第39話 沈黙の凱歌
アコが放った魔法はキッカに直撃していなかった。間一髪で間に入ったものがそれを防いでいたのだ。
「な……!」
彼女の前に高速で飛び込み、魔力の壁を作り出してキッカを守っていたのはノアだった。彼にとって特に執着の対象でもない自分を守った事実にキッカは驚きを隠せなかった。
「なんで……」
「あなたはマリー様にとって姉のような方……ここで失う訳にいかないだけです!」
魔力を開放したアコの魔法の勢いに次第に押されていく。それでもノアはその場から離れるそぶりも見せない。
「まったく……マリー様にも困ったものです。本当ならトウカさんの家でひっそりと暮らして行ければそれでよかったというのに」
五年前。トウカにマリーを託した時にはそれで十分だと思っていた。戦いとは無縁の場所で、静かに健やかに生きてくれればそれでよかった。
「次から次へと人と関わられ、守らなければならない人間が何人いることか!」
新しい母が二人もできた。姉が二人できた。親友ができた。彼女が魔族だと知っても優しく見守ってくれる人ができた。
たくさんの人がマリーを大切にしてくれた。個人主義の魔族の世界では決して触れることのなかった人々の絆と愛情。
「ですが、そのいずれかが欠けてもマリー様が悲しまれる! 私にそれらを見捨てる選択は存在しないのです!」
「こ……の!」
思いもよらないノアの抵抗にアコが歯噛みした。力の差は歴然としている。しかしそれでもあと一押しがアコにはできないでいた。
「キッカちゃん!」
「大丈夫ですか!」
その間に駆け付けたフジとエリカが、キッカに圧し掛かっていた瓦礫をどけた。吹き飛ばされた際に負ったダメージはまだ残っている。それでも立ち上がる。
「うう~~~~~っ! しつこいのよあんた達!」
「ぐっ……!?」
更なる力の奔流がノアを押し返す。今力尽きれば後ろのフジもエリカも巻き添えにしてしまうため、必死に歯を食いしばって耐えていた。
「ノア!」
「私が食い止めている間に、先程の技を早く!」
「させるかああああ!」
だがノアを追い抜いた直後、彼の防御が限界を迎えた。それでも後ろのフジとエリカを守り、彼は魔法をその身で全て受け止め倒れて行った。
「しまった――」
「ざ・ん・ね・ん・で・し・た」
アコが大きく息を吸い込んだ。それが高速で動く自分をとらえるためのものだとキッカもすぐに理解する。音による範囲攻撃。レンカのハープの音が止まっている今だからこそできると判断したのだ。
「――ぐ、また!?」
だが言葉を紡ごうとした途端、音のずれた旋律がアコの歌を阻害した。発しようとした音程が乱れ、魔法の構築を失敗させる。アコが音の方向に目を向けるとレンカが必死にハープの弦に指を滑らせていた。
「させません!」
「レンカ!」
「うそ、なんで生きてるの!?」
「俺がやったんだよ!」
レンカに気を取られたその瞬間、アコの頭上に影が落ちた。身の危険を感じたアコはすぐに横へ跳とその直後に鋭い爪が振り下ろされた。
「アキレア!?」
「間に合ったな。この間の借りを返させてもらうぜ!」
一撃目を回避されたアキレアは着地と同時に強く踏み込む。今度は下からアコの首元目掛けて手刀が飛んでいく。
「
「――――っ!」
だがアコはアキレアの腕が届く前にあらん限りの声を張り上げる。それは歌というにはあまりに遠い、音程も強弱も無視した悲鳴に近い声。しかし眼前のアキレアに乱暴に魔力を叩きつけることだけはできる。
「がはっ……」
血を吐いてアキレアが崩れ落ちていく姿にアコはほくそ笑む。だがアキレアもまた、口元を釣り上げていた。
「行け、嬢ちゃん!」
「でやああああ!」
ダガーを構え、アキレアの陰からキッカが突如現れた。その大きな体でアコの視界を遮っていたのだ。
回避は無理だった。アキレアの攻撃で体勢が崩れている。
迎撃なら、魔法なら間に合う。力を開放している今ならば魔力を放つだけでかなりの威力が出る。
アコの頭の中でとっさにとるべき行動の指針が決まる。魔力を手に集め、トリガーとなる一声を発する。それだけだった。
「――は」
だが声が出なかった。今まさに、腹の底から息を吐ききったばかりだったからだった。
「
「――っ!?」
速度と体重を乗せたキッカのダガーが胸元に突き刺さった。アコの喉から声にならない音が漏れる。
「……こふっ」
声が出ない。ダガーの切っ先は肺にまで達しており、息をいくら吸っても呼吸ができなかった。喉の奥からは声の代わりに真っ赤な血が口の中いっぱいに広がっていく。
「う……そ……やだ……死に…たく……」
異変を察知したキッカたちはすぐにアコから距離をとる。よろよろと歩いていたアコの足が止まり、その場にうずくまった。
「あ……あ…あ」
体の中で起きている抗えない魔力の暴走。制御しきれなくなった力が体の中から肉体を破壊していく。断末魔を上げることもできず、アコの肉体は静かに消滅していった。
「勝っ……た……の?」
キッカがへたり込み、呟いた。脅威が去った後だと言うのにまだ手の震えが止まらない。いくつもの偶然と強力な助太刀があったとはいえ、魔王の眷属を自分が倒したのだというありえない事実を認識するのに頭がまだ追い付いていなかった。
「ええ、あれは間違いなく魔力の暴走による自己崩壊。マリー様の暴走を見たことのあるあなたならわかるでしょう」
はるか後方でノアがそう答えた。彼も傷を負っているが命に別状はないようだ。
「よくやったな、嬢ちゃん」
アキレアがポンポンとキッカの肩を叩いて労った。ようやく実感の湧いてきたキッカの手から、痛いほどに握りしめていたダガーがカランと地面に落ちた。
「……キッカ」
レンカにはキッカの心中が痛いほどわかった。自分の実力に見合わない相手との死闘で感じた恐怖。打ち倒した達成感。その相手がマリーの実の姉であり、魔力の暴走で消えゆくその表情にマリーを重ねてしまったこと。
喜ぶべきなのか、心を痛めるべきなのか。多くの正負の感情が入り混じった判然としない気持ちなのだ。
「まずは、ここから離れましょう。フジ先生とエリカちゃんを避難させないと」
「……そうね」
だからレンカは新たな意識を与えることでキッカの気持ちを切り替えさせることにした。まだ魔物が残る街の中に非戦闘員をいつまでも置いておくわけにいかない。
「アキレア、彼女たちについて行ってあげてください。私は一足先に城へと向かいます」
「待ってくれノア。僕も連れて行ってくれないか?」
「フジ先生!?」
「何を!?」
不意に、フジから告げられた言葉に皆が驚く。医師の立場で自ら危険地帯に飛び込もうと言うなど彼らしくない発言だ。
「アキレアがここにいると言うことは、僕の妻も生きているんだろう?」
「はい。恐らく城へ向かったはずです」
「なら尚更僕はいかなくちゃいけない。みんなも戦いで傷ついているだろうし、治療役は一人でも多い方がいい」
「……あなたを守っている余裕は無いかもしれませんよ?」
「だったら、私が護衛するわ」
続いて発言したのはキッカだった。オウカたちのことも、マリーたちのことも気にかかる。だがオウカから命じられたのは医療スタッフや民間人の手伝いと護衛。それに背いてまで城に駆け付けることははばかられた。
「そうですね。フジ先生は民間人。それを守るのはオウカ様のご命令に従うことになりますから」
レンカも賛同する。もちろんこれは屁理屈に近い。後でオウカから叱責を受けるのは間違いないだろう。だが彼女らもオウカたちやマリーのことが気がかりだった。たとえ戦いで役に立てなくてもできることはある。
「みなさん……」
「エリカちゃん、必ずマリーは連れて帰るから」
「安心して待っていてください」
しかしエリカだけは違う。専門的な技術も、戦う力も持たない。歯がゆさをこらえ、エリカは毅然とした眼差しで自分の立場を受け入れる。
「……みなさんも、ご無事で」
「アキレア、彼女はマリー様にとって最も大事な一人。くれぐれもよろしくお願いします」
「任せときな。必ず安全な場所まで送ってやるよ」
エリカを伴い、アキレアは背を向ける。キッカたちもまた、城へと歩き出した。
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