第40話 想い託して、気持ち伝えて

 カレンが去り、フロアは静寂を取り戻していた。だがどこに魔物や魔族の影があるかわからないため、トウカはオウカをフロアの端にもたれさせ、少しでも安全な場所で休ませようと思っていた。


「いい、余計な体力を使うな」


 だがオウカはそれを拒んだ。カレンとの戦いにおいて閃光をまともに受けた影響で彼女は視覚が回復していない。一人では何かあっても対処が困難になるのは確かだ。


「でも……」

「いいから行け。私が何のために一人で戦ったと思っている」


 少しでもトウカの消耗を抑え、マリーの下へトウカをたどり着かせるため。そのためにオウカは不利なカレンとの戦いを一人で戦い抜いた。ここで少しでもトウカの体力を削ってしまうことはオウカとしても避けたかった。


「お前が人を放っておけないのはわかる。だが今、この時においてそれを向ける相手を間違えるな」


 激しい戦闘でその身は傷つき、無茶な魔術の連続行使で魔力もかなり消耗して倒れてもおかしくない状態だった。だがオウカはそんな弱い姿を決して見せようとしない。


「カレンの言ったことが確かなら、マリーは記憶を失っているのだろう。そして私たちのことを親の仇として襲ってくるはずだ」

「……うん」

「だが信じろ。お前たちの築いた五年間は決して無駄じゃない。それはずっとそばで見てきた私が保証する」


 トウカの不安。マリーが自分のことを分からず襲ってくる恐れ。それをオウカは見透かしていた。優しいトウカがそんな状況に直面した時、心が折れてしまうのではないかと。だからこそ、オウカは彼女に言葉を送る。


「何も迷う必要はない。お前の意思を通せ」


 これまで歩んできたことが間違いじゃないことを。あの日、二人で交わした約束の通りにオウカは妹の意思を尊重し、前へ進めるよう道を開いた。あとはトウカが踏み出すだけだ。

 二人で微笑み合い、トウカは立ち上がる。階段の先にはマリーと、その兄であるアザミが待ち受ける玉座の間がある。

 

「ありがとう。オウカも必ず後から来てね」

「もちろんだ。少し休んだらすぐに行くさ」


 トウカが力強く踏み出す。最後の戦いの地へ向かう妹の足音が遠ざかっていくのを満足げにオウカは聞いていた。


「まったく……本当に世話の焼ける二人だ」


 思えば五年前に勝負に負けたとはいえとんでもない約束をしてしまったものだとオウカは心の中で自嘲した。

 魔王の娘を育てる。妹の優しさから始まった困難な日々。それでも二人と過ごした日々は輝いていた。これまで殺伐としていた次期当主としての生き方に彩りが戻ったようだった。


「しかし……子育てと…いう、ものは……本当に大変だ」


 この戦いが終わったら家を預かる者として未来のことも考えていかなくてはならない。自分の将来の伴侶はどんな人物になるのか。政治権力的なものも関わる立場なので自分の希望が通らないことも考えられた。だが――。


「……そうだな。子供は」


 妹を送り出して安心したのか、オウカは自分の体が傾いていくのが分かった。だが支えるだけの力がもう残っていない。


「フッ……一人で…たくさん、だ」


 薄れていく意識の中で、オウカはそう呟いて笑った。


「……オウカ」


 オウカが倒れる音が聞こえても、トウカは後ろを振り返ろうとはしなかった。困難な道を選んだ自分をずっと支え続け、その意思を尊重するという約束を守り続けてくれた姉。彼女の想いに応えるためにはここで振り返ってはいけない。オウカが約束を守るのなら、トウカもまたその意思を貫かなくてはならないのだ。


「絶対に約束、守るから」


 一歩一歩、歩を進めるごとに五年前を思い出す。王国一の姉と瓜二つの自分の姿を隠しながら生きなくてはいけなかったかつての生活があの日、大きく動き出した。

 マリーがいたからオウカとまた笑顔で共にいられる日々が戻ってきた。居場所を失っていた家に戻ることができた。マリーが多くの人を繋ぎ、トウカたちの世界はどんどん広がっていった。

 血の繋がりも、人間も魔族も関係ない。たった一人のかけがえのない存在。だからこそ、必ず取り戻す。そのためだけにトウカは剣を取った。そして多くの人の手助けがあって自分がここにいる。マリーのいる場所に続くこの場所に。


「来たのね、魔王殺し」


 謁見の間ではマリーがトウカの到来を待ちわびていた。いつもトウカに向けていた愛情と信頼に満ちた笑顔は消え、今は悪意に満ちた笑顔に変わっている。決して見たくはなかった魔族としての娘の姿。その変わり様にトウカは心を痛めた。


「カレン姉さんを倒したのは褒めてあげるわ。これで敵討ちの理由がもう一つできたわね」

「違う、私は――」

「さあ、今度は私が相手よ!」


 言葉を交わすことすらかなわない。有無を言わさずマリーは魔力の塊を飛ばしてきた。


「マリー、やめて!」

「いまさら何を! 私の家族を殺しておいて!」

「マリー!」

「気安く私の名を呼ばないで!」


 マリーが自分との繋がりを否定する。容赦なく命を奪う威力の魔法が自分に放たれている。その一つ一つの現実がトウカの心を抉る。


「さあ、どうする魔王殺し。このままではマリーに殺されるぞ」

「あなたは……っ!」


 そんな二人の戦いをアザミは玉座から眺めていた。未熟なマリーが戦っているというのに彼は手を貸そうとする素振りも見せない。マリーはそれが自分一人でトウカを倒せるという信頼だと思っている。


「抵抗すればいい。剣を抜け、刃を向けろ。お前たちにとって目の前にいるのは王国を滅ぼそうとする悪い魔族なのだろう?」

「違う、マリーはそんなことをする子じゃない。そんなことができる子じゃない!」

「だ、そうだ。マリーよ」

「ふざけないで!」


 マリーが叫ぶ。魔族として兄と戦おうと思っている彼女にとって、自分がその力になれないととらえられるトウカの一言は癇に障るものだった。


「あなたが私の何を知っているっていうのよ!」


 手を掲げ、魔力を頭上に集めていく。トウカには、それが先ほどまで見ていたカレンが使っていた魔法をはるかに超える魔力の量だとわかった。


「魔力よ、雨と成れ!」


 空中にあった魔力の球が分裂し、光の雨となってトウカ目掛けて降り注ぐ。それは、かつてキッカに向けて放ったものと同じ魔法だった。


「術式展開――――『加速』!」


 だがトウカはその光弾の嵐の中、わずかな隙間を縫って高速で駆け抜ける。さすがに全てを回避することはできないが、甲冑の防御力に頼り、致命的な一撃だけは避けていく。


「くっ、こいつ!」

「知ってるよ、誰よりも」


 二つの魔術が使えないトウカに魔法の回避と甲冑の強度の強化を同時にはできない。肩当ては吹き飛び、甲冑にひびが入る。


「魔王の娘で、ノアとアキレアの主で、キッカとレンカの妹で、エリカちゃんの友達で……」


 最愛の娘から攻撃され言葉は届かない。それでもトウカは決して折れない。絶対に、また一緒にいられる日々を取り戻せると信じているから。


「泣き虫で、優しくて、努力家で、どんな時でも絶対に諦めない……私とオウカの、自慢の娘だよ!」


 弾幕を抜けるトウカにマリーが驚愕する。いかに未熟とはいえ、自分が親から受け継いだ魔力は世界最高クラス。魔力量が圧倒的に少ない人間相手ならば力任せの範囲攻撃でごり押しすればあっさりと片が付くくらいに戦力差がある。マリーはそんな認識だった。

 だがその人間が。しかも魔術が不得手のトウカが魔法を恐れずに突撃してくる光景はあまりにも不気味な姿に見えた。


「私があなたの娘? 馬鹿な事を言わないで」

「本当のことよ。あなたは私の娘。マリー=フロスファミリア」

「嘘よ!」


 なおも接近するトウカにマリーが再び魔力を集め、両手を左右から振り上げる。魔力が空気に作用し、気流を変化させて刃に変える。


「嘘じゃない!」


 しかしトウカは風の刃もかいくぐった。わずかに切れた髪の毛が宙に舞う。床を抉り、柱を砕く力もトウカを止める理由にはならない。


「五年間、ずっと一緒にあなたといた。一緒に笑って、一緒に泣いて。マリーが忘れても私は全部覚えてる!」

「黙って、そんな作り話聞きたくない!」


 見下すべき対象である人間が自分を育てたという。受け入れがたい言葉。だがまっすぐに言葉をぶつけてくるトウカの言葉に嘘や偽りがあるようにも感じられなかった。


「みんな、マリーが帰ってくるのを待ってる。だから、必ず思い出させてあげる!」

「近寄らないで!」


 剣も抜かず、ただ攻撃を避けながら接近してくるトウカ。殺気もなく、あまりにも戦いとかけ離れた光景にマリーも戸惑っていた。


「……何を狙っている」


 静観しているアザミはそう口にしていた。

 トウカはマリーが記憶を魔法で消されているのをわかっている。それでもトウカは記憶を取り戻そうと呼びかけながらマリーに接触しようと試みている。

 いったい何が目的なのか。自分が生き残るために記憶がない愛娘をやむを得ず斬るのか。相手が最愛の育ての母と知らず惨殺するのか。それとも別の選択があるのか。二人の至る結末を見逃すまいとアザミは視線を注いだ。

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