第37話 魔を断つ刃

 カレンは思わず出そうになった驚愕の声を噛み潰した。

オウカの剣を覆う光は紛れもなく魔力によるもの。これまで彼女らが用いていた「付与」とは違う、もっと強力な代物であることは彼女の先の行動で明らかだ。


「魔力の切断。まさか……」

「――集束。それがこの術式の名だ」


 単に剣に魔力を帯びさせるのではなく、集めた魔力を束ね、剣を通じて噴出させて刃の如く用いる。炎の如く噴出する高密度の魔力はその力で接触した術式を消し飛ばす。その光景はまるで魔法を切断しているかのように見える。

 しかし、理論としては単純でも実行するのは並大抵のことではない。他の術式を消し飛ばすほどの魔力の量とそれを操る技術。そしてその中でも乱さない完成度の高い剣の腕が求められる。

少しでもコントロールを乱せば大量の魔力を一気に失い、即座に戦闘不能になりかねない危険性すらある。だからこそこの術式はフロスファミリア家の中でも限られた者にしか使えない秘伝の魔術だった。


「認識を改める必要がありそうね……まさか人間がその域まで達しているなんてね」


 そしてその術式の危険度をカレンはすぐに理解する。その力はまさに己の兄が得意としている型によく似ていたからだ。


「魔力を高密度に束ねて威力を高める……その在り方は私たちの魔法に近いわ」

「言ったはずだ。先人が伝えてきた想いと技術の結集だと。人はお前たちを越えるために代々技術を継承し、鍛え上げてきたんだ」

「それで、あなたの代で並んだとでも? 思い上がりも甚だしいわ!」


 カレンが瞬時に手元に茨の鞭を具現化する。魔力を与えられてどこまでも伸びるそれはオウカへ向けて襲い掛かる。


「どんなに形を似せても私たち魔族と人間では越えられない力の差があるのよ!」

「ちいっ!」


 オウカが鞭を術式ごと切断する。しかし斬った次の瞬間には再生され、さらに先端を増やして複雑な軌道を描く。


「同時に展開できる術式の数! 圧倒的な魔力量! 術式の種類! 人間じゃどうあがいても超えることはできないのよ!」

「術式展開――――『投影』!」


 右手に『集束』を使っている今、オウカは分身と位置の入れ替えはできない。だが分身を動かし、素早く位置を入れ替えながら立ち回り、すぐに本体の位置はわからなくなる。


「またそれかしら。でも、二度は通じない!」


 鞭の一撃が頭上から落ち、それは手応えなく貫通した。だが地面に攻撃が到達した瞬間、その一点から閃光が走る。


「ぐっ――!?」

「見つけたわ!」


 突然の光に反射的に表情を歪ませた一体がいた。その違いをカレンはすぐに見つけ出す。

 カレンはここが勝負と魔力を一気に鞭へ注ぎ込む。二又、三又とどんどん先端が枝分かれしていく。触手のようにその先端はバラバラに動き、違う方向からオウカに迫る。同時にカレンは左手で魔力弾を連射し、退路を全て塞ぐように配置する。


「終わりよ!」

「オウカーっ!」


 目が眩み、オウカは自分の周りが見えていない。迫り来る茨の鞭と魔力弾が彼女目掛けて降り注ぐ。魔法の雨を浴びたオウカは何本もの鞭に貫かれ、無残な亡骸をさらしていた――はずだった。


「な…っ!?」


 カレンは信じられないものを見ていた。貫かれているはずのオウカの肉体から一切の血が流れていない。そして驚愕の光景の中、オウカの姿が薄れて行く。


「偽物!?」

「術式展開――『加速』!」

「しまっ――!」


 仕留めたと確信し、その結果を見ようとすれば必然的に意識は一点に注がれる。それが相手を確実に屠る最大限の力を振るった後であればなおさら。

 時間にすればわずか一瞬の隙。だがフロスファミリア家の剣士は戦いの明暗を分けるそのたった一瞬を決して見逃しはしない。


瞬華終刀しゅんかしゅうとう鮮花せんか!」


 カレンが右側からの殺気に顔を向けた時には既にオウカは眼前にまで迫っていた。反射的に茨の鞭を持つ右手を振り上げるがオウカの剣が鞭を断ち切る。


「がっ……!?」


 短い悲鳴がカレンの口から洩れた。全速力で突撃したオウカはその衝撃で手が離れ、勢いがついたまま床を転がる。カレンは腹部に剣を突き立てられたまま壁まで吹き飛ばされた。


「オウカ!」

「トウカ……やったか?」

「うん、オウカの勝ちだよ」

「そうか……賭けだったが上手く行ってよかった」


 駆け寄ったトウカはオウカの異変にすぐに気づいた。彼女はトウカの方に顔は向けているが視点が合っていない。


「オウカ、まさか目が」

「閃光をまともに食らったからな。しばらくは見えんだろう。なあに、すぐに回復するさ」


 あの一瞬、オウカは分身の一体を本人のように振る舞わせていた。その結果、閃光をまともに食らうことを覚悟で。

 それよりもカレンはと言うオウカに変わってトウカはその様子を確認すべく目を向ける。貫通した剣が壁に刺さり、カレンの体は壁に張りつけにされているかのようだった。


「まさか……音だけを頼りに私を狙ったなんてね」


 かすれるような声でカレンは呟いた。まだ息があるのは視界が定まらなかったためにオウカの剣が急所を外していたためだろうか。


「……もうこれ以上は無理よ」

「そうみたいね……集中して魔力を練ることもできないわ」

「降伏して。悪いようにはしないから」

「無理よ。それはできないわ」


 近づこうとするトウカをカレンは手を前に向けて制する。その表情は諦観を漂わせていた。


「――もう、私は終わりだから」


 空気が震える気配を二人は感じ取った。何度も感じた感覚はもはや忘れようもない。確信を持ってそれが危険の前触れであることを二人は疑わなかった。


「これは!?」

「なんで……」

「力を引き出した者の末路よ。制御しきれなくなった力が自分自身を食らうの」


 高い魔力を持つ上級の魔族の終焉の一つ。魔力の暴走による自己崩壊。それが始まろうとしていた。

 本来ならば暴発して全てを吹き飛ばす力。それを制御していたからこそ魔王の子たちは強大な力を誇っていた。それを制御するだけの力を失えばこうなることは自明と言えた。


「安心なさい、普通の暴走みたいに周りを巻き込んだりはしないから」

「なぜそれを教える。黙っていれば私たちも巻き添えにすることができるというのに」

「……あなた達がいなくなったらマリーが悲しむでしょう?」


 それは、嘘偽りのないカレンの本当の言葉だった。


「確かにあの子の記憶はアザミの手で消されているわ。でも、何かのきっかけで思い出すかもしれない……その時に二人ともいなくなっていたらあの子は本当に全てを失ってしまうわ」

「やはりか。それで幾度となく私たちを戦場から遠ざけようとしていたのか」

「……悔しいけど、私じゃ本当の家族にはなれそうにないから」


 記憶を消され、魔王の娘として初めてカレンを姉と呼んだマリー。しかしそこに親愛の情はなかった。あれほど求めていたマリーからの言葉にカレンが抱いたのはむしろ言い知れない不気味さだった。

 マリーであってマリーでない存在。作られた「魔王の娘」という異様な存在にカレンは恐怖を抱いた。

 そしてその時にカレンは気が付いた。自分が求めていたのは元のマリーだったのだと。トウカたちと五年間を過ごした、愛情をいっぱいに受け取って育ったマリー=フロスファミリアに姉と認めて貰いたかったのだと。


「でも、今更引き返すなんてできないわ……だからあなた達に託すの。私の代わりに…マリーを取り戻して」


 カレンはそう言って目を閉じた。自分の中で魔力がどんどん膨れ上がっていくのがわかる。その内この熱は自分自身を食らい尽くして跡形も残らないだろう。

 そう覚悟を決めたその時、不意に手首に冷たい感触があった。


「……ダメだよ。あなたは死んじゃダメ。生きて、本当のお姉さんとしてマリーにまっすぐに向かい合わないと」


 声の近さにカレンは思わず目を開いた。トウカが自分の手を取り、カレンをじっと見つめていた。見ればカレンの手首には腕輪のようなものが装着されていた。


「これは……」

「魔封じの腕輪。マリーの……ううん、あなた達のお母さんがマリーに託した物よ」


 魔族の魔力を封じ込め、魔力の暴走を抑え込める唯一の存在。その名前は噂でカレンたちも聞いていた。だがそれを自分の母親が所持していたことまではカレンたちは知らなかった。

 事実、自分の中で渦巻いていた魔力が収まっていくのをカレンは感じていた。それこそが本物である証と言えた。


「傷も急所を外してる。ちゃんと手当をすれば助かるかもしれないわ」


 そう言ってトウカは剣を抜き、持っていた道具で止血を始める。そんなトウカにカレンは不思議な感覚を覚えた。


「……何のつもり。私の命を助けても得はなくてよ」

「たぶんマリーも、同じことをしたと思ったから」

「ありえないわ、私をあれだけ嫌っていたのに」

「ううん、きっとマリーはあなたの愛情に気付いていたと思う」


 強く傷口を縛り、トウカは止血を終える。敵の命を救う行動にオウカは一切を咎める気はなかった。


「自分を守ろうとしてくれていたことは気付いていたと思う。でもきっとあなたが最初に私を傷つけたことで素直になれなかったんじゃないかな」

「……よくわかってるのね。あの子のこと」

「ずっと一緒だったから」


 自嘲するように笑い、カレンは立ち上がる。立ち去ろうと背を向ける彼女にトウカは呼び掛ける。


「傷を治したら、ちゃんとマリーと向き合ってあげて」

「また奪いに行くかもしれないわよ」

「今度は渡さないよ。だって私の娘だもの」


 トウカの言葉は心の底からのものだった。オウカの言ったように血の繋がりなど関係ない。そんな想いを迷いなく、口にしていた。


「もしも……もっと早くあなた達と出会えていたら、今頃私もあなた達の娘として生きていたのかしら。マリーの横で……姉として笑っていられたのかしら」

「どうだろうね」

「……フン、お前が娘など願い下げだ」


 トウカは苦笑して。オウカは憮然としてその問いに答えるのだった。

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