第41話 それでも、おぼえてる

「……う」

「オウカ様!」

「気が付いたかい、オウカ」


 目を開くとオウカは誰かが顔を覗き込んでいるのがわかった。少しずつ焦点が合っていくと、その人物が自分の知っている人物であったことに安堵する。


「……キッカ…フジ」

「よかった。傷だらけで倒れられていたのでびっくりしました」

「ケガの大半はノアが治してくれたからもう大丈夫だと思うよ」


 キッカに支えられオウカは体を起こした。体に痛みは残っていない。カレンとの戦いで負ったケガもほぼ完治していた。魔法による治療を受けたのは初めてだがフジの魔術によるものと比べるとその差が歴然としていることに驚く。


「感謝する。ノア」

「いえ、この先の闘いにあなたの力は不可欠ですから。それより、トウカさんは上へ?」

「ああ。それとカレンは私が退けた。みんなは?」

「他の二人も討伐したよ。あとはアザミを倒してマリーちゃんを救い出すだけだ」


 シオンが上階を見上げながら答えた。そのそばではドラセナとレンカが装備の確認をしている。

 集中して魔力の回復具合を確認する。どうやらトウカが上に向かってからそう時間が経っていないようだった。マリーと戦っているか、アザミと交戦しているのかはオウカにはわからないが、いずれにしろまだ戦いは続いているのは確かだ。だが、オウカはその前に皆に知ってもらわなければならないことがあった。


「みんな、一つ頼みがある。マリーがもし襲い掛かってきたとしても、できるだけ手を出さないでくれないか?」

「オウカ様、マリーが私たちを襲ってくると?」

「もしかして、前の時みたいに敵対してる演技なんじゃ……」

「いや。今、マリーは記憶を消されているらしい」

「それは確かなの、オウカ?」


 ドラセナの問いにオウカが首肯すると、ドラセナは不快感を露にする。彼女も子を持つだけにその辛さは誰よりもわかっていた。


「ほんと最低ね、あいつ。親子の絆を無かったことにするなんて」

「ああ。だから何としても記憶を取り戻さなくてはならない。ノア、魔法で消された記憶を戻す手段はあるのか?」

「……少なくとも、私の力では不可能でしょう」


 ノアはそう告げた。腕組みする手に力が入っている。アザミはノアが人間に与しているのを知っている。だから彼の力で蘇らせることができるような生半可な魔法は使っていないと考えられたからこその冷静な分析だった。


「……いや、もしかしたら」


 だが重い空気の中、口を開いたのはフジだった。


「簡単に記憶は消せるものじゃないんだ」

「そうなのか?」

「うん。そもそも記憶を消去した上で自分たちが肉親だと認識させるなら情報に齟齬が生まれるはずなんだ」

「そうか……奴はマリーと共通の記憶を持っているわけではないからな」

「うん。だから消されたんじゃなくて『思い出せなくした』と言った方が正しいんだと思う」


 フジは確信を持って頷く。医学に長けたウィステリア家にとっても脳は未知の部分が多い。だが数多く診てきた症例からも記憶を失うパターンはある程度パターン化できる。

 過去の一定期間の記憶の欠落、あるいは自分を含めた全ての事柄の消失。いずれも自分にまつわる記憶が欠落するために人間関係に支障をきたすはずだが、カレンの証言からは兄妹間のコミュニケーションに問題は起きていないことがうかがわれる。


「アザミは自分たちに都合の悪い部分を思い出せなくさせて、いびつでも納得できるような道筋だけを残したんだと思う。記憶を全部消したら魔法が使えたり、あちら側に都合のいいことばかり認識しているのはおかしい」

「なら、思い出す可能性もあるということか?」

「たぶんね……ただ、いつ戻るかは確かなことは言えないよ。特定の記憶につながる道が寸断されているようなものだ。何かのきっかけで修復されれば思い出すこともあるし、ずっと忘れたままの場合だってある」

「そうか、きっかけ……か」


 オウカは一つだけ、マリーの記憶を取り戻す可能性がトウカにあることを知っていた。だがそれは危険な賭けでもある。フジの言う通り、記憶を取り戻すきっかけがつかめなければ意味のない行動になりかねない。


「頼むぞ……トウカ」


 遠くで爆発するような音が聞こえた。トウカが今、苦しい戦いの中にいるのだと誰もが思う。それでも、トウカならきっと――オウカにはそんな強い確信があった。




「はあ……はあ…」


 爆発でトウカが足を止めた隙にマリーは再び距離をとった。しかし、押しているはずの闘いにもかかわらず彼女の表情は固い。それは肉体的なものよりも、精神的な圧力がマリーを苦しめていたからだった。

 トウカの甲冑にはひびが入り、頬などの露出している部分はマリーが魔法を使うたびに傷が増えている。徐々に、少しずつトウカの命は削られている。

 だがそれでも止まらない。ありったけの魔力も体力も全て費やして何をしようと言うのか。それがマリーにとっては恐れに似た不気味さを感じさせる。


「これならどう!」


 マリーが両の掌に集めた魔力に術式を付加していく。ただの力の放出から意思のままに魔力を編んだ超常の存在へと変わる。より複雑に、より精密に、より異質に魔力が指向性を持つ。それこそが魔族の証たる魔法の力。


「今度こそ!」


 二つの光弾がマリーの手から離れ、トウカへと向かう。オウカとカレンの闘いを思い出したトウカは何かしらの術式を込めたと判断し、下手な近接での回避は危険だと大きく距離をとる。


「逃がさない!」

「――っ!?」


 しかしトウカの動きを追うように光弾は飛ぶ方向を変える。再び走り出すトウカだが二つの光弾はその後ろをぴったりと追いかけて来る。その反応の速さにトウカはその術式を察知する。


「自動追尾……違う。これはマリーの操作!」

「そうよ。この魔法、どこまでもあなたを追いかけるわ!」


 いくら手を変えて魔法を放とうとも、次の魔法を放つまでのタイムラグが存在する。トウカはその間に距離を詰めて来る。ならばその隙を与えなければいい。


「くっ!」

「甘いわ!」


 前と後ろから光弾が迫る。トウカは跳躍して空中へと逃れるが、マリーがすぐさま念じて光弾の一つを追跡させる。しかしトウカは剣に手をかけて叫ぶ。


「術式展開――――『付与』!」


 魔力を乗せた剣を抜き放つ勢いで体を翻す。下から迫る光弾にその刃を叩きつける。


「はああああ!」

「なっ!?」


 魔力同士がぶつかり合い、光弾が弾かれる。進行方向を変えられた魔力の塊はマリーが操作する暇もなく床に着弾して爆発を起こした。


「なんて奴……魔力を叩き落すなんて!」


 爆発の閃光と飛散する礫に怯み、マリーは顔を腕で覆う。視界がふさがれ、トウカの所在がつかめない。


「マリーっ!」

「……え?」


 だがここでマリーの戦闘経験の少なさが出る。彼女の意識が逸れたことでトウカを追わせていたもう一つの光弾の操作が彼女の意識から抜け落ちてしまっていた。その結果コントロールを失った破壊の力は顔を覆った左腕の側、彼女の死角から迫って来ている。そのことにまだマリーは気が付いていない


「しまっ――」

「マリーっ!」


 着地したトウカはすぐに「加速」の術式を走らせる。桃華繚乱斬撃を飛ばすも考えたが距離的に光弾の破裂にマリーが巻き込まれてしまう可能性があった。それ故、取れる手段は一つしかない。


「ぐっ……ああああっ!」


 マリーと光弾の間に割り込み、トウカはその身で魔法の直撃を受けた。その威力で甲冑が吹き飛び、バラバラに砕けて四散していく。


「な、なんで……」

「マリー……ケガは……ない?」


 目の前で自ら魔法の直撃を受け、倒れ込むトウカの姿に驚きのあまり、マリーは言葉を紡げないでいた。だがケガのないその姿にトウカは安堵して微笑む。


「ああ……よか…った」


 ――ああ……よか…った。


「――うっ!」


 ズキリと頭の中に痛みが走る。何か不思議な感覚がマリーの中に芽生える。それはどこかで同じようなことを経験したような感覚。

 自分がなぜこの場にいるのか、一抹の疑問が胸の中に影を落とした。

 それは敵を討つためだとわかっている。だがどうしてトウカが仇敵だと知っているのか――それは兄に教えられたからだ。

 いつ父が殺されたのか。それは五年前。じゃあこの五年間、自分はどこで何をしていたのか。どうして花が咲き誇る草原で姉と巡り合ったのか――次から次へと疑問がわいて出て来る。明確に答えを返せない自問が何度も現れる。自分の中にある記憶と情報の整合性が取れない。知っているはずなのに答えが出ない。


「う……私……なんで?」


 何故思い出せない。何故思い出せない。何故思い出せない思い出せない思い出せない思い出せない思い出せない思い出せない思い出せない――。


「マリー……?」

「くっ――ば……バカじゃないの。なんで敵の私を」


 仇敵が目の前で倒れているのに手を下さないことをトウカが怪訝な面持ちで見上げていた。マリーは浮かぶ疑問を必死に振り払う。


「当たり前だよ……だって、マリーは私の娘じゃない」

「う……」


 どうしてそんな顔ができるのか。殺意を抱く相手に向けた、あり得ないはずの慈愛に満ちた微笑みにマリーの迷いがどんどん大きくなっていく。


 ――私が、マリーの新しいママになっちゃダメかな?


「うっ……あ…!」


 頭が割れそうなほどに痛みが強くなっていく。この笑顔を、この優しい声を知っている。知らないのに、ずっと一緒にいてくれていたように思える。


「何で……どうして……こんなの知らない、知らないのに!」


 何かが欠けている。自分の中でとても大きな何かが。傷ついても、ボロボロになっても、ずっとそばで笑っていてくれる。自分を大きな優しい気持ちで包んでくれる。そんな暖かい気持ちを、存在を心が、体が覚えている。


「マリー、何をしている。早くとどめを刺せ」

「う……あ…あ」


 ――うん。ずっと一緒。約束する。


 肉親なのに冷たく感じる兄の声。仇敵おやのかたきなのに暖かく感じるトウカの声。

 自分の中でもう一人の自分が叫んでいる。相反する想いがぐるぐると渦巻いて言葉にならない。

 目の前の相手はいったい誰なのか。憎くてだいすきで殺したいだきしめたい拒絶したいてをのばしたいのにできないできない


「ダ……メ…ころせ……な…」

「……ちっ、限界か」

「危ない!」


 アザミの手に光が見えたその瞬間、トウカはマリーに手を伸ばして抱え込んだ。魔法のダメージの残る体では襲い来る魔法から身を挺して小さなその体を強く抱きしめることしかできなかった。


「うっ……ぐう……っ!」

「兄さん、なんで!」


 トウカの背に魔法の刃が突き刺さった。その魔法が自分を狙ったことだと気付いたマリーが叫ぶ。だがアザミは闇をはらんだ濁った紅の眼で冷たく二人を見下ろしていた。


「あなた……自分の肉親まで!」

「外したか。だが魔王殺しが代わりなら上出来だ」


 再びアザミが手に、空中に小型の魔力の刃を次々と生成していく。それはひと思いに殺すためでなく、じわじわとなぶる・・・ための数の展開。


「さあどうする。動けばマリーに当たるぞ!」

「くっ!」


 トウカがマリーを抱え込み、動かないことを確かめるとアザミは刃を一つずつ放つ。急所を外し、何本目で事切れるのかを試しているようだった。


「ぐっ……ううっ……」


 背が紅く染まっていく。それでもトウカは絶対にマリーだけは守ろうと更に腕に力を込める。


「やめて! なんで、どうしてここまで! 本当の娘じゃないのに、私は魔族なのに!」


 脳裏に浮かぶ幼き日の記憶。天井が崩れ、抱きしめる手が少しずつ力を失っていく。せっかく得た喜びが零れ落ちていく感覚。

 何が嬉しかったのか。何を失ったのか。自分の根幹に関わる大事なことが思い出せない。本当に自分は「マリー」なのか。自分が自分のように思えない。


「約束……したから。本当の両親に会えるまで、マリーを……守るって」

「やく……そく」


 ――マリーのお父さんとお母さんが戻ってくるまで、私がマリーを守る。その日まで、私がマリーのママになっちゃ……ダメかな?


「両親のことは……嘘になっちゃったけど、ゴメンね」

「あ……ああ……」


 マリーは記憶が完全に消されたわけじゃない。トウカはこれまでの戦いでそれを確信していた。そして、記憶の齟齬が彼女を混乱させていることも。

 彼女の中では今、記憶の欠片が歪んだつながり方をしている。それを正しい組み合わせにすればいい。そして、その為の力は自分の中にある。


「術……式…展、開――」


 戦いのために身に着けた力。でもそれが愛娘を救う力になる。どんな力も、使う者の想いや使い方次第で違う未来を築ける。宿敵であるはずの魔族の娘が人をつなぐ架け橋になったように。

 今なら届く。トウカは残り少ない力を全て注ぎ込む。自分の想いを全て込めた心を愛娘に伝えるために。思い出せないことは全部、自分が覚えているから――。


「――『伝心』」


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