第11話三年三組へ

 校舎はここから、まっすぐ行けば三年生の教室が並んでいる方面に行く。

 だが、ここで左側に折れれば、特別教室棟―――音楽室、美術室、下の階になるが、家庭科調理室―――等がある。

 全員が足を止めて、息をひそめるタイミングがあり、鳴りやまない音に気づいたのだった。


「どっちに行く」


 枯木に訊ねる。


 かち、かち、かち、かち―――。


 枯木は黙っている。

 秋里さんは半藤と身を寄せあう。

 臼田は―――少し落ち着け、息が荒いぞ。


 かち、かち、かち、かち―――。

 何かを叩くような音。

 ガラスの上を、靴で歩いているのかと思ったが、いや、違う。


「おい、枯木」


 かち、かち、かち、かち―――。


 枯木が周囲を確認する。

『目標』は、もう視界の範囲内にはいない。


「時計、かしら。何か機械的な音―――だけど」


 枯木はそれだけ呟き、向き直る。

 臼田が青い顔になったが、特に何も言わないので、俺は枯木に指示を仰ぐ。

 ここではとりあえずリーダーの様な役割だ。

 そう思っていいんだよな?


「教室に向かうわ」


 枯木は決定を下したが、半藤と秋里さんが表情を険しくする。


「教室側の方が―――生徒が多いだろ」


 臼田が、追われるような声色で言った。

 正確には生徒ではなく、感染者がだが――


 確かに。

 そういえばそうだ、と俺も危険に気付いたが、この状況では、わかりっこないとも思った。

 どうなっているか。

 というか、頭が働いていない部分の程度も低いかもしれないが、先程の、俺がゾンビだのなんだのという話をされたことが頭の七割くらいに引っかかっていて、ひどく混乱している。

 気になって仕方ないよ。

 道の分岐でどちらに進もうかとか、危険ではあるが、それより気になる。

 頼みの綱の枯木は、スマートフォンを操作している。


「枯木?」


 真剣な表情だった。

 ふざけているわけではない彼女の背中、肩からは集中力、オーラが伝わってくる。

 しかし、この状況でメールかよ?


「―――大丈夫、こちらでいいわ。ゆっくり、教室に向かう。消火器は持ってきてね」


「お、おう」


「三年三組に向かうわ―――」


 ん?

 目的地を指定したぞ。


「三組、か?そこに、そこだけ限定?」


「―――ええ」


 彼女の中に迷いはないようなので従う。

 まあ、何かあったら消火器のピンを外して何とかするさ。

 臼田は赤く重いボトルを抱きしめて、歩いている。

 廊下を進む。




 順調だった。

 とりあえず感染者は出てこない。

 下の階や、校庭から、時折誰かの大声が聞こえるが、温水プール施設で反響している声のように、意図は判別できない。

 状況は伝わってこないが、どうやら下の方が騒がしい。


「―――さっき、音楽室方面から音が聞こえたが、それはいいのか」


「今は後回しね」


「なんで………」


「今、私たちに迫っている危険ではないわ」


「そうかも知れないが………誰かいたらどうするんだよ」


「いるかもしれないわね―――でも、それだけかもしれない、感染者がいないのかも。この階では少ないわ」


 この階では。

 三階では、確かに少ないらしいが、気を抜けない。

 周囲を確かめ、時には振り返りながら、俺たちは進んでいく。


「ドアには近づかないで、教室の―――」


「わかってるよ」


 自然と、教室とは離れて―――逆側、つまり窓にへばりつくように進む。

 教室のドアは、開け放たれているものがほとんどだったが、紅くなりはじめた陽の光が、黒い影を形成して、不気味さを増していた。

 何かが、ちょうど隠れるのに適したような、黒い影ができている。

 ああ、そろそろ夕暮れになるのか―――。

 正確な時間は知らない。

 昼間は校則で使わないように言われているので電源を切ってあるスマートフォンを、確認する気にはなれない---。


 そうして進むと、また消火器があった。

 消防法か何か、ちゃんと守られているのが心強い。

 俺も何か持った方がいいか。

 しかし、臼田がもう持っていて、そして歩きにくそうにしているのを見ると、俺も持とうという気は薄れた。

 ………いざというとき、走れるか、動きやすいか、した方が良いだろう。


 窓の外に、人がたくさん見えた。

 感染者だと、もうわかっているが、グラウンドの外側、外壁、フェンスに、彼らが集まっているのが見えたが、それ以上は眺める気がしない。

 あとで見ても間に合うだろう―――いつ、そこらの教室から彼らが出てくるかわからないのだ。

 今はすぐ後ろに奴らが出てこないかが心配で、それのみに神経を研ぎ澄ますしかない。


「音楽室に行って、複数体の感染者―――五体以上いたら、まずアウトね」


「………あれ、七発あるって言わなかった?」


 枯木は黙る。


「七発っていうのは、もしかして、嘘か?なんで―――」


「全部当たるという、確証はないわ」


「………」


 周囲への警戒は怠らない。

 静かだな。

 静かすぎるくらいだ。

 三年三組の印字がしてある看板が見えた。

 二つ先の教室だ。


「七発、当たらないのか?お前、凄いじゃん、さっきから全部当たってたし、訓練も受けたって言っただろ」


 ハワイで親父に習ったレベルじゃあないんだろ、と―――。

 何故か難癖をつけるような、投げつけるような口調になってしまった。

 とにかく、こいつに頼るしかない。

 ほとんど知らない仲ではあるが―――。


「訓練は、受けたわ。でもこの『事件』は初めてよ―――」


 彼女は言う。


「ワールドカップに出るような選手でも、シュートを外すことはあるわ。一流と呼ばれる選手でもそう。プロ野球選手は、打率が三割よ―――これは十回中三回しか当たらないわね………」


「………そんなこと言われてもな」


 ベテランの弱音を聞いても、何も言い返せない。

 ここで上手いことを言える男だったらハードボイルドな感じになるのかね。


 しかし、俺はこの時、少し状況を整理する余裕ができていた。

 感染者は怖いが、走ってくることは、今のところない様だ。

 距離を取れば安心。

 枯木の射線に頼れば安心。


 噛まれたらアウト。

 いや、感染者の近くで怪我をするのも、アウトかもしれない―――。

 だから俺が格闘戦を仕掛けるのは、無理とは言わなくとも、避けたいところだ………。


「―――あの教室に行けば」


 彼女が言いかけたところで、物音がした。

 大きな物音ではない。

 喉から生臭い息が苦しそうに出てくる、それだけの音―――。

 振り返って見れば教室から、感染者がふらりと迫ってくるところだった。

 マズい、秋里さんと半藤に向かう。


 枯木がワクチン銃を構える音がしたので、一瞬、心の浅い部分で安堵してしまう。

 だがそこからは予想しない展開だった。

 そして悪い展開だった。


 枯木が一瞬、息を詰まらせ、声を詰まらせ、ワクチン銃を打ち込む。


 ―――側腹部に命中。

 感染者に見事命中し、動きが鈍り、よろける。

 そして。

 もう一体が―――ちょうどその陰から、銃が当たらないような位置にいたその怪物が、進む。

 よろけた感染者が盾になり、そのまま進む。


「―――っく!」


 枯木は決して遠い位置にはいなかったが、狙えなかったのは間違いない。

 駆けだすが、間に合わない。


 半藤は秋里さんの顔を胸に抱えるように、抱きしめ、目をぎゅっと閉じ、しゃがみ込む。

 感染者の落とす影が、彼女らを覆う。


 臼田が消火器のピンを抜こうとするのを、視界の端でとらえた。

 俺は無我夢中で駆けだした。

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