第9話凄く大変なことをさらりと

 そんなこんなで廊下を進んでいく俺たち。

 枯木は注射ワクチン銃を使い、何らかの病原菌に感染した生徒たちを次々と対処していく。

 対処。

 そう、対処である………戦いにすらなっていない。

 有体ありていに言って、無双している。



 やけに慣れてるな、と思いつつも動作が完璧すぎて口出ししづらい。

 感染者が近づいてくる、となったときにはすでに機敏な動きを見せて、銃を構えているのである。

 邪魔しても悪いし―――。

 なんかクールビューティな魅力はあるんだけど、どうしよう。

 ここは俺が何か話しかけてもいいのだろうか。



 階段へ―――。この回、二階の廊下はそれほど生徒がいなかった。

 上の階だけをのぞき込み、段に足をかけている枯木。

 周囲に生徒はいないが、下の方がまだ、物音や叫び声が聞こえる。

 彼女は銃を操作する………弾薬マガジン部分を外し、それを床に、音を立てず置く。

 さっき拾ったノートもだ。

 そしてどこからか取り出した代わりのマガジンを装填する。

 ひとまず周囲に敵はいないようで、俺も安心する。


「下に行かないのか?」


 やっと口から出た一言だった。

 彼女は銃を見つめながら少し黙る。


「………用事があるわ」


「用事って」


「上に行って会う人がいる。いいからついて来なさい………ああ、あの、半藤さん?そんなに離れないで」


 呆れたような顔で、彼女は半藤と、秋里さんに言う。

 二人は俺や枯木よりも離れた、後ろからついてきた。


「離れると、危ないわよ」


 そりゃそうだ。

 いやしかし、銃を持っている、銃を平然と使いこなす女子生徒から離れたい気持ちも、わからないでもない。

 俺や臼田は、さっき銃口を向けられたわけだし。


「だ、だめよ………ねえ、もう灰沼は大丈夫なの?」


 半藤が言う。


「え、俺?」


「そうよ―――だって、あんた、バケモノじゃない。バケモノだったわ」


 俺を指差す半藤………秋里さんの前に割って入り、距離を置く。

 ………何をわけのわからんことを。


「半藤、これ以上ややこしくするな―――今はこの状況をなんとかすることで」


「灰沼くんならもう大丈夫よ。ゾンビじゃない、むしろ軽度の段階で回復したわ」


「いや、俺ゾンビじゃねーし!」


「シャーラップ!」


 それは少し茶化すような言い方だったが、黙れと言ったか、枯木。

 俺は俺で、否定してからも、身体に違和感を感じる。

 心が、迷う。

 俺はゾンビではない………はずだ。

 俺は健康だ。

 それがひどく―――奇妙に思える。

 ………だんだん不安になってきた。

 俺は自分の手首を見る。

 この状況に際して、いやに綺麗だ。

 一瞬安心したが、指の先、爪の隙間には赤いものがこびりついている。


「灰沼くん、あなたは一度、死んだわ、そして生き返った。症状が発現したけれど私がワクチンを打ち込んで回復したの、症状が初期段階ファーストだったことも手伝って、こうして普通に生活を送れているわ、だから不安になる必要はないのよ」


 枯木は一気に捲し立てた。

 俺が黙っていると、プイ、と上の階に向き直る。



 え、なに………?

 もしかして、なんか今、凄く大変なことをさらりと………?

 え、言わなかった?

 俺のリアクション待たないの、この人?


「とにかく、今は上よ。半藤さんと秋里さんは私にもっと張り付いて。ワクチンは効いているわ」


「で、でも―――」


「もしもの時は私が倒すから」


 そう言い放った枯木を信用してか、二人はようやく近づく。

 俺としては複雑な心境だが。

 申し訳なさそうな表情が可愛らしい秋里さんと目が合う。


「上の階の方が目標が少ない」


「………下の階に行けば、いいんじゃ、それで、その銃で薬を打ち込んでいけば―――」


「あのねえ。残弾が少ないの」


 銃を掲げる。

 そういえば、枯木はカバンも何もない、手ぶらの状況だ。

 マガジンの替えは………今、交換をしたけれど、次はあるのか。

 ついスカートを凝視したが、全然いやらしい意味とかじゃないぞ。

 それどころじゃあないだろ、いやマジで。


「質問づくしは結構だけれど………何も知ろうとしないのは危険よ灰沼くん。でも状況の悪さがどんどんわかっていくのは心苦しいわ」


「ごめん」


 秋里さんを不安にさせるのが嫌だった。


「あら素直。というか灰沼くん、武器になりそうなものがあったら拾っておくといいわ。そして、それを使うことなく済むよう祈りなさい」


「………」


「本当に困ったら頼むわ、男の子でしょう?」


「そうしたいけどね………」


 モップを持ってこなかったことを、後悔した。

 それと、男の子発言、最近はそういう発言も、セクハラになるらしいぜ?




 二階から三階に上がった。

 標高としては高いはず、空に近くなったはずだが、薄暗さは増したような気がするから不思議である。

 薄暗いのは状況か。

 そういえば陽も落ちかけている………時期に、夜になるだろうが、下校できるという確証はない。

 ここでやるべきことをせねば。

 いざとなったらモップを持って戦うことを想定する俺だが、とりあえず人影はないので、武器を探せそうだ。

 なあに、ここは学校で、教室は一つじゃあない。

 つまりモップなんてそこら中にあるはずだ。

 と、思ったところで、モップを床に発見した。

 しかし取り上げなかった。



 そのモップは木製だったが、真ん中の辺りで折れていた。

 思いっきり、ぽっきりといっていた。

 学校の備品がこう―――壊れた様子を見ると、なんとなく言葉を失ってしまう。

 備品破壊を咎める教師も、見当たらない。

 枯木が折れたモップを一瞥し、言う。


「いざとなったら戦ってもらおうと思ったのに、もったいない。なんなら百人組手とかしてほしいわね」


 大山倍達じゃあるまいし、やったことねえよ。


「三國無双、もしくは戦国無双ゲームはあるかしら?」


「好きだけど………とにかく、ついて行くよ」


 ここは枯木に従った方が得策なのだろう。

 そう思って付いていく。

 付いていくしかない。

 階段から廊下へ、移動の際は、まず壁と言うか、柱の影からのぞき込む。

 廊下にはやはり感染した生徒がうろついている。

 ゾンビ………もう認めよう、奴らは生ける屍だ。

 地上ではあるのだが、水死体が流れるような揺れ方で、歩いている。

 一歩、二歩歩くごとに妙な音がすると思ったら、上履きが半分脱げている。

 不良っぽい兄ちゃんが、靴のかかと部分を踏んで歩くことがあるが、そんな感じだ。

 いや、絵面えづらは全く違うのだが。

 制服のボタンがちぎれていた―――それでも歩く。

 彼らは歩く。

 服を着ているのではなく、服を張り付けて歩いている、といった風だ。

 着こなせていない。

 ペットに服を着させることが、珍しくなくなってきたご時世だが、それを一瞬連想した。


 俺も枯木に習い、彼女の後ろから覗き込む………彼女の首のあたりの肌と、黒髪の生え際につい目が行ってしまう。

 普段はまじまじと見れないアングルである。

 ………いやいや。


 三人、見えた。

 枯木が言うところの、『目標』は三人。

 それは驚いたが、しかし絶望的な人数ではなかった。

 彼我の戦力差でいうならば。

 こちらの方が、人数は多い。


「枯木………」


 枯木は様子を伺ったまま、動かない。

 臆しているわけではなく、考えているのだろう………やきもきはしたが、安全には気を配り、慎重な彼女だ。

 頼れる、と思う………彼女のことをほとんど知らないが。


 声を殺したまま、ジェスチャーを多用していく。


「どうした」


「灰谷―――あれ、見えるか?」


 だから、灰沼だ………。

 まああんまり明るい苗字じゃあないのは自覚しているがな………。


「ゾンビ、だろ?見えるよ、数は多くないけれど」


「いや、だから違うって、あの、赤いの―――なんだっけ、消火器だ、消化器」


「なにを………消火器?」


 廊下を再び見る。

 臼田が指差す先に、視線を送る―――視力は申し分ない。

 治っている。

 どうやら治されたらしいが………半信半疑だ。

 詳しく聞くにものんびりできる状況ではない。


 とにかく、視線の先。

 廊下の柱にある。

 それは普段、大して気にも留めない、廊下に一定数配置されている赤い普通の消化器だった。

 今も、いつも通り置いてある。



 走れば五秒程度でたどり着ける距離にある、それを眺めながら、俺は意味を考えた。

 なんだよ、臼田。

 どういうことだ………?

「消火器か………?」


 小声で、示したものの確認をする。

 臼田は頷く。


 さて。

 どういうことだ。

 ああいったものは液体で、水で火を消すというよりは粉末の薬剤を火元にかけることで酸素の供給を妨げる、いわば窒息のようにして火を消すというメカニズムらしいなあ、なんていう知識を思い出しながら、臼田が今、指差した意味をやっと理解していく。

 違う、そうじゃない。

 火ではなく、この状況で、動きが鈍い相手になら十分有効だということに気付く。

 攻撃手段か。

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