第2話こうはなりたくないよな

「そこから動くなァ!クソボケ!」


 半藤ばんどうは叫んだ。

 視界は相も変わらず焦点が曖昧あいまいだが、おそらく叫んでいるのは彼女だろう。

 声が記憶にある―――こいつ結構キンキンする声だったんだな、初めて知ったよ。


 その隣にいるのは秋里あきりさんだ。

 そう、二人とも誰だかわかる。

 夏服がぼんやりと霞み、細かい点までは見えないが―――おそらくクラスメイトだからだろう。

 この二人は一緒にいることも多いから、並んで話している光景が容易に思い出せる。


 半藤は―――手を床近くでバタバタと動かし、何かをつかむ。

 床に置いてあった、腰くらいまでの高さの―――もの。

 木の板と、金属製パイプと。

 それを手に取る。

 引き寄せる………がたがたと、床が鳴る。


「こっち来るなバケモノ!こ、これで殴るわよ!」


 何を言っているのかわからなかったが、切羽せっぱつまっている様子だった。

 何を指してバケモノと言っているのか―――?

 俺の後ろに何かいるのか?

 そう思って、振り返る――――ああもう、遅いな、俺の身体。

 緩慢。

 教室のドアがあったが、よくわからない、それだけで―――だから、危険性はないように見えた。

 俺の目からは。

 そう見えた。


 廊下には人影が複数いるが、いずれもただの通行人らしく、飛び込んでくるような輩はいない。走って通り過ぎた人間は、いたが。

 おいおい。

 よっぽどの非常時でない限り廊下は走ってはいけないぞ―――などと、先生のようなことを考えてみる。


 さてさて。

 まだ何か、大声を上げる女子二人。

 おいおい、なんなんだよ、落ち着けよ。

 喚くなよ。

 まあ正確に言うならば―――半藤が主に喋っていて、秋里あきりさんはその陰に隠れている感じだった。

 ああ、可愛いよ秋里さん。

 ぶっちゃけ好きだけど、恥ずかしいので言いはしない。


「―――来るな、バケモノォォ!」


 なおもこちらに向かって大声を張り上げている、こいつ。

 くんな、バケモノ?

 さっきも女のくせにクソボケだのって―――抗議したいね、俺は。

 きれいな言葉を使おうね。

 女子なんだし―――と、とか考えちゃう。


 いやいや、人間だからさ、いろいろ嫌なこととかあるし、失敗続きでストレス溜まっていたりすると、なんか、ついついかっとなってしまうときって、あるんだよ。

 俺だってあったさ。

 でもさ―――でもそれは良くないよな。

 俺に向かってそういうことを言って、それで気が済むなら百歩譲っていいとしようよ。

 半藤よ。

 しかし、やっぱりやめた方がいい。


「く、来るなぁあぁ!」


 半藤は、何かを―――構えた。

 それは教室にある、持ち上げることができて、何か、棒と、木の板で構成されるもの。

 つまりは椅子いすだった。

 何のことはない、学校の、学習机………じゃあない、生徒用の机の、椅子だ。

 それを、おそらく―――よく見えないが、パイプ部分を握って、持ち上げている。


 おっと、持ち上げて、振りかぶった。


「こ、これで殴る!殴るわよ!近づいたら!」


 確かに俺に向かってそう言ったということは、わかった。

 オイオイ………。


「ぃオィ………ッ!」


 ごめんな、ちょっと体調不良なのか、俺、滑舌悪いわ、今日は。

 でもまあ、やっぱり抗議したい。

 お前、駄目だ。

 なんて言葉遣いだよ、暴力的だな。


 まったく、そんな奴だとは思わなかった、見下げ果てたよ。

 おそらくだけれど、育ちが悪いんだろうね。

 どういう教育を受けたんだろう。

 不良だったのか、お前………。

 こうはなりたくないよな。


 しかし腹が減ったな。

 足りない。

 腹に―――何かが。

 ううむ。

 体調不良は、俺のこの体調不良はさ、空腹からきているのかもしれない。

 ならばとりあえず腹ごしらえしようか。

 ああ、でも目が悪いんだ、今―――どこに食料があるか―――。


 いいにおいがするな。

 いいにおいがする気はする。

 うん。

 半藤の首が美味しそうだな。

 なんだよ―――いいところあるじゃん。

 美味しそうじゃん。

 ああ―――早く食べないと、死んじゃう。


「ァあ………!」


 自分が、唇から、顎のあたりに唾液よだれを垂らしてしまったことは、わかった。

 美味しそう。

 おいおい、喚かないでくれ、半藤。

 ちょっとだけ、ちょっとだけだから。

 仕方ない、仕方ないんだよ。

 いいんだよ。

 腹が減っているんだから。


 俺は彼女に手を伸ばした。

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