第10話取ろうとしているんだが

 ぱすん。

 やはり何度聞いても玩具染みた、間抜けな音ではあったが、彼女はまた射撃を敢行。

 数メートル先に近付いていた一体を倒した。

 飛び掛かれば倒せそうな距離まで迫ってはいたものの、注射を受けた途端によろけて、膝をつく感染者。



「よそ見をしていると、危ないわよ」


 一言だけ、彼女はそう言って、再び『目標』を見る作業に戻った。

 確かにそちらの方が重要なので仕方がない。


 枯木に特に相談もなく走ったのは、まずかったかなと思う。

 まあまずかったのかもしれない。

 何が俺たちを走らせたのか、と後になって思えば、それは不安による焦り、としか言いようがない。

 何もできていない。

 ほとんど話したこともない女子に頼りきりである男子の心情を、察していただきたい。

 多少の武器さえあれば―――身を守れる。


 安全は確保されていたと思う。

 一番近くの敵は枯木が、今倒した。

 一体くらい出てこようと、枯木の監視下である。


 出てきたとたんにハチの巣にされる―――と、そこまで激しい攻撃ではないが、注射針の餌食になることは間違いない。


 臼田、早く。

 がこん、と音を立てる臼田。

 消火器にたどり着いたのはあっさりだったが、身動きができない様子だった。

 なんだ、流石にこれをうまく持てないほどの運動不足なのか、確かにお前は筋力あるタイプではなさそうだが―――。

 と、見れば臼田はかなり力を入れているらしいが、動かなかった。


 ―――どうした。


 ―――いや、取ろうとしているんだが。


 消火器は、鎖のようなもので柱に固定されているようだ。

 細い鎖のような金具を、取り外しにかかる臼田。


「そういえば前にイタズラで使った馬鹿がいたそうで、それ以来金具で固定されているんじゃあ」


「ああ、前に部活の先輩が言ってた」


「何をやっているの!」


 ちゃんと小声だが、切羽詰まった声を半藤が出す。


「いや、これを、消火器を―――」


 まだ入っていない教室から、一人………汚れた制服がゆらりと出てきた―――ああ、やっぱり感染者なんだな、人とずいぶん動き方が違うから、眼が錯覚を起こすのかもしれない。

 彼はゆっくりとだが、まっすぐに近づく。


 声を上げずに、冷や汗をかく俺だが、その汚れた彼は近くに駆け寄った枯木を一瞥いちべつし、そこで彼女の攻撃を受ける。

 低い位置をかっさらうようなキックで足をすくわれた。

 転倒、うつぶせに転がされ、背中を高校指定の上履きで踏まれる。

 呼吸器に衝撃を受け、息を安物の笛のようにヒュエ、と鳴らした、彼。


 同性がそんな目にあっていると、居た堪れない雰囲気になるものだ。

 かしゃり、と、金具を外した臼田が、消火器を抱える。


「よし!いけたいけた!」


 早口で一気に言う彼。

 金具はチェーンと言うよりも、安いキーホルダーのようなもので、やはり簡単ないたずら防止だったようだ。


 手間取らせやがって。

 心臓がバクバクしたぜ。

 臼田は枯木と目が合うと、少し気まずく、口を動かす。


「いや、枯木―――あの、俺らも、飛び道具があったら、戦えるから―――それでさ」


 しどろもどろ、言い訳をする彼に、俺は味方するつもりだった。


「お、怒らないでくれよ---」


 枯木はすっと、人差し指を彼女自身の唇に当てる。

 なんだ?


「しっ―――何か聞こえる」


 ばたばた、と、腕を動かし、首を回そうとしている、汚れた彼に注射針をぱすん、と打ち込み、周囲に視線を送る彼女。

 しばらく俺たちは、音を立てないようにする。


 ―――かち、かち、かち、かち。


 ほら、また。

 先程聞いたガラスの割れる音―――とは、かなり違うがそこそこ高音域だ。

 枯木は黒髪を翻し、音楽室方面を眺めた。

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