがみ込んだ秋里さんの黒い髪に触れる。
「
迷いはなくなり、無我夢中で、敵にとびかかる。
完全に真横からタックルだ。
両手を前に出し、感染者の肩か上腕の辺りにぶつけ、ふっ飛ぶ。
吹っ飛べと願った。
本来ならば人間だったはずの彼は俺とともに吹っ飛んで、一秒、二秒と廊下を飛ぶ。
体当たりして、吹っ飛んだことには、してやった感がある。
暴力にはどうしても躊躇が生じる俺だが、意外と力があったらしく、吹っ飛ばすことはできた。
こいつらはバケモノだが、だが物理法則が通用しないわけではない。
当たり前なのだが、対処法はあると確認できて一瞬安堵した。
地面から足が離れたまま、移動。
走行する車から見た景色のように、廊下が流れていく。
俺たち、と言いたくはない。
俺と自我を失ったらしい感染者は、不時着した飛行機のように不格好な落下をする。
「ぐッ………」
床にぶつかった衝撃で肺から息が逃げた。
感染者はひるみはしたようだが、すぐに腕を振り上げる。
俺はその腕を掴み、必死で押しのける。
立ち上がろうとせずにクロールのように両手だけばたつく感染者。
廊下に転がっていたガラスの破片や、教科書がはじかれて滑っていく。
顔を俺に向けた感染者は、古い血の色をした歯茎を剥き、迫ってくる。
まるで動物のような動きだが、不格好で、間抜けとも言い難い。
噛みつかれたらアウトらしい。
明確に説明を受けてはいないが、とにかく密着したのは不味かったな。
こいつの首を掴んで押しのけるつもりだったが、顎にあたって、押すことしかできない。
押すこともできない―――重心がずれているらしく、上手く押せない。
何とかして掴もうとしながら、完全に抑えることは無理だと判断する。
「―――か、枯木ィ!」
声が引き攣ったが、助けを呼ぶのは最良だ。
近付く足音は聞こえるから来ているのは分かる、が。
感染者の前歯が迫る。
まっすぐ向かってきたので抑えているのに使っていた腕を放して、平手打ちを頬に叩き込む。
真横に吹っ飛んだ顔、すぐにこちらに向く。
だから、息が
逃げようにも、尻が片方床について、寝っ転がっているような姿勢だ、走れない。
「かれき、早く!」
枯木でも、この際臼田でもいいよ!
全力で俺を逃がせよ!
今度はDr.グリップのシャープペンが足にはじかれ、床を滑っていく。
思うのは今更ながら、やたらと物が落ちていることに気が付く。
ええい、何か―――使えるものはないか。
機転を利かそうとも思ったが、床をじっくりと見る暇がありそうで、ない。
右手で感染者の首を掴む。
「両手で抑えて!」
枯木の声で、とっさに左手でもつかむ。
歯を食いしばって、首を締めあげる―――体力測定の握力計でだって、こんなに本気出さなかったぞ!
感染者の腕が俺の胸か腹を叩くごとに、必死になってさらに力を籠める。
三秒ほど、奴の暴力が弱まる時間ができた。
だが、いつ来るかという不安に押しつぶされそうだ。
敵の息遣いがまだ聞こえる。
ひゅう、ひゅう、ひゅう。
敵の顔が天井の方を向いている。
前歯も犬歯も見えないことで、つい安堵してしまうが―――。
いや、まだだ。
絶対にこちらを向くなと意思を込める。
親指を首に、骨のない腐った肉に押し込む。
息が荒いのに視界だけはやけにはっきりと、滴る血が見える。
俺のシャツに落ちている。
「枯木、い、今の、うちに」
動きが、だいぶ収まった。
「はやく、かれき、はやく---?」
ひどく単純化した自分の日本語が何か、不安になり、俺は枯木の方を向く。
「―――枯木くん、もう大丈夫」
なんだか、激しくない口調に、俺は戸惑う。
早くしないと感染者が動き出してしまうだろう。
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