第35話 最後の切り札

「ああ、鬱陶しい!」


 いつまでも尽きないシオンたちの猛攻を振り払うように、ナイトは叫びをあげた。絶対に敵わない存在がいても、力の差が明らかであっても、自分たちに力が足りないことを理解しているのに彼らは諦めるどころか士気を上げる。そんな理解の範疇を超えた三人の気勢にナイトは恐怖を覚えた。


「いい加減にしろ!」

「術式展開――――『強化』『硬化』!」


 ナイトが不用意に繰り出した蹴りをカルーナが真正面から受け止める。二つの魔術を用いて槍と肉体の力を底上げし、攻撃にタイミングを合わせていた。


「なにっ!?」

「焦りで攻撃が雑になってるぜ!」


 カルーナは前線の王国騎士団の中では最も古参だ。誰よりも戦場を多く経験した。その中で培った経験と技術は若手が多い騎士たちの誰もが一目置いている。戦いが長引くほどにナイトの戦いの癖を見抜き、経験と技術で補って力の差を埋めていく。


「苦戦なんざしたことなかったんだろ。あいにくこっちは経験豊富なんでね!」

「ちいっ!」


 槍を傾け、ナイトの重心をずらす。薙ぎ払ったカルーナの槍をナイトは不安定な体勢ながらそれを受け止めた。だがそのすぐ横にはカルーナの作ってくれた隙にシオンが飛び込んでいた。カルーナに魔法攻撃をしている時間はない。苦々しく吐き捨てながら距離を取ってシオンの剣を回避する。しかしシオンがまとった炎が第二の刃となってナイトへ向かう。


「くっ!」

「食らいなさい!」


 破壊力は低くても炎に巻かれて身を焼かれる痛みはナイトの動きを止めるのに十分だった。そしてその隙をついてドラセナが矢を放つ。


「お前のだけは食らってたまるか!」


 手をかざし、カルーナに放とうと手に集約していた魔力をナイトは炸裂させた。正面からぶつけられた魔力の威力でドラセナの矢は跡形もなく粉砕される。しかしナイトが魔法で矢を破壊した姿を見たシオンは叫ぶ。


「まだだ。二人とも手を緩めるな!」

「おうよ!」

「任せなさい!」


 これまでなら強化された身体能力で難なく矢を回避したはずだ。それが防御に、受けに回った。つまり回避する余裕が無かった。そこに彼らはわずかな勝機を見出していた。

 片腕が満足に使えなくても、全身を殴打されても、矢の数が残り少なくても、それが諦める理由にはならない。


「こいつら、これだけやられたっていうのに……!」

「こいつが、お前さんの嫌った努力とやらの結果だよ!」


 何万回と武器を振るい、死闘を潜り抜けて培った感覚は体に染みつき、疲労に満ちていてもその体を動かす。|近距離〈つるぎ〉が、|中距離〈やり〉が、|遠距離〈ゆみや〉が、高い精度を以てナイトを脅かす。対してナイトの動きは徐々に精彩を欠き始めている。


「がふっ!?」


 シオンの攻撃を避けた瞬間にカルーナが槍の柄を叩き込んだ。敵の攻撃を受けたことなどほとんどなかったナイトの表情が痛みで苦悶に歪む。


「こ…の……!」

「うおおおお!」


 思わずナイトが槍をつかんだ瞬間、カルーナは逆に手を離す。意表を突かれ、右手が塞がれたナイトに右側から組み付き、後ろに回って羽交い絞めにする。


「捕まえたぜ、坊主!」

「ぐっ……放せ!」


 ナイトが振りほどこうともがく。しかしカルーナは体格差を利用して圧をかけ、さらに魔術を使いその身を強化して必死に拘束を続けながらシオンへと叫んだ。


「やれ、シオン!」

「カルーナ!」

「俺に構うな、今しかねえ!」

「くっ……術式展開――――『圧縮』!」


 シオンが体にまとった炎を右の剣に集約する。カルーナが身を挺して繋いだ千載一遇のチャンス。国を守る騎士の長としてシオンにこれを逃すことはできない。

 猛る火が、強く輝く星となる。力の限りその剣を振り上げてシオンは技を放つ。


「|天昴烈火〈てんこうれっか〉!!」

「がああああ!」


 その瞬間、ナイトが咆哮する。体内から膨れ上がる魔力が彼の体を駆け巡り、瞬間的に彼の肉体を変異させる。噴き出す魔力が光となり、ナイトの体から羽となってその身を覆う。その姿はまるで光り輝く鳥だ。


「なんだと!?」

「褒めてやる人間。僕に切り札まで使わせたことを!」


 溢れ出る魔力の奔流が背後のカルーナを軽々と吹き飛ばす。そして右手に力を集め、迫り来る火球目掛けて突撃する。


「あははは、残念だったね!」


 腕を振るい、圧縮された莫大な魔力で火球をかき消す。そしてそのままナイトは全身から魔力を噴出しながら高速でシオンをはね飛ばす。


「ぐはっ!!」

「とどめだ!」

「シオン!」


 ドラセナが矢筒から矢を引き抜いたのを視界にとらえ、シオン目掛けて急降下しようとしていたナイトが方向を変える。


「そんなに死にたいならお前から殺してやるよ!」


 ドラセナが発射した矢を回避し、彼女目掛けて光の鳥が飛んでいく。続く矢をつがえようとした彼女だが縦横無尽に動きながら迫るナイトに照準を合わせることができない。


「逃げろ、ドラセナ!」

「嬢ちゃん!」

「間に合うものか!」


 翼を広げ、ナイトがさらに加速する。矢を構えたドラセナの反応をはるかに上回り、その後ろへと回り込む。


「――っ!?」

「終わりだ!」


 魔力を帯びた翼は刃物のように煌めき、光の軌跡を描いて一閃する。グシャリと砕ける音を響かせ、空中に破片が舞う。


「何……!?」


 しかし砕けたのはドラセナではなかった。振り向いた彼女はすかさず弓から手を離し、倒れ込みながら攻撃を間一髪でかわしていた。光の翼で砕かれたのはナイト目掛けて投げつけるように手放したドラセナの弓だ。


「無駄な抵抗を!」


 生命線とも言える弓を手放してまで命を数瞬伸ばしただけだ。そう誰もが思い、ナイトがとどめを刺すために前に踏み込んだその時だった。


「――かかったわね」


 ドラセナが不敵に笑った。ナイトも異様さに気付く。ドラセナにはもう攻撃の手段は残っていない。矢があってもそれを放つ術がない。にもかかわらずドラセナは倒れ込む最中であってもそれを手放さないままでいる。

 獲物を射程にとらえた猛禽類のように鋭い眼がナイトをにらむ。矢羽を持ち、矢じりを伸ばした左手の上に乗せ、あたかもそこに弓があるかのように構える。


「まさか……!?」

「切り札持ってるのは……あんただけじゃないのよ!」


 戦いは常に何が起きるかわからない。安全な場所から矢を討ち続けることができないこともある。弓が戦いの中で失われてしまう可能性もある――そんな事態を弓で身を立てて来たドラセナのゴッドセフィア家が想定していないはずがあろうか。


「術式展開――――『天翔』」


 ゴッドセフィア家の秘伝たる魔術が発動する。矢に注がれた魔力が噴き出し、その周囲に猛烈な気流を生み出す。風は矢を包み込み、爆発的な推進力で前へと押し出す。


「いっけええええ!」


 矢を放つと同時にドラセナが床に顔から落ちる。追撃をかけようと前に踏み出していたナイトは体勢を変えることができない。

 渾身の一撃が遂にナイトの右肩をとらえる。その矢羽の色は毒矢を意味する赤。ナイトがたたらを踏んでいる間にその毒が体へと回っていく。


「がっ……!?」


 ナイトがまとう光の羽が散り、元の姿に戻っていく。毒の苦しみで魔力の集中を阻害されたために光の鳥の姿を維持できなくなっていた。


「ま……まだ、間に合う…!」


 体に回る毒を抑えるべく、すぐにナイトは魔法で解毒を始める。ドラセナは視界がかすみ、体に力が入らず動けないでいた。魔力だけで矢を放つには相当な魔力を食うため、先の一撃が正真正銘最後の一撃だったのだ。それが決め手にならなかったのはあまりにも痛かった。


「……あと、よろしく」


 だがドラセナは満足そうに笑った。戦っているのは自分だけじゃない。ナイトが完全に動きを止めたこの最大の好機をあの二人が逃すはずがない。そう確信していたから。


「……がはっ!?」


 突然腹部に襲った激痛にナイトが血を吐く。毒矢を受けた右側。そのわき腹にカルーナの槍が深々と突き刺さっていた。


「ま……まずい」


 激痛と毒。二つの要素がナイトの命を危機に追い込む。いかに力のある彼でも同時に二つの魔法を使うことはできない。あと誰か一人、別の仲間の手が必要だった。


「二人とも、よくやってくれた」


 アコか、カレンか、アザミか。誰かの下へと逃げようと踏み出したナイトだったが、その前に立ちはだかる影があった。激痛を堪えて両手に剣を持ち、シオンがそこに立っていた。


「そこをどけええええ!」

「二人が作ってくれたこの勝機、無駄にはしない!」


 シオンが魔力を励起させる。今ナイトを逃せば次はない。だからこそ彼も今この瞬間、どれだけ劣勢でも秘匿し続けていた秘伝の魔術を解禁する。


「術式展開――――『点火・・』!!」


 最大限に高めた魔力が剣に伝わる。その性質に作用した術式が魔力を変異させ、火種のなかったシオンの剣が爆発的に燃えあがり、瞬時に炎をまとった。


「何だと!?」

「術式展開――――『圧縮』!」


 シオンが駆けた。炎を集中させた両手の剣を持ち、翼を広げた鳥のようにナイトに迫る。


「――噛み砕け!」

「ひっ……!」


 そして力を解き放つ。


緋炎双牙ひえんそうが!!」


 二つの剣が左右から放たれ、二つの刃が牙となる。解き放たれた力は猛り狂う炎の嵐となってナイトを呑み込んだ。

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