第36話 流転する逆転

 その日は、トウカの七年ぶりの帰宅に屋敷は朝から活気づいていた。本家に来てから初めて見る屋敷全体が明るくなったような賑わいにキッカも戸惑いを見せていた。

 才能に乏しく、親族の多くから疎まれ、姉妹の当主争いから逃げ出して本家を長く離れていたフロスファミリア本家の次女が魔王討伐に大きく貢献し、その功績を手に本家を訪れる――トウカ派であったロータス家はこの上ない事態に沸き立った。行儀見習いとして本家に滞在していたレンカにも実家から何としてもトウカに近づき、当主争いにもう一度乗り出してもらえるよう働きかけるよう命令が届いていた。

 どんな人物なのか。粗相があってはならない。高まる緊張を落ち着けるためにレンカは趣味のハープを奏でることにした。


「あら、可愛いお客様ね」


 その出会いは唐突だった。誰もいない談話室でハープを奏でていると、見たことのない少女が音に誘われて部屋に入って来たのだ。

 自分と同じ銀色の髪と屈託のない笑顔。初めて見るかずらの形状変化に好奇心いっぱいの目で見つめて来る姿にレンカはいつしか緊張を忘れて微笑んでいた。


「それで、貴女はどこから来たのかしら?」


 それが、トウカの引き取った魔族の、魔王の娘マリーとの出会いだった。一族の中でも弱い立場のロータス家の少女にとって、閉塞感で息が詰まりそうだったフロスファミリア家がその日から心休まる、明るい世界に全てが変わった。

 大人の思惑も、姉妹のいがみ合いも、家同士の対立も乗り越え、多くの人を笑顔にしたマリー。彼女に出会わなければ弱い体を克服しようと願い、キッカと並び立ち、オウカに仕える未来など存在しなかったに違いないだろう。


 ――そんなことを思い出したのは偶然だろうか。全ての始まり。彼女と自分を繋いだものが今その手にある。思いを込めて、レンカはかずらで作り出したハープの弦を弾いた。


「……っ!?」


 アコがその音に過剰とも言える反応を示した。歌を口ずさみ、ノアを討つべく目の前に集めた魔力が唐突に霧散して消滅する。


「今のは!」


 余裕たっぷりにノアをあしらっていたアコが初めて動揺を見せた。地上に眼を向け、すぐにレンカの姿をとらえると、その手にあるハープに顔色が変わる。その反応を見てレンカは自分の予想が的中していたことを確信する。


「何でこんな所に楽器があるのよ!?」

「術式展開――――『加速』!」


 アコが怒りに任せてレンカ目掛けて魔法を放った。これまでの無邪気に笑いながら魔法を扱っていた姿からは想像もつかない乱雑なやり方だ。

 レンカもすぐさま「加速」を発動して回避に入る。容易にはとらえられないその速度にアコは今一度己の魔法を試みる。


「逃げるネズミを追い回せ――」

「――っ!」


 レンカがハープの弦をかき鳴らす。それはアコが口にした旋律からやや外れた音。テンポもずらしたものだ。それだけでアコは苦い顔で歌を止める。


「この――っ!」

「もうあなたには歌わせません!」


 再びレンカは走る。アコの魔法は歌とその歌詞によって術式を織り込む。故に複雑な動き、精密な動きも付加して応用の利く魔法を生み出すが、あくまでそれは歌を歌いきることが前提だ。

 ならばその歌を妨害する。無茶苦茶な伴奏でリズムを崩す。音を外させる。精密な魔法だからこそ多少の歪みが魔法そのものを台無しにするのだから。


「だったら何よ! あんたを殺せばまた歌えるんだから!」

「させません!」


 ノアが放った氷塊をアコは魔力弾を放って破壊する。魔力の総量や破壊力は上回っていてもその汎用性は持てる力を突き詰め続けて来たノアの方に分がある。


「魔力よ、気流と成れ!」

「きゃっ!?」


 ノアが生み出した気流がアコをあおる。同時にいくつもの魔法を精密に操作することが困難となっているアコは気流に巻き込まれ、空中での姿勢を崩され、たまらずアコは地上へ墜落するように着陸した。


「今だ!」


 そして、その着陸の瞬間をキッカは待ち構えていた。残された短刀を握りしめ、頭の中で組み立てた術式を今こそ解き放つ。


「術式展開――――」


 従騎士の彼女はまだ複合術式の手ほどきを受けていない。だからそれを使うのは初めてのことだ。二つの術式にバランスよく魔力を振り分け、そのどちらも成立させながら各所で力を発現させる。その力の調整を強いられるが故に負担は単純に魔術二回分というわけではない。


「うぐっ……!」


 気を抜けばどちらかの、あるいは両方の魔術が解けてしまう。練習の経験もない実力に見合わない術の行使。だがキッカは歯を食いしばって必死に術を繋ぎとめる。


「術式展開――――『加速』『強化』!」


 それらを乗り越え、複合魔術を扱える手練れは騎士団でも数えるほどしかいない。事実、トウカですら元々の魔力量に加え、その二つの魔術の均衡を維持する魔力制御ができないために複合術式が使えないのだ。


「ああああっ!」


 あまりにも無謀な賭け。しかしこの戦いの決め手になるとすれば無謀でもこれしかない。レンカが作ったわずかな勝機をつかむため、キッカはその一歩を踏み出した。


「消えた!?」

瞬華終刀しゅんかしゅうとう鮮花せんか!」


 その速度は目にも止まらない。着地直後ですぐに動けないアコまでの距離をキッカは一気に駆け抜け、手にした短剣を振り抜く。高速の勢いのまま刃が肉を裂き、噴き出す血が鮮やかに紅の花が咲かせる――ただし、その刃が届けば。


「ふふ……あはは、びっくりした」

「くっ、外した!」


 完全に隙をつかれる形となったがその身には何事も起きていない。アコは肩を震わせる。

 千載一遇の好機を生かせなかったキッカは苦い表情でアコをにらむ。身の丈に合わない複合術式を用いての攻撃はまだ早かったのか。だがそう思った瞬間、アコが違和感に足を止め、頬に手をやった。


「え……?」


 頬に伝うそれは、ほんの一滴の血の雫だった。完全に空を切っていたと思われていたキッカの技はわずかながらアコの皮膚に触れていたのだ。


「当たってた……?」


 強大な魔族に初めて一矢報いた事実は、キッカにとってわずかな達成感と自信を抱かせた。しかし、それとは裏腹にアコはわなわなと身を震わせ始める。


「人間が……私に…傷を?」


 彼女にとって人間は圧倒的実力で捻り潰すだけの虫けらにも等しい相手だ。そんな人間に初めて負わされた傷。かすり傷程度の者であっても彼女の自尊心を傷つけるのには十分であった。


「よくも……よくも…よくもよくもよくもよくもよくも!!」


 その怒りが引き金となり、感情が爆発する。歌は封じられ、初めて人間に手傷を負わされる。そんな事実はあってはならない。怒りのままに解き放たれた魔力が爆発的に放たれ、空気が震える。


「なっ!?」

「これは!?」


 キッカもレンカもすぐにその異変に気が付いた。忘れようにも忘れられない。五年前に目の当たりにしたマリーの魔力の暴走の光景。それ故に二人は一瞬の動揺が生じた。


「わああああーっ!!」

「ぐっ……!?」

「きゃあっ!」


 魔力の開放の余波で吹き荒れる暴風が二人を吹き飛ばす。レンカは道を跳ね、キッカは崩れた建物の瓦礫に突っ込む。


「もう手加減しない。お前たち全員、燃えカスも残してやらないんだから!!」

「う……まずい」


 バチバチと周囲に紫電を走らせながら、憎しみの形相でアコはキッカをにらむ。

 マリーが意識を失い、魔力が暴走していた姿を見ていたキッカたちは、アコたちの魔力の開放の力を知らなくても今の状態が普通ではないことがわかる。すぐにでも距離を取らなければならない。しかし瓦礫が重くのしかかり、キッカは身動きが取れない。


「キッカ――うっ!?」


 膝に走る激痛にレンカがうずくまる。彼女も吹き飛ばされて地面に叩きつけられた時に膝に傷を負っていた。


「死んじゃえ!」


 動けない二人へアコが左右の手を向ける。放れた光弾が大爆発を起こした。

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