第43話 我が愛する家族のために

 トウカの体が癒しの光に覆われているのを、カレンもその眼で確かに見ていた。目の前で自分を見下ろすアザミに向けて誇らしげに指を突きつけ、言い放つ。


「……あなたの負けよ、アザミ」

「戯言を言うだけの余裕はあるようだな」


 重傷を負っていたカレンには本来の魔力を制御できる力はそもそも残っていなかった。それでも強制的に力を引き出した結果、再び暴走状態に陥り、その身は消滅しかけていた。それでも体が光の粒子に溶けて消えていく中、最後まで抗おうと、時間を作ろうと足掻く。


「その体で魔力を解放すればどうなるか、知らなかった訳ではないだろう」

「覚悟の……上よ」

「他人に命を懸けるとは、やはりお前も父やマリーと同じ魔族としては不出来な存在だったということか」

「あなたはわかっていない……力の劣る人間がなぜ私たち魔族を上回ったのかを」


 五体満足のアザミとの戦いはすぐに片が付いていた。カレンは自分の胸元を深々と貫く刃を持つアザミの手を力強くつかむ。口の中は血の味で満ち、開けば血があふれ出る。だが彼女に己の行動を悔やむ様子は微塵も見られない。


「自分が弱いと知っているからよ。力が足りないから追いつこうとする……補おうとする。力を合わせて……託して……代を重ねて……血と想いを繋いで…ね」

「ククッ、人間に負けた言い訳か?」

「すぐに……あなたも、理解するわ」

「くだらん」


 アザミをつかむカレンの手が消えていく。力が緩んだところでアザミは蹴り剥がすようにして刃を抜いた。彼女を支える力は残されていない。ゆっくりと後ろ向きに倒れて行く。


「……先に冥府とやら…で、待ってるわ……」

「ああ。父上たちと待っていればいい。すぐにマリーもそちらへ送ってやろう」

「マ……リー…」


 最愛の妹の名。その笑顔を見ることは叶わなかったが、彼女の未来を切り開く一助になれたことにカレンは不思議な満足感を得ていた。


「少しは……姉、らしい…こと……できた、の…かしら」


 カレンはトウカとマリーの方へと視線を向けた。体が消えていく自分の姿を目の当たりにして、二人は言葉を失っていた。だがカレンは精いっぱいの笑顔を向ける。せめて、最期に彼女の泣き顔だけは見たくなかったから。自分と同じ長い銀色の髪、ルビーのように紅い瞳を持つ最愛の妹に自分の想いを託して。


「――っ!」


 もう音を聞くこともできなかった。何と叫んだのか、マリーの声はカレンには届かない。だがカレンには確かに伝わっていた。妹が何を言おうとしたのか。


「あり…が――」


 一番望んでいた言葉。自分がマリーの姉であることを確かに噛みしめて、カレンはその姿を光の粒子へと変えていった。


「マリー……」

「……泣かないよ。絶対に」


 マリーは悲しみをぐっとこらえる。もう悲しみで全てを無くしてしまいたいなんて思ってはいけない。それはカレンが願っていないことだから。


「だから、私は最後までママと笑顔でいる……それが、カレン姉さん・・・・・・の望みだから!」


 マリーは敵意をはらんだ眼差しでまっすぐにアザミを見つめる。魔王の娘である自分自身が魔族に敵対する意思を明確に示して。

 確かに彼女の記憶が戻っていることを認め、アザミはゆっくりと玉座の位置から歩みを進めていく。


「完全に記憶が戻ったみたいだな。戻りさえしなければ生き長らえたかもしれないのに」

「あなたの操り人形として生きてくなんてまっぴらよ。そんなの私じゃない」

「今からでも間に合う、考えを改めて魔族につけ。このまま人間の世界で生きても、魔族のお前は恐れられ、いつか居場所を失うのだぞ」

「そんなこと、ない」


 マリーはかぶりを振ってアザミの言葉を跳ね除けた。命を懸けて自分を取り戻そうとした人がいる。その成長を優しく見守ってくれた人がいる。人と魔族の対立は確かでも、それが全てではないことをマリーは知っているから。


「私の居場所はここにある。私がいたいと思える場所が、皆が作ってくれたこの場所が! 世界の誰もが私を拒んでも、ママたちは絶対に私を信じてくれる! だから――」


 自分を愛してくれた人たちが目指す共に手を取り合って歩んでいく未来。大切な人たちのその想いを決して裏切りたくない。


「――だから……生まれが魔族でも、私は生きていく。人として、ママの娘として!」

「マリー……っ!」


 それは、トウカにとって何よりの言葉だった。五年前の選択が正しいのか、間違っているのか。問い続けた日々をマリー自身が肯定してくれる。迷う必要などないのだと。


「そうか……ならば、お前の大好きな人間と滅びればいい!」


 禍々しくどす黒いオーラを立ち上らせて、アザミの魔力が膨れ上がっていく。全身で感じる危険な感覚を前にトウカも、そしてマリーも身構える。


「さあ我が魔力よ、刃と成れ。愚かな生物たちを切り刻み、この国を紅く染めよ!」


 無数の刃がアザミを中心に生成されていく。どこまでも尽きないその膨大な魔力は魔王の血族であることをまざまざと示している。


「ママ、私の後ろに!」


 アザミは容赦なく全ての刃を射出した。マリーが両手をかざして魔力で障壁を生み出し、そのすべてを正面から受け止める。だがやはり膨大な魔力を一所に凝縮するアザミの魔法にマリーの障壁はすぐにひびが入り、威力に押されていく。


「うっ……ううっ…!」

「魔王の娘といえど、所詮力を目覚めさせられない小娘に過ぎん! 母子そろって仲良く串刺しにしてくれる!」

「マリー!」

「やらせない……私の後ろには、絶対に失えない人がいるんだから」


 目の前で消滅していった姉の姿が脳裏によぎる。もしも違う形で出会えていたらきっと心強い味方としていてくれたのかもしれない。共に生きる未来もあったのかもしれない。自分がアザミに負けなければ守れたのかもしれない。後悔はいくらでも湧いてくる。


「もう、誰も失いたくない……!」


 手足に力が入る。見えない何かが背中を支えてくれる。強い想いがマリーの中の力を更に障壁を作る出力に変えていく。


「これは……っ!?」

「まだ私にはこの世界で! ママと、みんなと一緒に! やりたいことがいっぱいあるんだから!」


 かつての暴走とは違う、自分を支える想いのすべてを注ぎ込む。

 全てを守りたい。自分を愛し育んでくれたあらゆるものを。

 守りたいと思う気持ちで我を忘れるほどに・・・・・・・・


「ああああ――っ!」


 爆発的に魔力があふれ出す。周囲に紫電が走り、秘められた力がマリーの手を通じて障壁に注ぎ込む。瞬時にそれが再生し、わずかにマリーの力がアザミの魔法を押し返す。


「ちいっ! まさかこの歳で目覚めるとは!」


 自分の魔法が押されていることを目の当たりにし、アザミが追撃の魔法を展開する。マリーが先の魔法を相殺した直後、次の術式を編む前に次の魔法を放つつもりだ。


「――む!」


 不意に聞こえた風切り音にアザミが手に魔力を集中させ、薙ぎ払う。赤い矢羽の矢が真っ二つになり、魔法の威力で燃え上がる。


「ちいっ!」


 狙撃でアザミの魔法の発射のタイミングがずれた。再び迎撃の態勢をとったマリーが無数の刃を受け止め、その瞬間に彼女たちの後ろから人影が飛び込む。


「術式展開――――『圧縮』」


 マリーの展開した障壁の魔力をその刀身に集わせ、シオンが二つの剣を左右から振り上げる。


「噛み砕け! 緋炎双牙ひえんそうが!!」


 解放された魔力が一気に膨れ上がり、剣が交差すると同時に前方へと撃ち出される。強い爆発力と共にそれは光の光線となり、魔力の刃群を吹き飛ばす。


「シオン! ドラセナ!」

「待たせてすまない、トウカ。マリーちゃんも無事でよかった」

「私も旦那フジと会えたわ。あとはあいつだけよ」

「そうだ、この戦いもいよいよ大詰めと言うことだ」


 黒い髪をなびかせて、謁見の間に靴音を響かせてまた一人姿を現した。騎士として、もう一人の母として美しく誇り高い姿はトウカとマリーにとって長く憧れた姿だ。


「オウカ……!」

「待たせたな。そして……よくマリーを取り戻してくれた。礼を言うぞ、トウカ」

「……お母さん」

「何も言わなくていい。あとは下がっていろ、決着は私たちがつける」

「ううん、私にも戦わせて」


 オウカの言葉にマリーは首を振った。オウカが覚えている限り、マリーがこうして反論する時は必ずちゃんとした理由がある時だけだ。


「もう、守られているだけの私じゃない。この魔法で、この力で、みんなを守りたいの」


 マリーがアザミに匹敵する力を発揮した光景はオウカも目撃していた。だからそれがマリーの強がりから来るものでないことは間違いないと思っている。そしてこれから対峙するのは魔王の長子にして一度はマリーやドラセナ、ノアを倒し、シオン達が苦戦したアコとナイトを絶望させるほどの力を持つ相手。対抗できる力を持つ者は一人でも多い方がいい。


「……いいだろう。だが、前には出るな。巻き込まれるからな」

「巻き込まれる?」


 小首を傾げるマリーの前にオウカが一歩出る。そしてその隣にはトウカが並び立つ。


「いくぞ、トウカ」

「うん、オウカ」


 あの日、マリーを奪われて二人は力を求めた。一人の力で立ち向かえない強大な敵に挑むために。自分たちの力を最大限に引き出すために。


「術式展開――」


 オウカがその魔術を紡ぐ。姉が差し出した手をトウカが握る。父と母から受け継いだ成果を今ここに。長き時間を共に学び、共に研鑽した双子の姉妹は、今こそ本当の意味でその心を一つにする。


「――『伝心』」

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