第34話 切り開く光

「記憶を……」

「消した……だと」


 カレンの発した言葉に二人は二の句が継げないでいた。それが彼女の嘘である可能性もあった。しかしカレンがマリーの暴走において身を挺して止めようとした姿など、マリーへの執着の強さを目の当たりにしている二人には、その真剣なまなざしが嘘をついているようには見えなかった。


「ええ。もうあの子に人間と共に暮らした記憶は残ってない。アザミの魔法で全て抹消されているわ」

「まさか……そんなことが」

「あの子はもうあなたたちの知っているマリーじゃないわ。会えば魔族としてあなたたちを殺そうとするでしょうね」


 救い出そうとしていた娘が最早自分たちの知る存在ではない。その言葉は自らの戦う理由そのものを根底から覆すものだからだ。


「耐えられるかしら? 愛した存在に他人に思われることに。いいえ、それどころか虫けら同然に扱ってあの子は襲い掛かって来るでしょうね」


 トウカが手を強く握りしめていた。その光景を最も見たくないのは彼女に違いない。アコやナイトたちと同じように、狂喜して人をなぶり殺そうとするマリーの姿を。その様子を見たカレンは続ける。


「もう一度言うわ。あの子のことは諦めなさい。前にも言ったけど、ここまであの子を守ってくれたことは感謝しているの。だからこれはせめてもの慈悲よ」

「私たちをここへ転移させたのもそれが狙いか」


 カレンが無言でうなずく。魔王殺しと呼ばれている二人を組ませることは本来ならば魔族側にとって得策ではない。転移の際に姉妹を分断することもできた。しかしカレンはあえて二人を自分で引き受けることを決めた。魔力を解放してオウカを圧倒したのも、実力差を見せつけてこれ以上の戦いが危険であることを知らしめるためだ。可能ならば戦いから二人を退かせるために。


「もし、ここで退くのなら今すぐ安全な場所へ転移してあげる。兄たちにも決して追わせないと約束をするわ」

「……ふん。言いたいことはそれで全部か?」


 オウカがカレンの言葉を鼻で笑う。髪をかき上げ、不敵に笑って申し出を撥ねつける意思を見せた。


「逃げてどうなると言うのだ。同志を見捨て、国を滅ぼした者がどうやって生きて行けと? 人の世界はお前たちが思うほど単純ではない」


 手負いの身とは思えないほどその姿は堂々としていた。圧倒的な実力差を示したにもかかわらず、臆する様子は微塵も見受けられない。


「マリーを引き取ると決めた時から魔族との戦いは避けて通れないと覚悟していた。相手がいかに強大であっても引く理由にはならん。『魔王殺し』と世に知られているなら尚更だ」

「……理解できないわ。名誉がそんなに大事だとでも言うの」

「違うな。名誉も、命も、愛する者も、私はこの身が背負う何もかもをも守ってみせる。それが一族を背負うと言うことだ」

「愛する者? マリーは記憶を失っているのよ。一度は親子と認めた家族と傷つけあう気?」

「フッ、魔族が家族を語るか……いいか、よく覚えておけ」


 オウカは剣を構えて走り出す。フロスファミリア家当主として、姉として、母として、譲れない想いを乗せて。


「例え傷つけあったとしてもそれすら乗り越える。それが家族の絆と言うものだ!」

「それならもう遠慮はしないわ……今度こそ殺してあげる!」

「術式展開――――『加速』!」

「またその技? いい加減通じないと……」

「術式展開――――『強化』!」

「なっ!?」


 術式を発動したオウカの姿がカレンの視界から消え失せる。それはカレンが先ほどオウカに見せたのと同じ動き。


瞬華終刀しゅんかしゅうとう鮮花せんか!」

「くっ!」


 危険を察知したカレンがすぐさま動き出す。その場を離れた直後に白刃が煌めき薙ぐ。並の魔族ならば首を飛ばされていたタイミングだった。


「逃がさん!」

「この速度……まさか人間がここまで!」


 反転したオウカがすぐにカレンを追う。持てる魔力を惜しみなく注ぎ込み、彼女は最大速度の『加速』を使って迫っていく。


「離れなさい!」


 乱射される魔力弾。ほとんど瞬間移動に近い、自身を超えるあまりの速度にカレンは狙いをつけられずに魔法を乱射するしかできない。


「食らうか!」


 だがそのいずれもかいくぐり、オウカは突き進む。着弾して床が吹き飛び、つぶてが襲い掛かるがそれすらも届く前に走り抜ける。


「ちっ……面倒ね!」


 魔力を手に集中し、カレンが手元に棘の蔓を模した鞭を顕現させる。眼前へと迫るオウカを真正面から迎え撃つ気だ。


「術式解除!」


 高密度の魔力の塊であるそれを見たオウカはすぐさま『強化』の方を解除する。武器の魔力耐性を高めなければただの一合で剣が折れてしまうと判断し、続けざまに魔術を発動する。


「術式展開――――『付与』!」


 速度はそのままに、オウカが剣を振るう。その軌道に合わせて棘の鞭を張り、カレンは斬撃を受け止める。


「くうっ……!」

「ぐっ……!」


 打ち合った衝撃で二人は共に表情を歪ませる。『強化』を解除したことで最高速度の『加速』で動いた反動が一気にオウカに跳ね返ってくる。


「このっ……!」

「おおおおっ!」


 それでもカレンが魔法を放とうとした気配を察知し、オウカがすぐに離脱する。急加速、急停止、急旋回を繰り返すことで通常の数倍の負荷が襲い、全身が悲鳴を上げるがオウカは歯を食いしばって耐える。


「家族の絆ですって? 記憶を無くしたあの子にそんなものがあると思うのかしら!」

「失ったなら取り戻すまでだ! 手を尽くさずに諦めたりはしない!」

「こ……の、諦めの悪い!」


 カレンが棘の鞭に魔力を注ぐとその長さが増した。溢れ出るほどの莫大な魔力を受けて猛烈な勢いで伸びるそれは遠巻きにオウカを取り囲むようにして円を描いていく。


「こいつは!」

「いけない、オウカ!」

「これなら逃がさないわ!」


 棘の鞭が光を放ち、光の輪となってオウカを取り囲む。その中に佇む者を縛り上げるために、そしてその棘を突き刺すために輪が閉じていく。


「“棘の束縛ジェイル・オブ・ソーン”」


 いかに縦横無尽に回避できるオウカでも、行き場が無くなれば回避しようがない。術式を切り替える間もなく、その体に魔力の蔓が絡みついていく。


「ぐ……あっ!」


 とっさに腕を入れて首が締まるのは避けたが全身を締め付ける力はどんどん強くなり、体の骨がきしむ。


「オウカ!」

「手を出すなと言ったはずだ!」


 トウカはその怒声に剣にかけようとしていた手が止まる。苦悶に歪むオウカだがまだ眼は諦めてはいない。


「こいつは私が絶対に倒す……お前を消耗させるわけにはいかん!」

「オウカ……」

「理解できないわ……どうして諦めないの。あとは私がちょっと魔力を操作するだけで全てが終わるのよ」


 窮地でありながら抗い続けるオウカにカレンは半ば恐怖にも似た不気味さを感じ取っていた。彼女を支えるその根幹にあるものが何なのか、そう考えているとオウカはポツリと呟いた。


「……大切な日になるはずだったんだ」

「何ですって?」

「あの日はマリーの誕生日だったんだ……これまでの五年間を、全てを打ち明けようとしていたんだ。もしかしたらあの子に恨まれたかもしれない……それでも最後は分かり合えると、本当の家族になれると信じていた。だが貴様らは!」


 オウカが睨みつける。それはかつてトウカに向けられた殺意をはるかに超える憤怒の感情だった。


「そんな大切な日を貴様らは踏み躙った! 娘を奪い、妹を傷つけ、二人を悲しませたお前たちを断じて私は許さない! たとえこの身が八つ裂きにされようと、貴様らには決して屈する気はない!」

「そう……それなら望み通り八つ裂きにしてあげるわ!」


 カレンが魔力を注ぎ込む。オウカを捕らえる力が増々強くなり、その肉体を四散させるべく内へと向かう。


「ぐう……っ!」

「オウカ!」

「術……式、展……開!」

「いまさら魔術など! これで終わりよ!」

「はああああっ!!」


 カレンの手が閉じた。魔法の最後の瞬間を飾るように中央で爆発が起きる。爆発の中にオウカの姿が消え、その手ごたえにカレンは薄く笑いを漏らした。


「……違う」


 だが彼女はすぐに違和感に気づいた。それは想定していた威力よりも遥かに劣っていたのだ。オウカの肉体はおろか、身にまとう甲冑すら破片が飛散していない。ならば何が爆発したと言うのか。


「貴様らは言ったな……私たちの魔術は貴様ら魔法の紛い物だと」

「馬鹿な……っ!」


 拘束していた蔓が断ち切られ、オウカの足元に落ちて霧散していく。それは魔法が術式ごと消されたことを意味していた。

 下級の魔族ならばあり得ただろう。だが魔王の血を引く者が、全力で放った魔法が人間の力で潰されることなど聞いたことがなかった。


「ならば見せてやろう。貴様らが侮った、先人が、一族が鍛え培い、伝えてきた想いと技術の結集たる力を!」


 光の剣――それを見たカレンはそんな言葉を思う。

 オウカがその手に握る剣を包み込むように、ほとばしる魔力が刃の様に噴き出していた。

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